グレゴリ―・トレンチャー氏は、日本の企業に向けて気候変動に関する教育を行う環境ラーニング研究所(http://www.k-learning.jp)の創設者である。現在は、東京大学大学院博士後期課程で気候変動問題・持続可能性の危機に取り組む高等教育機関の可能性について研究している。将来の夢は、日本のアルゴアになり、もらった以上の恩を地球に返すことだ。
国連大学のOur World 2.0リサーチ・コミュニティの主たるビジョンは、シンプルで希望に満ちている。気候、石油、食料、そして生物多様性が同時に脅威にさらされることで生じる破滅的状況をうまく克服すれば、私たちはより良い、一層協調的な世界を築くことができるに違いない。
これは、世界中の多くの個人、企業、NGO、政府が共有するビジョンだ。そして、これまでの対応としては、技術的なソリューション、すなわち「ハードウェア」の発展にもっぱら重点が置かれてきた。
再生可能なエネルギーはその一例だ。実際、低炭素で持続可能な社会を実現するための「ハードウェア」の追求はめざましい成果を上げており、人類は現在きわめて良好な状況にある。2050年までに再生可能エネルギーで世界のエネルギー需要の80%を賄うこともやろうと思えばできるのである。
気候の危機に対する解決策は手の届く範囲にある。それなのに理解しがたいのは、私たちが生物の種として今日まで、人類の未来すべてを不安に落とし入れるかもしれないと疑われている脅威への対応に、なぜ失敗しているのかということだ。私たちが「失敗している」という見方を受け入れられない人のために、目が覚めるような事実をここでいくつか指摘したい。
第 一に、この数年の気候変動に関する国際連合枠組条約の交渉プロセスは、「危険な」気候変動を回避するために、温室効果ガスの排出量の大幅な削減を保証する ポスト京都議定書の条約をまとめるまでに至っていない。実際、最近の研究によれば、先進国と新興国の現在の宣言した削減目標を合わせてみれば、2100年までに地球平均気温が4.1度にまで上昇していってしまうだろう、ということは決定的のようだ。
グリーンランド南東部のヘルヘイム氷河付近。崩れた氷河の青い氷の壁が、氷が溶けてできた湖をせき止めている。 © Henrik Egede Lassen/Alpha Film
第二に、気候科学界からの報告書は年々衝撃的になっている。知れば知るほど悪くなっているのだ。たとえば、オスロを拠点とする北極観測評価プログラムが最近発表したレポートでは、来世紀にかけて海面水位がさらに0.9mから1.6m上昇することが予測されている。このような重大な影響が海に及ぶことがすでにプログラムされており、人類が懸念すべきはツバルやナウルといった小さな島国の消失だけではない。
ハードウェアではなくソフトウェア
私たちは生態学的におそらく自己破滅に続く道を歩んでいるが、方向修正ができないまま、ここまで来てしまったことを考えると、「ハードウェア」のせいにし続けるのは、どうも無理がある。クライヴ・ハミルトン氏 と ダイアン・ダマノスキ氏 という2人の批評家に言わせると、私たちが「気候」や「環境」の危機と誤って称しているものは、実は近代文明の根幹にある知的危機が表層に現れ出たものなのだ。
この2人の著者が口を揃えて言うのは、私たちの抱える困難の根源が、私たちの現実認識にあるということだ。彼らは、私たちが共有する世界認識、すなわち、原子論的あるいは機械論的な物質主義、二元論、人間中心主義、分離性、還元主義などの原則に基づく世界認識は、約300年前に「科学革命」の触媒となった、時代遅れの科学的洞察によって形成されているところが大きいと主張している。言い換えると、私たちの危機はハードウェアではなくソフトウェアの危機なのだと。
この主張の背後にある論理はシンプルだ。現実と宇宙について私たちが共有する認識は、手引きの役割を果たし、特定の行動を正当化すると同時に、私たちの信念や価値観にも影響を及ぼす。
