地震の恐怖から知る、現代の危うさ

日本から届いた映像を観て、背筋が寒くなる思いをした。それは、福島で原子力発電所が爆発した恐ろしさや、市街地を容赦なく一掃した津波の勢いだけによるものではない。延々と続く瓦礫の山の中で、車のうえに船が積み重なっている震災直後の惨状もさることながら、棚にまったく商品がないスーパーマーケットの光景にも、同じように不安を覚える。スーパーに出かけて棚が空であることなど、想像したこともなかったからだ。

今回の出来事からわかるのは、現代の生活における余地の少なさだ。日本は世界でも最も進んだ国である。ハイチでは昨年、今回よりもはるかに弱い地震ですべてが崩れ落ちたが、厳格な建設基準法や高度な技術力に支えられた日本の巨大ビル群は耐え抜いた。しかし、それでも十分でないのは明らかだ。気づくこともほとんどないが、私たちは危うい崖っぷちに立っていて、とてもではないが自然界の力を和らげることなどできない。

狭まる安全地帯

私たちは安全地帯を着実に狭めている。地球温暖化は今回、宮城県の沿岸地域を壊滅状態に追いやった地震や津波の原因ではないが、あらゆる文明の基盤となってきた余剰分は日々少なくなっている。考えていただきたい。海面水位は上昇を始めている。記録的な猛暑によって収穫量の落ち込みが発生し、地球上の人口1人当たりの穀物生産量は何年もの間、低下を続けている。暖かい空気は冷たい空気よりも水蒸気を溜め込むため、大規模な洪水が起こる危険性は高まる一方で、昨年はパキスタンやオーストラリアといった国々がその不運に見舞われた。

こういった変化は確実に安全地帯を蝕んでいる。備蓄される食料が減ることで、収穫される農産物の重要性は増している。大洪水が起こるたびに、流されたものを再建するために支出を増やさなければならない。パキスタンの洪水では、400万人もが今なお家を失ったままだ。つまり、「頭上に防水シートをかぶせる」ために、「開発」が先送りになっているのだ。豊かな国でも同じ問題に直面している。オーストラリアはクイーンズランド州の洪水被災地域を復興させるために、再生可能エネルギーの予算を大幅に削減した。

温暖化はデング熱の流行を招く。アジアの一部の国では、1人の患者を治療するために、10人以上の年間保健予算を使い果たしてしまう。そうなれば予防接種や栄養補給などに手が回るはずもない。保険費用の上昇も経済の重い足かせになりうる。ハーバード大学とスイス・リー社の調査によると、米国のような富裕国であっても、暴風雨が猛烈かつ頻繁に起こるようになると「保険適用の能力を超える」ため、「多くの地域や部門に保険が適用されなくなる」とのことだ。要するに、「実質的に、先進国の一部の地域が長期間にわたり開発途上国の状態になる」のだ。

自然災害はつねにあり、これからもなくなることはない。1万年もの間、地球はおおむね穏やかだった。人はどこが安全地帯かを知っていた。だからこそ、そういう場所にいわゆる文明が築かれたのだ。だが、海面が1メートル上昇すると、その範囲は甚だしく狭まる。1度の傾斜がある海岸では、海は90メートル近く内陸に入り込む。これは文字通りに陸が狭まるだけではない。食料備蓄が減り、洪水がより頻繁に起こることに対する不安は精神的にも負担になる。世界は名実ともに窮屈になっているのだ。

選択肢は2つだが、答えは1つ

私たちがこの事態に対応するには2通りの方法がある。1つは、技術力でその安全地帯を広げることだ。地球上の気温が上がっているなら、私たちは「地球工学的手法によって」地球に手を加え、たとえば太陽の光が射し込むのを阻むために硫黄を大気中に放出することもできるだろう。理論的には可能だ。しかし研究者たちはそんなことをしても効果はなく、むしろ害ばかりだと警告する。そして、まさに今週、危機にさらされている福島県の沿岸で、史上最高水準の技術が制御不能に陥った現実を思うと、技術者が豪語するのを信じることはできない。

もう1つの選択肢は、わずかに後退を試みることだ。回復力と安全性に重点を置くのである。そのために(ここが問題になるのだが)成長に重点を置くのをやめる。私たちはそろそろ、人間はもう十分にやりたいことをやった(少なくとも欧米では)、これ以上、欲は出さなくてもいい、それよりは少し控えて、もっと余地を持とうと考えてもいいのではないか。具体的には、SUVよりバス、自転車、電車を選ぶということだ。そして、石油の代わりに自らの筋肉を働かせ、より多くの人が田畑に出て、食料自給を目指すのだ。銀行が「大きすぎて倒産させられない」とわかったからには、食料とエネルギーのシステムも同じことになると思っていいだろう。

たとえば、各家庭の屋根に取りつけたソーラーパネルを広範囲な配電網でつなぎ、そこから電力の大部分が得られている国を想像していただきたい。そこに至るには投資が必要だ。今のところ、太陽光発電は石炭火力発電より費用がかかるため、私たちは成長の一部を遅らせて、他の分野から資金を回さなければならない。そして私たちは毎日、一秒たりとも欠かさずに無限の電力を得られるわけにはいかないかもしれない。だが結局は、大気中の二酸化炭素を減らすだけでなく、災害に強い国にもできるのだ。

我が家の屋根のソーラーパネルは今夜にも壊れるかもしれないし、もしそうなったら困るのだが、それが大陸全体の停電を引き起こすことはない(そして、私の家に誰かがガイガーカウンターを持ってやってこなければならないこともないだろう)。もっとも、このようなことをしたからといって世界が安泰になるわけではない。気候学者は、私たちはもうすでに多くの二酸化炭素を大気中に放出してしまったので、今後の数十年で地球の気温は2度上昇する、それによって今後100年間は悲惨なまでに厳しい時代になると断言している。しかし彼らは同時に、私たちが石炭と石油を燃やすのをやめなければ、その数値は2倍になり、救いさえなくなるとも明確に述べている。

日本における恐怖の全容はこれから明らかになるだろう。今は見守り、祈り、人間を超える力に襲われた人々の役に立つ方法を些細であっても探すことしかできない。しかし、おそらく私たちが学ぶことができるのは、今は少し後戻りする時だということだ。「長持ち」「安定」「頑丈」などといった、わかりやすくも重みのある言葉が、にわかに耳に優しく聞こえてくる。

この記事は2011年3月18日金曜日、英国標準時21:00にguardian.co.uk.で公表したものです。

翻訳:ユニカルインターナショナル

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著者

ビル・マッキベン氏はミドルベリー大学の客員研究員、世界規模で気候変動防止活動を繰り広げる350.orgの設立者、そしてトムディスパッチのレギュラー執筆者で作家である。近著として「Eaarth: Making a Life on a Tough New Planet(アーース:難題を抱える変わりゆく惑星での生活)」がある。