ブレンダン・バレット
ロイヤルメルボルン工科大学ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。
この夏休み、あなたは何の本をお読みになっただろうか?
私はジェームズ・ハワード・クンスラー氏の「The Long Emergency」(長期の緊急事態) を何とか見つけだすことができた。私はドキュメンタリー映画「エンド・オブ・サバービア」(End of Suburbia)の中でクンスラー氏が行ったテド(TED)の講演を初めて見たときからずっと、2005年が初版のこの本を読もうと心に決めていたのだ。
しかしその時、環境コーナーの棚の前で、数ある本の中でひときわ目立った表紙が私の目に飛び込んできた。ビル・マッキベン氏の最新作「Eaarth — Making a Life on a Tough New Planet」(アーース~難題を抱える変わりゆく惑星での生活~)だ。荒れ果ててしまったこの地球で生き抜くための本を、ひと夏の間に2冊も読めるだろうかと一瞬悩んだが、私はそのままレジへ急いだ。(おっと、これは衝動買いだったか?)
休むことを知らず、気まぐれで、無駄が多く、刺激的で、そしてすでに危険な状態にある―そんな私たちの社会は、社会自体がもつ活力の産物であるが、今の私たちにこういった欲求を満たしている余裕はない。しかしだからといって、自分たちを外界から閉ざさねばならないとは言っていない。(ビル・マッキベン氏)
皆さんは私のことを「根っからの仕事好きだ」と思うに違いない。しかし実際に読んでみると、実はこの2冊ともが素晴らしい本で、信じないかもしれないが、随所に笑いがちりばめられているのだ。
クンスラー氏とマッキベン氏は才能ある作家である。クンスラー氏はジャーナリストとしての経歴を持ち、雑誌「ローリングストーン」で記事を書いていた。また作家として、1994年には初めてのノンフィクション作品「The Geography of Nowhere」(どこにもない地理) を執筆した。ごく最近になって、彼は「The Long Emergency」を題材に描いた小説を執筆しており(メモ:来年の夏休みに読むべき本)、そのタイトルは「The Witch of Hebron」(ヘブロンの魔女)だ。
またビル・マッキベン氏は自身を小説家、教育者、環境問題研究家と名乗っている。彼は1989年の著書「The End of Nature」(自然界の終わり)で世界的に有名になった。この本の中で彼は、自然界はもともと独立した存在であったが、今では人間の行動の影響を直接受けるものへと変化したと主張している。私は当時この本を読んだが納得できなかった。私にはこの本で述べられていることが非現実的で、1962年に出版されたレイチェル・カーソン氏の「沈黙の春」に追随する、あまり説得力のない続編のように感じられたのだ。
クンスラー氏もマッキベン氏もエレミア(悲観論者)といえるが、私たちの多くはあまりにも幸福すぎて、彼らを「変わった人」として片づけてしまうことができない。聖書の通称にあまり詳しくない方々に説明すると、エレミアとは旧約聖書に登場する神の預言者であり、神の代わりにイスラエルとユダに迫りくる侵略と奴隷化を警告したが、結局無視され攻撃された人物だ。
しかしながら、この2人の作家は警告を与えるという方法ではなく、私たちが今日暮らす世界の危機的状況について実際に説明することにした。「The Long Emergency」の中でクンスラー氏は、原油生産の終わり、一層過酷になる気候変動、その他集中して発生する大惨事が原因で、経済的あるいは政治的な混乱が今までに例のない規模で起こっていると説明している。彼の分析は主にアメリカに焦点をあてたものだ。
こうした意見は、現在の状態と10年後の見通しに対する厳しい見方であることは間違いない。また無視されることが多いがために、より重要になってくるのだろう。というのは、もしこうした意見に耳を傾ける人や私たちの今の境遇から学ぼうとする人が少なければ少ないほど、解決策を講じるのも遅くなり、恐ろしい将来が待っていることになるからだ。
マッキベン氏によれば、地球温暖化や石油の枯渇も含めた環境にかかわる諸問題について本気で取り組むには、時すでに遅しということだ。私たちは今、Eaarthと呼ばれる新しい惑星に暮らしており、この惑星は、突然溶けたり、乾いたり、酸性化したり、洪水が起きたり、焼けたり、今までにない変化をしていると彼は述べている。
「Eaarth」は私たちの住むこの惑星に、今何が起こっているのかという分析をしている点で、マッキベン氏の今までの作品の中でも傑作である。中でも私は孫現象に対する彼の懸念に納得させられた。孫現象とは、気候変動の現実に気づき始めた人々がいるものの、彼らはそれを自分たちの孫の世代の心配事だと考え言及し続けているというものだ。しかし氏によれば、人びとはこの問題に関する時間の尺度を今まで間違えて捉えてきたのであり、問題は今私たちの目の前にあって、早急な対処が必要だということだ。
