石油、戦争、そして平和への見通し

2014年04月02日 ブレンダン・バレット ロイヤルメルボルン工科大学

私たちは、技術的、経済的、社会的にめざましい発展をとげ、国際社会の大半が相対的繁栄と生活水準の向上を実現させた時代を生きている。私たちはかつてないほど相互につながり合っており、歴史的比較の上では、世界はかつてないほど平和になっている。

しかし同時に、いまだ数億人の人々が貧困と飢えに苦しんでいる。私たちはミレニアム開発目標の枠組みのもと、そのような状況を緩和し、より多くの人々を極度の貧困から救いだすべく、協調努力を続けてきた。前進するにつれて、この進歩が消え去ることがあってはならない。

しかし、そこには常にささいな疑問がつきまとう。急激に増加する人口と、現状を維持するためだけでも膨大な資源を消費する経済を抱えた、限りあるこの世界にあって、どのようにすれば複雑な国際社会を維持できるのか?

さかのぼること1972年にデニス・メドウズおよびドネラ・メドウズ両氏が警告した「成長の限界」をわれわれは越えることができるのか、私は不安を感じている。私たちはその軌道を変えるためにわずかなことしか成し遂げておらず 、私の不安は、 マイケル・クレア氏が示唆するように、枯渇していく資源基盤をめぐって互いに争うようになるのではないかということにある。

リチャード・ハインバーグ氏は、現代の問題に関して洞察力と健全な理解を備えた、数少ない見識ある人物の一人だ。イラク戦争の開戦時に出版された2003年の著書『The Party’s Over — Oil, War and the Fate of Industrial Societies(パーティは終わった――石油、戦争、工業社会の運命)』は、安価な石油がなくなった世界という概念と資源をめぐる戦争の可能性を探っている。彼は、この可能性に対応するために、世界が資源保護と協調のグローバルプログラムを実行することを推奨する。別の可能性を考えるのはあまりにも恐ろしい。それは現代文明の崩壊を表すかもしれないからだ。

だが、石油はどのようにしてこれほど戦略的に重要になり、なぜ戦争に結びつくのだろうか? 石油が枯渇する世界は、なぜ工業社会の衰退や崩壊と同類とみなされるのだろうか? よりよく理解するためには、100年あまり前まで振り返る必要がある。

1914~1918年 第一次世界大戦

2014年は第一次世界大戦の開戦から100年目にあたり、とくに欧州各国はこの悲劇的出来事を振り返って、恐ろしい人命の損失を思い起こす年になる。1914年当時の世界を想像するのは難しい。それは欧州の帝国によって支配されていた時代で、世界中に広がった帝国は、植民地からの原材料と宗主国からの製造品の交易を支える主要航路によって結ばれていた。

英国は繁栄し、ロンドンは世界貿易の中心地として、無線通信によって世界中と結ばれていた。植民地戦争は頻繁に起こったものの、1853~1856年のクリミア戦争以来、英国は欧州大陸での紛争に巻き込まれたことはなかった。

1814~1815年のウィーン会議(後に国際連盟、ひいては国際連合へとつながるもの)は、主要国が集まって国境を引き直す場となり、成功を収めたことが証明された。欧州の力のバランスが保たれ、長期にわたる戦争は避けられた(1870~1871年の普仏戦争を除く)。当時、欧州ではもう戦争は起こらないだろうと期待した人々も一部にいたかもしれない。

学校では、1914年6月28日にセルビアでオーストリアのフランツ・フェルディナンド大公が暗殺されたことによって第一次世界大戦が勃発したと教わるが、今ではこの説はあまりにも単純であると認識されている。もうひとつの可能性として、ドイツがこの戦争を望み、準備していたというものがある。たしかに、西はフランス、東はロシアという2つの前線での戦いに臨んでドイツが勝利を収める可能性を示した、1905年のシュリーフェン・プランを指摘することができる。

しかし、最も刺激的な最近の分析のひとつは、英国の歴史家ニーアル・ファーガソン氏によるものではないだろうか。2000年に出版された著書『The Pity of War(戦争の哀れ)』でファーガソン氏は、当時の欧州の感情形成の主要な要因は、恐怖だったと論じている。ロシアは1905年に日本との戦いに困惑するような敗北を喫した後、再び存在を主張する場がほしいと考えていた。ドイツとオーストリアはロシアの台頭に怯え、フランスと英国は強力なドイツに怯えていた。

