エマ・ブロートン氏はフランス国際関係研究所のジュニア・リサーチ・フェローとして、健康と環境に関するプログラムに3年間関わっている。研究テーマは、生物多様性に関するグローバルガバナンスの傾向とメカニズム、それに気候変動に関する交渉である。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(ロンドン大学LSE校)で国際関係を学び、科学修士号を取得した。
研究者として環境マネジメントの分野に携わり、これからの熱帯雨林や地球の生物資源の多様性について特に高い関心を持ち、また同時に懸念する私たちは、「市場経済原理に基づく手法(MBI)」が急速に幅を利かせていることに大きな衝撃を覚えている。
だが、会議に出席したり、TEEB (the Economics of Ecosystems and Biodiversity:「生態系と生物多様性の経済学」)などの科学記事や影響力のあるレポートを読んだり、現地視察中に関係者と話をしたりするうえで、MBIを避けて通るわけにはいかない。
MBIとは、木材製品や有機農作物の認証制度や環境サービスへの支払い、環境税などのメカニズムを指し、生産者あるいは消費者に価格シグナルを送ることによって行動の変化を促すことを目的としている。MBIという用語はまた、環境に負荷をかけない手法を奨励するために農業従事者に補助金を支払うといった農業環境対策や、ミティゲーション・バンキングやスピーシーズ・バンキング(開発業者が開発によって生態系に悪影響を及ぼす場合、別の場所で代償措置が行われていることを示す債券を購入して埋め合わせをするシステム)なども意味する。
しかし、これほど広まっているにもかかわらず、MBIという用語がグローバルにかつ厳密に定義されているかというと決してそうではない。というのは、上述した例でもわかる通り、その中にはさまざまな手法が含まれていて、市場との関係や特徴においても大きな差があるからだ。そうなると、経済あるいは政策決定の視点から基本的な問題が浮かび上がってくる。それは「私たちは本当に市場の話をしているのだろうか?」ということだ。
私たちは、この謎めいた用語の意味を明らかにするために調査を行うことで、ようやくこの疑問の答えを見つけた。わかったのは、MBIと称される一連の介入形態(複雑にしないために手法と呼ぼう)は、著しく性質を異にする要素から構成されている一群らしいということだ。どの程度の幅があるかと言うと、「リンゴとオレンジ」程かけ離れた「税金と許可」が一緒にされているといった具合である。
この予備調査結果はやや困惑するものだった。というのは、そのような手法は通常、介入という形態よりも効率的で効果的なものだからだ。そもそも介入は、より高圧的で指示的であり、たとえば農業従事者に規定以上の肥料の使用を禁じることや、土地所有者に森林の1%以上を転用するのを禁じることなどが例に挙げられる。しかし、共通する特徴がないのに、どのように潜在性や実績を評価できるのだろうか。
調査の結果、明らかになった唯一の共通する特徴は、自然に対して金銭価値をあてはめていることだ。ただし、これらの価値は生態系から与えられた恩恵の経済的評価である必要はなく(また実際、大抵はそうではない)、生産コストや、その代わりに機会費用を用いてよい。たとえば、農業のためには木を切りたかったが、そうしなかった場合に逃した利益などが例に挙げられる。さらに言えば、MBIを通して金銭価値を適用する際に用いられるアプローチは非常に数が多く、違いも大きい。わかりやすく言えば、十把一絡げに適用する税金や補助金を設定するような場合もあれば、サービスの受益者と供給者の間で契約事項を交渉したり、自然資源を利用するにあたって利用権の対価を設定したりする場合もあるということだ。
すべての文脈、すべての目的にMBIが妥当で望ましいかどうかを早急に判断するのではなく、MBIを適切に用いるための支援をしたいとの気持ちから、私たちはこれらの手法の特徴に基づいて、正確な用語集を作成することにした。ここでは問題点には触れず、市場というものはメリットをもたらすもので、したがって、政策決定者やその他の関係者(NGOや納税者など)が市場に何を、どのような条件下で、期待していいのかについて、より深い理解を持つのは重要だという認識に立つことにする。
そこで、私たちは6つのカテゴリーを提案する。この6つのカテゴリーで、会話、灰色文献、科学文献などでMBIとして示される手法の全範囲を網羅することを目指している。
