海洋食物連鎖中の残留性有機汚染物質

世界の多くの地域において、沿岸部の生態系は、人口過多や過剰な開発、都市化、資源濫用、汚濁、外来種の拡散などにより、甚だしい重圧にさらされている。多くの人が、21世紀の世界が直面する最重要課題の1つに挙げる気候変動も、これらの要因に拍車をかけると予想されている。

海洋哺乳類を注意深く観察すると、気候変動や、工業化学物質および農業薬品の使用方法、海中の生物多様性の減少の結果として、残留性有機汚染物質(persistent organic pollutants:POPs)の濃度が世界的にどのような傾向にあるかの一端をうかがうことができる。海洋哺乳類は脂肪量が多く、鯨類や鰭脚類の多くの種は、海洋食物連鎖のまさに頂点を占めているので、高い濃度のPOPsが蓄積されるのだ。

世界の一部地域では、POPsは人間の健康にも影響を及ぼすことがある。というのは、それらの地域では、海洋哺乳類(シロイルカ、アザラシ、セイウチ、イッカク、ホッキョククジラなど)が伝統料理や郷土料理に使われるからだ。たとえば、カナダの沿岸地域とその付近に居住する先住民族は、これらの野生動物を捕獲し、食用にしている。

カナダのトレント大学で流域科学研究所(Institute for Watershed Science)の所長を務め、また国連大学の水・環境・保健研究所にシニア・リサーチ・フェローとして所属するクリス・メットカルフェ博士が、この重大な問題に関する質問に答えてくれた。

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Q: 残留性有機汚染物質(POPs)とは何かを簡単に説明していただけますか?

POPsは、人工的に作り出された化学物質で、いったん環境中に放出されたら簡単には消えません。それらは食物連鎖中に蓄積する傾向があり、人間を含めて、食物連鎖の高位に位置する生物に健康被害をもたらす恐れもあります。場合によっては、PCBのような化学物質が、使用が禁止されてから数十年にもわたり、残留し続けることがあります。ストックホルム条約は当初、12種類のPOPs(「ダーティー・ダズン」)を世界規模で禁止すべき化学物質として定め、185ヵ国がこの条約に批准しています。最近では、さらに9種類のPOPs(「ナスティ・ナイン」)が対象に加えられました。残念ながら、ストックホルム条約で新たに認められたこれらのPOPsの中には、国によって規制が免除されているものもあります。

Q:なぜ海洋哺乳類において特に高い濃度のPOPsが蓄積されるのでしょうか?

海洋哺乳類は脂肪を多く蓄える傾向があります。ほとんどのPOPsは脂肪に蓄積する傾向があるので、海洋哺乳類はこれらの化学物質を大量に蓄積しやすいのです。さらに、海洋哺乳類は海洋食物連鎖の頂点に位置することが多く、POPsは食物連鎖の底辺(プランクトンなど)から頂点に上がってくるまでに「生物濃縮」 されます。そして最後に、海洋哺乳類は脂肪分に富んだ母乳を子どもに与えるため、母乳を介して汚染物質が母親から子どもに移行します。子どもは生後間もない頃から、健康に悪影響を及ぼすPOPsを取り込むことになります。

Q: 海洋哺乳類の中で最も高濃度の蓄積が見られるのは、どの個体群ですか?

カナダのブリティッシュ・コロンビア州から米国のワシントン州の太平洋岸に生息しているシャチが現在のところ、世界で最も汚染されている動物として知られています。特に顕著に見られるのは、この地域を通過しながら、アザラシなどの他の海洋性哺乳類を主に捕食する「回遊型」シャチの個体群です。POPs汚染に関してシャチに次ぐ濃度の蓄積が見られる個体群は、カナダのセント・ローレンス河口域に生息するシロイルカ、それにヨーロッパのバルト海に生息するアザラシです。

Q: POPsが健康を脅かすほどの濃度で海洋哺乳類の体内に存在することを示す証拠はあるのですか?

高濃度のPOPsが海洋哺乳類の体組織に存在し、繁殖成功度の低下や胃腸系ガンの急増、感染症の罹患率の上昇につながっていることを示す証拠が次から次へと出てきています。

Q: 人間についてはどうでしょうか? どのような人々が、どのような経路で影響を受けているのでしょうか?

POPsの影響を特に受けやすいのは、海洋哺乳類を主な食料としている人々です。海洋哺乳類を食用にしている、カナダ北部の沿岸部に居住する先住民族やデンマークのフェロー諸島の人々が健康上の被害を受けていることを示す証拠があります。そのほか、感染症の罹患率の上昇もその影響かもしれません。また、子どもたちの認知発達においても、わずかではありますが、測定可能な影響が見られます。

Q: ストックホルム条約は成果を上げているのでしょうか。つまり、海洋哺乳類に蓄積されたPOPs濃度は上がっているのでしょうか、下がっているのでしょうか?