ファーガソン氏はもうひとつの可能な説を示している。『Complexity and Collapse — Empires on the Edge of Chaos(複雑さと崩壊―混沌の縁にあった帝国)』と題する評論で、列強および帝国は複雑なシステムであり、「秩序と無秩序の間」の状態でなりたっていたと論じたのだ。

さらに次のように続ける。「そのようなシステムは、しばらくの間は非常に安定して見えることがある。均衡を保っているように見えるが、実際には、つねに状況に合わせて変化している。だが、複雑なシステムには『臨界に達する』瞬間が訪れる。非常に小さな出来事が引き金となって、良性の均衡から危機への『相の転移』が引き起こされることがある」その結末は、戦争、革命、経済危機、帝国の崩壊だ。この文脈で考えると、現在の私たちの世界は1914年と大差ない。

石油をめぐる巨大な駆け引きの始まり

石油を現在のような戦略的に重要な燃料にしたのは、英国の当時のウィンストン・チャーチル海軍第一大臣だった。チャーチル氏は1911年、ジョン・フィッシャー卿とともに、英国王室海軍を石炭船から石油船に切り替えるよう提案した。石油のほうが上質な燃料とみなされていたことから、この変更はドイツ海軍の増強に後れをとらないために不可欠だった。この転換が完了するまでには7年の歳月を要し、その結果として、石油供給の維持が軍の戦略的目標になった。

投資の最初の標的となったのはアングロ=ペルシャン・オイル・カンパニー(APOC)という、現在のイラン南部で石油を探して採掘するために1908年に設立された企業だった。1908年6月14日、欧州で対立が始まるわずか数週間前に、ウィンストン・チャーチル氏は英国政府からAPOCへの220万ポンドの投資を引き出すことに成功した。その経緯は、ダニエル・ヤーギン氏が 『The Prize — The Epic Quest for Oil, Money and Power(石油の世紀―支配者たちの興亡)』で説明しているとおりである。

明らかに石油の可能性を認識していたのは英国だけではなく、一部は、ドイツのベルリンからバグダッドに通じる鉄道建設の提案およびオスマン帝国との緊密な結びつきが、英国に大きな不安を引き起こしたと論じている。このことから、開戦からわずか数カ月後の1914年11月に、英国軍がバスラ周辺のAPOCの油田を守るためにメソポタミア(現在のイラク)に進攻した理由が説明できる。

石油の戦略的重要性は、第二次世界大戦の時代を通してつねに変わることはなかった。たとえば日本は1941年に西欧からの石油輸出禁止に直面し、石油資源を求めて真珠湾攻撃とオランダ領東インドの侵略に踏み切った。同様に、ドイツは自国の石油資源に限りがあることから、1942年に、当時のソビエト連邦にあったバクー油田の占領を目指した。

別の例が、第二次世界大戦後にもある。1973年の第一次石油危機勃発時には、米国議会が石油供給遮断の可能性を深刻に懸念し、供給停止が起きた場合に軍事力を行使して石油供給を確保する可能性についての調査を指示した。

1975年に発行された報告書『Oil Fields as Military Objectives(軍事目標としての油田)』は、中東での軍事行動に関連するリスクは非常に高く、成功の見込みは小さく、失敗した場合のなり行きは悲惨であると結論づけている。この評価における未知の要因のひとつは、米国の軍事介入に対するソビエトの対応の可能性だった。

パーティは終わった

1991年の湾岸戦争での状況はこれとは大きく異なっており、2003年のイラク戦争ではさらに異なって、油田は瞬く間に占拠された。ソビエト連邦はすでに脅威ではなく、それによって作戦のリスクは減少していた。米連邦準備制度理事会のアラン・グリーンスパン前議長が2007年に述べた通り、イラク進攻はすべて石油の問題だった。そしてそれは、ハインバーグ氏の2003年の著書を、より説得力のあるものにしている。ハインバーグ氏がこの本で示唆したのは、私たちが世界の石油生産量のピークに近づいたという点だった。この主張には異論もあるが、最近になってハインバーグ氏の主張を裏付けるような研究が数多く発表されている。

たとえば2012年1月にはジェームズ・マレー氏とデヴィッド・キング氏が論文『Oil’s tipping point has passed(石油は転換点を越えた)』を発表し、世界の原油生産量は2005年以降(価格が上昇を続けているにもかかわらず)、1日あたり約7500万バレルで頭打ちになっていると指摘した。原油価格が上昇すれば、通常であれば生産量を増やすことで利益が増え、供給は増加するはずだと予想できる。これが起きていないのだから、何かが根本的にうまくいっていないにちがいない。