何千年もの間、私たちは経済的および社会的な発展を通して、より良い生活を追求してきた。 しかし近代において、私たちは物質的利益や経済成長に重点を置くあまり、世界経済が活動を展開する横から、その現場たるまさに物理的な場所を破滅に追いやっているのだと知ってさえ、別の行動を選べないところにまで来てしまっている。
新たな意識の種
しかし、経済が不安定で生態系の破壊が進む今日、代替パラダイムが出現する兆候はめざましく増えている。そのパラダイムは意識、精神、一体性つまり非二元論、相互関連性、全体論などの原則に基づくものだ。
世界中の多くの個人、企業、科学機関が、科学革命以降、人類と母なる地球との難しい関係を特徴づけてきた世界観から離れようとし始めている。
驚いたことに、著名な思想家の中にも、現に気持ちを高ぶらせながら、私たちの苦しい状況から意味を引き出している人たちがいる。オーストラリアで気候変動問題に関わって活動を行っているティム・フラナリー氏の見解によれば、人類という種は「超個体」に進化する途上にある。そうなるといずれ地球市民は、たとえばアリのコミュニティで見られるのだが、組織や集団といった観点から国籍や国家の利益や機能を捉えたりはしなくなる。
これは福音だ。というのは、私たちの文明を脅かしている環境や地球上の課題はあまりにも大きく、1つの国や1つのグループでは解決できないからだ。
新たに出てきたこの「グローバル族」というビジョンは、もちろんオンラインの活動でもよく目にする。グローバル・ワンネス・プロジェクトの示唆に富むショートフィルムもその1つだ。
このようにグローバルな種への転換期においては、私たちが現在目にしているような生態学的および社会的な激変は、進化の一部として必要なのかもしれない。ノエティック・サイエンス研究所のロバート・アトキンソン博士もこの見方を提唱しており、次のように指摘している。 「……私たちが直面している危機はこのプロセスにおいて不可欠なのです。それらは私たちの精神的な成長を加速させ、進化を促進します」
この変化の1つ の側面は、国民国家というような従来の政治的存在に対する私たちのアイデンティティに関わっている。「デジタル・ネイティブ」を中心に、特定の国やグルー プに帰属するという概念から離れ、世界市民であることを自認する個人がますます多くなっている。実際に、ワールド・パブリック・オピニオンが行った調査で は、18歳から29歳の人たちの内、34%が自らを世界市民だと考えていることが分かった。
毎日、70万人がフェイスブックに新たに登録する時代において、このプロセスがインターネットや国際貿易および交流のさらなる普及拡大によって勢いづくことは間違いない。
人類と宇宙の一体性
すべての人間は究極的に1つ であるという考え方は、私たちは出来事や現象を総体的に見始めなければならないという概念にも合っている。分離性や還元主義からこの認識へのシフトは、生 物学や生態学などの多くの科学分野で見られる。これらの学問においても、従来の科学的分析としては、特定の集合体や全生態系の一部に焦点を合わせ、その結 果を融合して、全体についての説明を導き出すのが普通だった。
だが、物理学者のフリッチョフ・カプラ氏が1980年代初期から記録してきているよ うに、生命体や物質的存在が自然界とは独立しているという考え方が疑問視されるようになってきた。これは、全生態系を作り上げている、一見したところでは 分離している実体が、実はきわめて複雑な形で相互に関連していて、かつ自己組織するエネルギーと物質のネットワークであるという知見に基づいている。
この気づきは、科学的探求と、「全体はその個々の部分の総和より大きい」というアリストテレス派の真実に対する遅すぎた認識にパラダイムシフトをもたらした。
この体系の見解は、地球上のすべての生物は相互に関係し、依存しあい、より大きな生命圏の一部を成しているという結論に結びつく。実際に、ジェイムズ・ラブロック氏のガイア理論の中核を成しているのはこの概念だ。この新たな現実認識において、無機質な地球という近代主義者の概念は、有機的な惑星生命体という概念に取ってかわられる。そうすると、私たちは人間もまた生物共同体の市民と考えられるようになる。