:ここで創出される市場では、木材以外の森林製品や遺伝資源など、生物多様性や生態系サービスに由来する物品やサービスが取引される。
:ここで創出される市場では、取引される物品やサービスは標準化されたうえで、通常は希少性を反映、あるいはその責任を負うために意図的に限定され、かつ政府機関の厳格な規制の下に置かれる。よく知られている例としては、温室効果ガス削減のための排出権取引制度(キャップ・アンド・トレード方式)、湿地帯やその他の生態系の劣化を補償するミティゲーション・バンキング、そして専ら米国で発展し、議論になっている「スピーシーズ・バンキング」 などがある。
: 規制は相対価格を強制的に変動させ、さまざまな主体の決断を促すために実施される。これは通常、ある環境への影響(環境用語では「外部性」)が、該当する製品の市場価格に反映されない時に、その是正のために行われる。たとえば、環境への負荷を抑えた同等の商品が同様の価格で売れるのであれば、税金を設定して、農業従事者に化学薬品を使う量を減らすように仕向けることができる。
: 相対価格を変動させるという考え方は認証制度にもあてはまる。認証制度は大抵の場合、生産者が自ら制定するもので、純粋に自発的なものである。消費者にシグナルを送る目的は、プレミアム価格で商品を販売する、あるいは市場へのアクセスを増やすことだ(材木が関わる森林管理協議会はその一例である)。
: 環境サービスの受益者と供給者は、供給者(通常は生産者か土地所有者)が受益者から対価を受け取る条件を明らかにする契約交渉をすることに、ともに利益を見出すかもしれない。このプロセスは経済学者が「コースの定理」と呼ぶものに関係しており、それによると、取引参加者は自発的に使用権と所有権を交換する。環境保護や環境マネジメントに従事する人たちの間で強く支持されている「生態系サービスへの支払い(PES)」も、この仕組みに基づいている。この仕組みは流域管理を巡って発展した部分が大きい。この場合は、下流における住民や企業が、水質や年間を通して安定した水量などのさまざまな水資源サービスを確実に利用できるように、上流の土地所有者に維持管理の対価を支払う。
: 最後のカテゴリーはオークション理論に由来しているサービスの買い手は公的調達の場合と同じように、最も安価な提案を選択する。米国の土壌保全留保計画やオーストラリアのブッシュテンダーなどの大規模プログラムは、成果を上げている例だ。これらの仕組みは、自らの農業用地を休耕地として、保全しようという土地所有者から金額提示を求め、最も安価な提案を最終的に選択する。これらの仕組みは常に精緻化が進められ、売り手の戦略的行動や財務指標では捉えきれない特殊な環境貢献の評価の難しさなどの弱点を克服しようとしている。
こうした「革新的な手法」と思われているものの性質について調査した結果、異種混交性や市場との関わりの曖昧さなどは、古参の経済学者で環境マネジメントの権威、ロバート・H・ハーン氏が何年も前に導き出した結論と呼応する。彼は、経済学者が机上で考案したツールと現場で効果的に実施されているメカニズムの間に著しい相違があることを指摘した。これらの相違は、市場に基づく手法に当初期待される素晴らしい結果を甚だしく損なうが、現地の状況やさまざまな政治目的に沿っていなければならないという必要性によって完全に正当化されるものである。
ここで調査の後半に移ることにする。中心になるのは、MBIと公共政策の関連性だ。もしMBIが市場との関係性から決定されるカテゴリーに属するならば、前進と見なされるか、後退と見なされるかは別として、それは一般的に政府に「引き下がること」を求めると思われる。実際、MBIの趣旨の1つは、意思決定の能力を非政府、大抵は民間の関係者に引き渡し、強制的で指示的であることを特徴とする「従来の」政府主導の管理の非効率性を改善することだと思われている。
非政府の関係者がMBIの実施を通して市場を利用すると、資源と努力の配分が改善され、情報の開示が進むことが期待される。費用や便益も含め、一連の行動が個人および社会にどのように関わっているのかもわかりやすくなるだろう。理論的にはこれにより、MBIは「従来の」指示的なツールよりコスト効率の高いものになるはずだ。さらに、意思決定の委譲の効果として、環境関連の政策決定において、政府の関与と権限の範囲は狭まると思われる。
しかしここでもまた、私たちの調査の結果によれば、市場に基づく手法が用いられると政府が「引き下がる」と一般的に思われているのは必ずしも正しくない。ここで、3段階の意思決定のレベルを区別しておく。