少なくとも、当初に定められた「ダーティー・ダズン」と呼ばれる12の物質については、世界各地で海洋哺乳類に蓄積している濃度は少しずつ下がってきています。ただ、これが世界全体でPOPsが減少していることによるものなのか、世界規模の変化で捕食習慣が変化してきたからなのかは、常にはっきりしているわけではありません。たとえば、セント・ローレンスのシロイルカのPOPs濃度が低下したのは、セント・ローレンスおよび五大湖の生態系において、北米ウナギ(ベルーガの好物で脂肪分が多い)が減少していることの方が、関係が深いかもしれません。

Q: 世界規模の変化はPOPsにどのような影響を及ぼしていますか? 気候変動は大きな意味を持っていますか?

気候変動が、POPsの大気中の拡散や、氷河中のPOPsの放出などに影響している証拠があります。ただし、これが海洋哺乳類におけるPOPs濃度に影響を及ぼしているかどうかを判断するのは時期尚早です。また、気候変動が海洋哺乳類の食料源、栄養構造、移動パターンに変化を引き起こす可能性についても証拠があり、これは、一部のPOPsの生物濃縮や蓄積に影響を及ぼすでしょう。恒温動物は周囲の温度に影響されやすいため、温度上昇に伴ってPOPsの毒性は増えることもあれば、減ることもあるでしょう。

極地は特に気候変動の影響を受けやすいのではないかという懸念があります。実際に、これらの地域では、栄養段階が高い海洋種(ホッキョクグマやハクジラなど)から、きわめて高い濃度のPOPsが検出されています。したがって、気候変動とPOPsの関係で最も懸念されるのは、栄養段階が高いこれらの海洋哺乳類のことです(ノイエら 2009とレッチャーら2010など)

Q: この分野における UNU-INWEHの役割をまとめてお話いただけますか?

UNU-INWEHは、海洋哺乳類のPOPs分析には関わっていませんでした。しかし、最近、2007年から2010年にかけて行われた、カリブ海沿岸汚染プロジェクト(Caribbean Coastal Pollution Project:CCPP)が終了しました。CCPPは、カナダ国際開発庁のカナダ残留性有機汚染物質基金(Canada Persistent Organic Pollutants Fund)を通して、世界銀行の支援を受けていました。このプロジェクトには、ベリーズ、グアテマラ、ホンジュラス、メキシコ、ドミニカ共和国、ジャマイカ、セントルシア、トリニダード・トバゴの8ヵ国が関わっていました。過去の評価および調査から、POPsによる汚染は、より広範なカリブ諸国の沿岸環境において、生態学的または人体の健康上の懸念材料となっているにもかかわらず、これらの汚染を監視、管理する知識と人材が不足していることが明らかになっています。

UNU-INWEHはこの問題に対処するために、カナダの2団体と地域内の16団体をパートナーとして、CCPPを開始しました。目的は、沿岸の魚類(アオスジイサキなど)のPOPs濃度を評価すること、カリブ海の海洋資源に関してPOPsの監視を行う人材を育成することでした。私たちは目下、グローバル・エンバイロメント・ファンドが資金を提供するプロジェクトに貢献して、カリブ海およびラテン・アメリカ沿岸のPOPsの削減に引き続き関われるかどうか、回答を待っているところです。

Q: 国連大学サステイナビリティと平和研究所は、島津製作所の支援により、1996年以来、アジアの途上国に科学的トレーニングや技術を提供して、POPsの監視および管理の手助けをしてきました。「アジア沿岸水圏における環境測定と管理」のプロジェクトの役割や成果について、ご意見はありますか?

このアジア水圏プロジェクトは、2006年、CCPPプロジェクトを策定する際、まさに議論の土台になったものです。 UNU-INWEHのディレクター、アディール・ザハール博士(かつては東京を拠点にしていました)は、過去にこのPOPs水圏プロジェクトに関わっており、そこから、他の地域の沿岸でもPOPs汚染プロジェクトを行えないかと議論を始めたのです。

私は最近、このプロジェクトの支援を受けた、ベトナムのハノイ大学にある研究所の1つを訪問しました。国連大学と島津製作所のこれまでの支援が実り、POPsやその他の汚染物質を監視するプログラムの実施において、所員の皆さんは非常に高い能力を有していました。彼らは特に、能力をいっそう高め、「ナスティ・ナイン」に含まれるPOPsの分析をすることに高い関心を持っています。この分野では、UNU-INWEHが力になれるでしょう。

翻訳:ユニカルインターナショナル

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海洋食物連鎖中の残留性有機汚染物質 by クリス・メットカルフェ is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

クリス・メットカルフェ博士は国連大学水・環境・保健研究所(UNU-INWEH)の水・保健ネクサス(Water-Health Nexus)分野におけるシニア・リサーチ・フェロー。オンタリオ州ピーターボロにあるトレント大学では、環境資源研究プログラム(Environmental and Resource Studies Program)の教授の任についている。現在は、同大の流域科学研究所(Institute for Watershed Science)の所長も務める。同研究所は目下、UNU-INWEHと協調して、カナダ北部の遠隔地に居住する先住民族のコミュニティで、飲用水の水源保護にあたる人材を育成している。メットカルフェ博士はこれまで、メキシコおよびエクアドルにおける流域管理プロジェクトの指揮、インドネシア、キューバ、アルゼンチン、カリブ地域の諸機関における研究および生態系管理能力の向上などに尽力した経験を持つ。