自然は読み解くべき言語だ

10年ほど前、カリフォルニア大学サンタクルーズ校(UCSC)の敷地にブルドーザーが入り、敷地内にある採石場で石灰岩を削り取り始めた。この採掘作業は、教授や学生がチームとなって進めていたプロジェクトの第一歩だった。ガーデニングと共同調理を中核に置いたコミュニティーを学生たちが自由に形成できるような住環境を創造するために始まったプロジェクトである。

その結果、誕生したのがファウンデーショナル・ルーツ(Foundational Roots)と呼ばれる、採石場の床層に作られた約300坪の菜園である。菜園の周囲はヴィレッジ(the Village)として知られ、キャンパス内の別の場所から移転された建物で構成されている。

その建物に住む学生たちは、Program in Community and Agroecology(コミュニティーと農業生態学に関するプログラム、PICA)を通じて菜園を利用することができる。PICAはは現在、さまざまな専攻の学生たちの人気を集めており、UCSCの農地と共に、キャンパスで最も活気あふれる場所の一つになった。そこで学生たちは持続可能な生活のスキルを習得できる。

コミュニティーと農業生態学

環境に配慮した消費方法を生活に取り入れることや、必要なものを効率的に生産する方法に関心が高まるにつれ、”持続可能性”という言葉が大学のキャンパスにも知れ渡ってきた。”持続可能性(sustainability)”という言葉自体は、”支える”という意味の古期フランス語”sustenir”が語源である。学生の生活において、何を支えるべきなのか?何が持続されているのか?

PICAでは、学生たちはこういった疑問について、とことん掘り下げて考えることができる。ペースの速い情報化時代では、コンポストの利用や家族の食事、コミュニティーの役割といったことについて考える時間もエネルギーも容易には見つけられなくなってしまった。PICAが提供するのは、まさにその時間とエネルギーと場所である。その結果、学生自身が自分の食べ物を生産できるようになり、人工的なシステムと自然のシステムの両方に適応する方法について熟考する機会を持てるのだ。

このプログラムがスタートしたのは2002年のこと、第9および第10校舎群の建築現場から仮設住宅を採石場に移転した後だった。当初の移転先は採石場ではなかったが、望ましい環境ではなかったため、採石場そのものにスペースを確保するべく作業が始まった。The Lower Quarry(下方採石場)と名付けられたその採石場は、サンフランシスコ市の建設のために採掘された史跡であり、今でも躍動的な歴史を紡ぎ続けている。

このプログラムは学問の場と社会に、自身の消費行動や地球への影響に注意を払う世界市民を生み出している。

採石場がヴィレッジに姿を変えた後、ファウンデーショナル・ルーツの活動が始まり、学生たちは菜園の耕作や維持の方法について論文を書いた。菜園で育てられた食材はコミュニティーの食卓へ上るが、それは簡単な野菜料理やサラダばかりではない。学生たちは自炊に創造性を発揮した結果、完全菜食主義者向けのスシ、豆腐を使ったタコス、スパイスを効かせたカボチャ料理、ブレッド・プディングなど数々の料理が誕生した。料理は心暖まる会話やコミュニティー文化、そして個人の健康を促進する役割を果たす。菜園が誕生してから8年たった今日でも、その伝統は生き続けている。

「本を読むだけでは、コミュニティーでどう生きるかを学ぶことはできません」と語るのはPICAのコーディネーターの一人、ヴィヴィアン(ビー)・ヴァダカン氏だ。

ヴァダカン氏がPICAに参加したのは、環境科学と文学の研究を終えた後だった。彼女は歴史と文化の関連性、すなわち歴史は人間社会によって記憶され、社会が生み出す文化のおかげで歴史は忘れ去られることがない、という考えに興味を抱いた。この関連性への関心から、彼女はガーデニングが文化的にいかに重要であるかについて小学校、中学校、高校の学生たちに教え始めた。

「PICAはユニークな存在です。クラブではありませんが、学術的なプログラムであると同時に、住民が参加するプログラムでもあるのです」とヴァダカン氏は言う。この定義によれば、PICAでは教えることと学ぶことが日々の生活と密接につながっていて、日常生活の中で環境への強い興味が湧いてくることが期待されている。

ただのガーデニング・プログラムではない

しかしPICAと他の大学のガーデニング・プログラムでは、何が違うのだろうか?よくある教室での授業なら、学生たちは規則に従って一定の時間帯に集合し、授業の終了時間が来れば、別々の生活に戻っていく。一方PICAでは、授業時間はその日の状況によって一定ではない。学生たちは授業としてPICAに参加すると同時に、教室を離れても他の学生たちとの関わりを保ち続けることができる。UCSCの大学院生サム・ボイヤースキー氏は2010年の春、2単位を修得できるPICAのセミナーを受講した。