もっと近いところでは、2014年1月に英国王立協会が発表した『The Future of Oil Supply(石油供給の未来)』は、すべてのデータを調べ、次のように結論づけている。「世界の従来型の生産の持続的減少は2030年より前に起こり得ると考えられるが、これが2020年より前に始まる大きなリスクがある」

3つ目の例として、世界有数のエネルギー研究グループであるダグラス・ウエストウッドのスティーヴン・コピッツ氏は2014年2月の講演で、主要石油会社による石油生産量が近年になって低迷(2006年の1日あたり1600万バレルから2012年には1400万バレルに減少)している一方、資本支出は倍増(同じ期間に1090億米ドルから2620億米ドルに増加)した状況を説明している。その結果、コストの高いいくつかの探査および採取プロジェクトが放棄されている。このため、エネルギー問題の研究者で評論家のゲイル・トヴァーバーグ氏は、私たちが現在の石油産業の終わりの始まりに直面しているのではないかと問いかける。

これは未来に向けて何を意味するのか?

2005年にはジェームズ・ハワード・クンストラー氏がその著書『The Long Emergency(長期の緊急事態)』で、世界の石油生産がピークに達することの帰結と、これが気候変動の威力、疾病の復活、水危機、国際経済の不安定さ、武力衝突と同時に起こるという事実について探った。本質的には、石油が減少していく私たちの未来を、長々と続く苦しい危機として描いたことになる。

もっと最近では、国際安全保障研究者のナフィーズ・モサデク・アーメド氏が2014年2月28日付の『ガーディアン』紙に寄稿して、現代の暴動について、安価な化石燃料がない世界を示すものと説明している。アーメド氏は、2008年の経済危機と食糧暴動、チュニジア、リビア、エジプトで起きた2010~2011年のアラブの春、ベネズエラ、ボスニア、ウクライナ、アイスランド、タイで起きた2013~2014年の暴動は、長期の緊急事態の兆候が私たちの目の前に現れているのだと論じる。

他にも複数の評論家が同じ結論に至っている。さまざまな国の軍隊は、石油供給の減少に直面した世界での緊張関係を警告している。米国統合軍事司令部の「Joint Operating Environment Report」(統合運用環境報告書)は、「German Bundeswehr Transformation Center(ドイツ連邦軍変革センター)」の報告書とともに、そのよい例だ。どちらの報告書も2010年に発表された。

だが、これは民族国家にとっては何を意味するのだろうか? オックスフォード大学のイェルク・フリードリヒ氏は2013年の著書『The Future Is Not What It Used to Be(未来はこれまでと同じではない)』で、国々が燃料不足にどのように対応するかを探っている。フリードリヒ氏は、日本、北朝鮮、キューバの過去の経験に目を向け、異なる国家が石油供給の不足に直面した場合に何をするかについての教訓を導くべきだと論じる。

前述のとおり、日本は1918年から1945年までの間に西欧列強による石油およびその他資源の輸出禁止に直面し、2つの選択肢を突き付けられた。経済的に崩壊するか、軍事的拡大によってそれらの資源を手中に収めるか、のいずれかだ。結局どうなったか、私たちは知っているはずだ。

1990年代には、北朝鮮とキューバがソビエト連邦の崩壊後に燃料不足の状況に直面した。北朝鮮では支配階級が全体主義的緊縮の方向を目指し、一方のキューバではそれよりはるかに建設的な形での社会経済的適応が見られた(地域に根差した食糧生産、パーマカルチャーの幅広い採用、肉の少ない食生活の採用)。

国々がどのように燃料不足に対応するかについて、フリードリヒ氏は以下の結論を下している。第一に、強い軍事力を有し、極めて重要な資源の利用権を守るには自由市場より武力のほうが効果的だと認識している国は、侵略的軍国主義を採用しやすい。

第二に、人道主義、多元主義、自由民主主義の経験に乏しい国は、人民に全体主義的緊縮政策を強要する意志とその力をもつエリートを生みだしやすい。

最後に、個人主義、産業主義、大量消費者主義への接触が少ない国は、地域密着型の価値観と自給自足型のライフスタイルへの適応的後退を求めやすい。

崩壊を避ける

だが、国際協調の拡大に基づいた別の道も確実に存在する。減少していく資源をめぐって争えば私たちはすべてを失うことを理解すれば、何があっても紛争を避け、この目的を達成するための機構を作り上げるという答えが出る。現在、私たちは複雑で混沌とした世界で暮らしており、この世界が「臨界に達する」のを止めるために奮闘する必要がある。

私たちが直面している課題は、こうした状況で崩壊を避ける最良の方法を探すことだ。この文脈においては、ドミトリー・オルロフ氏の2008年の著書『Reinventing Collapse — The Soviet Experience and American Prospects (崩壊の再発明――ソビエトの経験とアメリカの見通し)』が非常に示唆に富んでいる。私たちがソビエト連邦の崩壊の経験から学ぶことができるなら、世界の石油生産量がピークに達することで引き起こされる最悪の影響を、なんとかして和らげることができるのではないか?