これらの2冊の本に対する自然な反応は、「私はどちらの本も信用しない」か、もしくは「この本で述べられている変化は間違いなく異常事態だという証拠を見せてほしい」のどちらかだろう。確かに名文句だ!現実に起こっている地球の変化が異常ではないと考えている以上、私たちはこの先ずっと前の年と比較しながら繰り返しこう言い続けるのだろう。マッキベン氏の「Eaarth」の中で、言いすぎというぐらい強調されていることだ。
この2冊の本には変化が現実に起こっているという証拠が数多く示されており、それがとても分かり易いために、簡単に片付けてしまうことも反論することもできない。そして私たちは前例のない難問に直面しており、気候変動は数ある難問の中のひとつでしかないという核なるメッセージをも無視できないのだ。
しかし未だにこの事実を無視しようとする人は多いのかもしれない。クンスラー氏はこの事実があまりにも難題であるがために、私たちの注意をひくことができないと確信している。彼の主張によれば、私たちは未来に向かって夢中歩行しているらしい。「絶え間なく続く娯楽情報番組や気晴らしのショッピングや強迫観念に駆り立てられたドライブに有頂天になりすぎて我を忘れてしまい、私たちは技術社会における毎日の生活の条件を、根本的に変えてしまう力が増してることを本当に理解することができないでいる」というのだ。この点については、現在の自分の生活を振り返ってみれば多くの皆さんが感じられるのと同様に、私にも受け入れることができる。
マッキベン氏の著書は、気候変動が地球上の社会やコミュニティーに及ぼす影響について次々と例を挙げて説明されることで始まる。しかし私たちを一番不安にさせることは、この世界がどんどん問題解決困難な惑星に変化しているという彼の主張を、この夏のさまざまな出来事がそっくり映しだしているという点であろう。
ロシアの森林火災やパキスタンの洪水のことを知らない人はいないだろう。しかし、これらの出来事が気候変動を説明するための説得力のある証拠となるのだろうか?残念ながら、科学者がこの質問に対する答えを出すのはまだ先のことになるだろう。エコノミスト誌の最近の記事で指摘されているように、どちらも「気象学者が温暖化している世界でさんざん予測しているようなこと」であり、私たちは現在されている予測をもとに、こういった出来事が気候変動の結果であると結論付けることはまだできない。なぜなら気候モデルというものは、「何か明確な出来事の成り行きを予測するというよりは、将来の気象の可能性について平均的動向を探るものであり、気象モデルによってこういった出来事が増加傾向にあるのか減少傾向にあるのかという決定的な予測をすることは難しいと考えられているからだ」
もし地球上で起こっている気象についての正確で歴史的観測に基づいた最新の情報を知りたい方は、米国海洋大気庁(NOAA)のState of the Climate Report 2009(気象レポート2009年度版)を見るのも良いだろう。
クンスラー氏とマッキベン氏の分析に真相を見抜くパワーがあることは理解したが、彼らが提案する解決策は容易に受け入れられるものではない。しかしこれは当然のことだ。気候変動に関する激しい議論の多くは、まだ検討中の解決策ばかりに焦点が当てられているのが現状である。各国による温室効果ガス排出量の削減や個人レベルの炭素の割当量、キャップ・アンド・トレード、炭素税と配当金、クリーンエネルギーの研究開発への投資、油税、市場の革新といったさまざまな言葉を、皆さんはこれまでに何度も聞いてきたことだろう。
この2冊の本について言えば、クンスラー氏は実際には解決策を提起してはいない。むしろ今日の産業文明から何を救いだすことができるかについて検討しているのだ。彼は著書「The Long Emergency」の中で、「社会の中心は、内陸部の農業地域を支えるような町や小都市へと戻っていかなければならない」と主張している。例としてニューヨーク北部にある数多くの小さな町について触れており、かつては活気のある工業中心地であった町が、今では「うらぶれて、半分廃墟となったような、誰に利用されることもない、望みを失ったような場所」になっていると説明する。そして彼は次のように続けている。逆説的には「こういった町が、『The Long Emergency』の中で示されている難題に負けることなく生き残る可能性が最も高い場所になるかもしれない」
ひとたび原油価格が必然的に上昇し始めれば、今までのような郊外の生活様式をずっと続けていける見込みはないだろうとクンスラー氏は考えている。また、ニューヨークやシカゴ、ロサンゼルスのような巨大都市では急激に人口が減り、「衛生や治安の危機的悪化」が予測されると確信している。そうなのだ。いくつかの都市はこういう運命になるかもしれない。しかし別の方向性を見出す都市もあるだろう。アメリカの中ではサンフランシスコのように、ピーク・オイルの影響に対処するためのプランをすでに導入し始めたいくつかの大都市があることは興味深い。