「本を読むだけでは、コミュニティーでどう生きるかを学ぶことはできません」と語るのはPICAのコーディネーターの一人、ヴィヴィアン(ビー)・ヴァダカン氏だ。

「PICAはクラブと授業の中間に分類されるでしょう。それを学術的な研究ととらえる人もいれば、そこまで真剣ではないクラブ活動と考える人もいます。PICAは学術的なプロジェクトであり、自然という大きなシステムの中で人間が構築するシステムに関する研究です」

クラスは学期を通じて週3時間、秋と春と冬に開講されている。対象は環境学専攻の学生とPICAの住宅施設に住む学生だ。クラスでは毎回、ガーデニング実習とグループディスカッションが行われ、手作りの食事で締めくくられる。学生の中にはこのコースを、もっとハードな授業からの解放の場ととらえる者もいるが、ボイヤースキー氏のように問題解決と理論的な研究にうってつけの場だと考える学生もいる。

よりよい食事で、いい気分になろう

コナー・マクゴーワン氏もプログラムに参加している学生だ。彼は環境学専攻の3年生で、PICAの熱心なメンバーである。プログラムに参加した理由は、実用的なスキルと長続きする人間関係が得られるからだ。

「リサイクル活動なら、人々は大抵すぐに行動するでしょう。それと同じ情熱を、なぜコンポストの利用に向けられないのか不思議に思います」とマクゴーワン氏は言う。学生によるUCSC最大のコンポスト・システムの主任管理人を務めたことがあるマクゴーワン氏は、コンポストは重要だと信じている。なぜならコンポストは栄養分を土壌に戻す確実な方法であり、個人菜園を促進するからだ。有機性廃棄物を保存しなければ、そこに含まれる栄養分は利用されないままになる。非常に小規模な菜園でさえ、コンポストから恩恵を受ける。有機性廃棄物を捨ててしまうのは、多くの人が個人菜園を持っていないか、有機性廃棄物に含まれる栄養分について知らないからだと考えられるのだ。

PICAは学生たちが人工的なシステムと自然のシステムの両方に適応する方法について熟考する機会を提供している。

同時にPICAの活動は、マクゴーワン氏が誇らしげに命名した”グリーンおたく”だけに開かれているのではない。このプログラムは、専攻やガーデニングへの関心度に関係なく、学生たちが個人と環境の健康問題の関連性を学ぶためのダイナミックな環境を提供している。その関連性を理解することで、環境問題の教育団体が”環境リテラシー”と呼んでいる教育全体を専門分野で描くことが可能になるのだ。

「外食する時は、意識的に食べ物を選びます。何が気分をよくしてくれるか、悪くしてしまうかを考えるのです」とボイヤースキー氏は言い、健康な地球を目指す活動は健康な自己を目指す活動でもあると主張する。

「自分の健康や食べ物を意識することで、食事の質も気分もよくなるのです」

PICAの活動は、他の地域での地球に有害な活動にまで影響を及ぼすかもしれない。なぜ人々はPICAに関心を寄せるべきなのかと聞かれたボイヤースキー氏は、次のように断言した。

「理由はたくさんありますが、一例を挙げて説明しましょう。(アメリカが)石油に過剰に依存していることはますます明らかになっています。現在メキシコ湾は悲惨な状況ですが、PICAはある意味で、その状況に直接疑問を投げかけているプログラムです。アメリカの食料システムは大量の石油を必要とします。なぜなら旬ではない食材を欲しがる消費者の欲求に応えるためだけに、大陸の端から端まで商品を輸送するからです。PICAは学生たちに、地元で育てられた旬の食材を食べる重要性を教えています。それは石油への依存を低減できる方法の一つなのです」

PICAは、自己とコミュニティーと環境の結びつきを意識する個人を生み出してくれる、社会的な道具と見なすことができるかもしれない。このプログラムは学問の場と社会に、自身の消費行動や地球への影響に注意を払う世界市民を生み出している。あらゆる専門分野が対話を続けるこのプログラムは、環境が主導の教育の場を学生たちに提供しているのだ。

カリフォルニア大学サンタクルーズ校のコミュニティーと農業生態学に関するプログラムについてご興味のある方は、PICAのウェブサイトをご覧ください。

翻訳:髙﨑文子

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自然は読み解くべき言語だ by ジョン ブルース is licensed under a Creative Commons Attribution-NoDerivs 3.0 Unported License.

著者

ジョン・ブルース氏はカリフォルニア州モデスト出身のフリーランス・ライター。彼の作品はUCサンタクルーズ校の文学会議(Literature Colloquium)で取り上げられたほか、「The Alembic」「The Red Wheelbarrow」といった文学誌に掲載された。作曲活動のために文学から1年間離れた後、UCサンタクルーズ校から世界文学の文学士号を修得。引き続きフリーランスとして作品を書き続けている。