現代科学においてこのような認識転換が起きた結果として、無数の先住民族の世界観において共通して見られる機智、つまりすべての命は1つであるという思想が、欧米の科学の見地からも信憑性を帯びてきた。人間も含めて、すべての生命は全体として生きる上で欠くことのできない要素になり、それは惑星全体の生命維持バランスを持続させるという目的を持っているのだ。
この哲学からは思い出すのは、アリから海まで、バクテリアから象まで、地球上のすべての要素は神聖で価値があるということだ。ラブロック氏自身も次のように指摘していた。「これらの1つでも地球から排除したら、私たち自身の一部を破壊することになるのです。なぜなら私たちもまたガイアの一部なのですから」
宇宙の構成単位の再定義
自然は機械的な法則に合致するただの無機物で構成されているという信念については、長い間、著名な自然科学者からも異論の声が上がっていた。量子論を提唱して1918年にノーベル賞を受賞、20世紀で最も重要な物理学者に数えられるマックス・プランク氏(1858-1947)は、ハードサイエンスの領域でこのパラダイムシフトを最初に口にした1人だ。彼は「意識的で知的な精神」が原子の粒子を振動させ、1つにまとめると述べ、このような精神が「あらゆる物質のマトリックス」であると語った。
この概念は近年、統一場理論によってさらに発展している。量子物理学者のジョン・ハゲリン氏によると、この理論は、宇宙のすべての法則が由来する「自然界において単独かつ普遍的な知性の場」を明らかにするのに成功した。
近 代の世界観に挑むこうした量子論的見方においては、すべての物質は知性と意識の普遍的な海を物理的に反映したものにすぎない。宇宙の最も基本的な構成単位 を形成するのは意識である。言い換えれば、もはや物理的世界は、近代科学において機械的かつ物質的な視点から唱えられたような、物質や運動の単なる集合体 とは考えられない。
システムのアップグレードが必要
過去250年 にわたり、工業化社会は近代科学の物質的世界観に毒され、不完全で危険な現実理解の上に文明とアイデンティティのすべてを築き上げてきた。この世界のすべ てが相互に結びつき、生きているということに着目することはなかったのだ。その結果、私たちは個人、そして国家の行動を通じて経済的な「発展」をただひた すら追い続けてきた。さらに悪いことには、個人であれ集団であれ、そうした尺度で「幸福」を定義することを認めてきたのである。
何より必要なのは、「オペレーシング・システム (OS) ホモサピエンス」のアップグレードだ。 気候変動に関する国際的な交渉が各国の利益に基づいて進められる限り、失敗は免れない。近代科学の物質主義的レンズだけで現実を解釈する限りは、自然界に どんな損害を与えようと、私たちの物質的存在を改善あるいは維持する目的があれば正当化される。経済は常に環境より優先されるのだ。
まだプロセスの途上ではあるが、本記事で概要を示した新たなビジョンの片鱗は、21世紀を通じて私たちの集団としての行動と意思決定を導く、人類の新たな知性を形成しうるのではないだろうか。
最 も重要なのは、この新たな現実認識が、精神と物質の間の大きな溝を埋め、近代科学によって内なる生命に関するあらゆる概念が否定されてきた物質世界に「再 び魔法をかける」貴重なチャンスを呈していることだ。自然が生きていて、それ自体に特有の価値を持つと考えられる世界においては、経済成長の名の下に地球 環境を破壊し続けることは誤りとされる。そうなれば、地球上の気候問題や生態系保護への取り組みは、至極当然のこととして進められるようになるかもしれない。
地球で最も優れた科学者たちの中に、地球も人類も生きていて、相互に結びついているという新たなビジョンを唱える人たちが出てきたことは、決して些細な出来事ではない。
翻訳:ユニカルインターナショナル
人類のソフトウェア もうすぐ更新へ by グレゴリー・トレンチャーr is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.