私たちの調査の結果、MBIと政府機関の結びつきは相変わらず非常に強いことが明らかになった。それは特に、モニタリング、目標の設定、手法の選択などにおいて顕著で、新たな規制の制定が議論されることすらある。他には、MBIが実施された結果として、第3のレベルの意思決定、つまり現場での具体的な決定に関わる場面では、意思決定の主体が政府から非政府の関係者に移行することもあるとわかった。
この調査結果を裏付ける多くの例が、右欄からダウンロードできる論文に示されている。特に2つのケーススタディがより詳細に分析されている。いずれも、少なくとも環境保護の関係者の間では最も広く知られているMBIであるPESに関わるものだ。
コスタリカの「環境サービス給付金」プログラムは、国家レベルで実施されたもので、目的は合理的な自然資源の利用を促進することだった。生態系へのサービス提供という事実に基づき、土地所有者は土地の利用の仕方に応じて給付金を受け取る。インドネシアでは、リンジャニ火山地域の森林破壊が原因と思われる供給水の劣化を、より適切な土地利用戦略(より持続可能な開墾と耕作戦略、劣化した土地の再生)によって防止するために、自主的なPESの仕組みが確立された。水を消費する人たちは全員、水道料金とは別に毎月その費用を支払っている。
この2つのケーススタディではいずれも、仕組みの実施のためには政府(後者のケースではそれに加えて開発担当局)の組織力と法的枠組み、財政援助が必要だった。コスタリカでは、専門の担当局が設置され、契約や支払いの管理にあたった。インドネシアでは、複数の関係者から成る組織が設立され、地域の森林担当局の長官が先頭に立って金の回収や再分配を統括した。
ここで注記しておくが、認証制度と特殊な環境製品市場においては、3段階すべての意思決定が非政府の関係者によって行われている。
結局、私たちの調査が示しているのは、MBIは経済論の定義によると、甚だしく種類が異なる要素を含む一群で、市場との結びつきは緩やかだということだ。しかしMBIはまた、公共政策および法的枠組みとは密接に結びついていて、環境に関しては優れた政策ツールになっている。したがって、かなりの部分までは、従来の規制と変わらないとも言える。
市場との関わりについても、MBIには多様なものが入り混じっており、そのために、他の手法と比較したうえで、MBIの便宜性、コスト効率、公平性などの特徴について包括的な判断をしようとしても限界がある。とりわけ、MBI全体について判断しようとするならなおさらだ。
MBIでは、さまざまな実体が関わって、さまざまな活動が行われるが、その努力を最適化し、費用と便益についての情報をより良く開示することにつなげるには、まず理論上、準備段階として、生態系の特性を標準的な商品に変換しなければならない(二酸化炭素をトン数で示して気候調整に役立てる、清浄な水を立方メートルで示して流域サービスを保全する、1ヘクタールあたりの木の本数で土地の侵食を防ぐ、種の数を示して遺伝子資源を保護する、など)。
これができれば、交換制度を成立させる土台ができる。そして次は交換制度を発展させる必要があるが、その際には、生態系サービスの売り手と買い手の間に存在する市場の相互作用が商品の真の価値を確実に明らかにすること、現在および将来の世代にとって最適な管理を可能にすることを考えなければならない。
このように今後の道程は決して平坦ではない。環境保全の視点から見た生態系サービスは非常に複雑である。生態系を分離するという課題もある。それは生態系サービスの間(炭素分離と生物多様性資源など)で間違いなく生じる衝突と、生態系の経済的価値を定めるための評価方式につきまとう制約の間の衝突を避けるためである。最後に、満足できるレベルの正確性を達成しようとするなら、この全課程では高額な取引コストが必要になる。
しかしながら、社会で心に留めておかなければならないのは、自然を商品化することのリスクと倫理的な問題だ。根源的な定義に関わるこの考察は理論的な段階にとどまっているが、市場が自然の将来についての意思決定者となるシナリオに反対する健全な議論は、これから数多くの人が唱えることになるだろう。
翻訳:ユニカルインターナショナル
生物多様性と市場原理に基づく手法 by エマ・ ブロートン and ロマン・ピラール is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.