オルロフ氏は崩壊を5つの段階に分けて考え、読者に伝えている。第1段階は金融の崩壊で、これは多くの人々がすでに2008年に直接経験し、「いつも通りの暮らし」というものへの信頼を失いはじめた。第2段階は商業の崩壊で、すべての必需品を提供できる市場への信頼が失われる。これは2009年以降のポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペインで経験済みだろう。

第3段階は政治の崩壊で、国民を保護する政府への信頼が失われる。これは現在、世界中の多くの 破綻国家で見ることができるが、ソマリア、コンゴ民主共和国、南スーダンを含むアフリカに多い。

第4段階は社会の崩壊で、「仲間」が自分を保護してくれると信じることができなくなり、共同体意識が失われる。最後の第5段階は文化の崩壊で、人間性の善良さに対する信頼が失われる。この時点になると、文化的生活と考えているものがほとんど消え去る。

平和的な未来を確かなものにする

私たちは今後いくつかの非常に大きな問題の進展に向き合うことになると、ほとんどの人々が理解している。一方で、ものごとがどのように展開していくかを確実に知っている人は誰もいないというのも、また真実である。しかし、事態の悪化は避けられないのだろうか?

スティーブン・ピンカー教授は2012年に出版された著書『The Better Angels of Our Nature(私たちの性質のよりよき天使)』で、現代は人類の歴史上で最も平和な時代であると確信をもって論じている。そしてその理由として、非常に強いいくつかの力が働いたからだと説明する。

その第一は民族国家と司法制度の台頭で、それは紛争の解決に暴力を用いようとする個人の必要性/衝動を減らす働きをしている。第二は商業の役割で、とくに商品とサービスの交換が人々をつなぎ、私たちは「他者」を思いやるようになっている。第三は世界の女性化で、女性の利益と価値がより尊重されるようになっている。

第四に、世界主義の役割があり、リテラシー、モビリティー、マスメディアが向上している。第五は「理性のエスカレーター」と説明するもので、人間に関する事柄に知識と合理性をあてはめることによって、問題解決の手段として暴力と戦争を用いることが無益であると人々に納得させる。

ピンカー教授はエジンバラ大学での2013年の興味深い講演でその考え方を詳しく説明し、聴衆からは、私たちは世界の協調によって資源/気候の問題を解決できるのか、それとも過去のように暴力、混沌、無政府状態が生じるのかとの質問が出された。

それに対してピンカー教授は思慮深く、次のように答えた。「もしかしたら(暴力、混沌、無政府状態に直面するかもしれない)、だが、必ずそうなるとは限らない」研究によれば、過去の大戦は第一に資源をめぐって起きたわけではなく、ほかの要因(恐怖、報復、イデオロギー)の結果であることが多いように見える。

それならば資源をめぐる戦争は、どのようにすれば避けられるだろうか? 答えは、効果のあるものに投資すること、それは明らかに世界をより平和なものにしてきた5つの力ということになる。

これに対し、民族国家は過去に暴力的道筋を歩んできた、司法制度は崩壊する可能性がある、商業は搾取に通じることがある、女性のリーダーは男性と同じように好戦的な可能性がある、メディアは真実をゆがめることがあると、論じる人々もいるだろう。しかし、途中で大きな問題が起こった場合でも、全体的な良い方向への変化に注目することが重要である。

私たちは効果のあるものに投資し続ける必要がある。それが私たちの社会経済的適応能力を高めることになるからだ。これは、技術的解決か共同体ベースの対応かに注目が集まりがちなエネルギー移行の議論に、大きく寄与することになるだろう。考え方の基本は、私たちは平和と社会発展を確実に維持し続けることを最優先の目標としなければならない、というものだ。世界をよりよい場所にするもの、世界をより平和で暴力の少ないものにすると歴史的に立証されているものに、重点を置く必要がある。素朴で理想主義的、あまりにも単純だとは思うが、それに代わる方法があるだろうか?

翻訳:日本コンベンションサービス

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著者

ブレンダン・バレット

ロイヤルメルボルン工科大学

ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。