商業については、石油の値段が上がれば、大規模小売店チェーンは廃業し、消費者文化という概念は「全国規模のチェーン店とともに死滅する」のではないかとクンスラー氏は感じている。また彼の提案では、私たちはボトムアップ式の再建が必要になってくるということだ。つまり「地域単位の持ちつ持たれつの経済関係が複雑に絡み合った社会」こそが求められている。この意見は正しいのだろう。あるいはローカル線に沿った現存する都市が再び整備されるようになるかもしれない。同じオーナーでも、もっと地元に密着したオーナーがでてくるだろう。(例えば、小さなオーガニック健康食品店が巨大な商業利益によって瞬く間に買収されていくのを考えてみてほしい)
結局はクンスラー氏の大胆不敵で非礼な意見は新鮮で面白いとわかったが、私とは別の感じ方をされる方もいてほしいと思う。
マッキベン氏とクンスラー氏の見解を比較してみると、どのような将来がやってくるかという点については似ている意見が多いが、マッキベン氏の考える解決策はより明るく、未来の世界像についても、地域的、友好的、地域密着型の・・・といったような言葉で表わされており、氏自身の好み(もしくは環境保護の観点から主流なもの)を反映させているようだ。結局彼が言おうとしているのは、産業社会がほとんど崩壊するようなかたちではなく、一連の変化を伴った方法で社会は前進してゆくだろうということだ。つまり、飛躍的ではあるが、より地域密着型、自給自足型の自立したコミュニティーが出現するというのだ。しかしこういった社会への移行の過程で、私たちは今まで当たり前のように利用していたものや大切にしていたものを手放すことを迫られるだろう。
彼の考えでは、未来の社会は、人びとが自宅から外出することなく、庭の手入れをし、近所の人々と協力し、「ちょっと退屈な毎日だね」と言い合うようなものになるということだ。そういった社会では出世街道を駆け抜ける必要もないし、世界中をジェット機で飛びまわる必要もなく、また太陽の下でバカンスを過ごす必要もなければ、常に新商品に敏感になりながら買い物をする必要もないのである。欲しいモノのリストには終わりがないのだ。
しかし心配には及ばない。それでも(この部分で私は笑ってしまったのだが)インターネットはなくならないということだ。
「インターネットは私たちがこれからも利用することができる1つの解決方法だ。ジェット機は気候変動や原油生産が衰退するこの時代の救世主にはなれないだろう。だからその代わりにマウスをクリックして別世界へ旅しよう。インターネットには、私たちのコミュニティーの中で少しだけ開けっ放しにされた窓のような役割を果たしてほしい。そこから新しいアイディアを取り込み、古い先入観を追い出さねばならない。以前なら皆さんはかなりの制約を受けながら生まれた家に居続けるか、『自分を活かす』ために『外へ出ていく』かのどちらかを選ばなければならなかったのだ」
「休むことを知らず、気まぐれで、無駄が多く、刺激的で、そしてすでに危険な状態にある―そんな私たちの社会は、社会自体がもつ活力の産物であるが、今の私たちにこういった欲求を満たしている余裕はない。しかしだからといって、自分たちを外界から閉ざさねばならないとは言っていない」とマッキベン氏は主張する。
実際のところ、彼はインターネットに関しては的を得ているといえるだろう。確かに私は最近テレビを見る機会が減り、インターネットに時間を使っていることが多い。しかしこの本のラストの部分には少々説教めいた印象を受けた。環境問題のメッセージを説教がましく伝えるのはあまり意味がないといつも感じる。何度説教されても平気だというのが本音だ。ビル(マッキベン氏)たちがいくら周りからうるさく声を張り上げたとしても、消費せよ、大きな家や新車を購入せよ、子供たちに新しいおもちゃを与えよ(つまり、良い親になりなさい)といったことを熱心に勧めるもう1つの声が、私たちにはしっかりと聞こえてくる。どちらかといえば環境問題の説教師は、万人に共通した良心をチクリと刺すぐらいの存在なのだ。
マッキベン氏とクンスラー氏は物議を醸してはいるが、両氏の本を読み終えた今、皆さんにもこのエレミアたちが言わんとすることに耳を傾けることを強くお勧めしたい。両氏が描いているのは最悪のシナリオかもしれないが、それを将来の計画の中に入れておくことは私たちにとって重要なことだ。政治家や企業のトップがこういったシナリオについて議論してくれることを心から期待している。そしてこの世界で生きる私たち自身が、夕食のテーブルを囲んでこういった話を論ずることこそが最も大切なのである。
もしあなたがまだ夏休みをとっていないなら、テレビを消して両氏の本のどちらかを手にとってみることを強くお勧めしたい。
翻訳:伊従優子
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