ヨハン・デュプイ氏はライプツィヒ大学およびローザンヌ大学で政治学を学び、ローザンヌ大学で文学修士号を取得した。2009年よりスイス公共行政大学院にて博士候補になっている。専門分野は環境政策で、主に気候変動に関わっている。現在は、適応政策の策定と実施を阻む障壁を研究中である。その一環としてこれまでにインド、ペルー、スイスの適応策についてケーススタディを行っている。
気候変動の影響は世界各地ですでに観察されるようになっており、気候変動に関する政府間パネルによると、今世紀いっぱい、平均気温が上昇を続けるのはもはや避けられそうにない。早期適応のメリットが広く知られるようになる一方で、京都議定書の今後についての疑念が強まるなか、気候変動適応は政治課題としてこれまで以上に重要になっている。
適応のための政策を追加する必要性は、1992年の気候変動に関する国際連合枠組条約(UNFCCC)の批准の際にすでに認識されており、今もおそらく国際公共政策分野では最も注目されている問題の1つである。それにもかかわらず、適応策の実施にはいまだに問題があるようだ。実際に、適応政策は世界中で盛んに論議されていながら、具体策に至っていない状況がしばしば見られる。これでは適応政策は「抜け殻」同然だ。これは先進国でも途上国でも見られる問題である。
具体的な政策を効果的に実施するのが困難であることについては、さまざまな阻止要因があると言われている。そのなかには環境によるもの(自然の制約)、経済的なもの(貧困レベル、資金不足)、技術的なもの(知識不足、適切な技術が利用できない)、それに国家機関の力不足などが含まれている。
この見方からすると、後発開発途上国の問題は、自主的に適応政策を計画し、成功させるだけの備えがないことだと推測される。逆に、経済協力開発機構(OECD)各国は、一般的にそのような制約には縛られていないので、適応政策を実施、成功させることができるはずである。
だが、研究者はこのような単純な見方に批判的だ。彼らはノルウェーの事例を取り上げて、高度に発展した国だからといって国や公共の行政機関が具体的な政策を掲げて脆弱性の問題に取り組めるわけではないことを明快に示した。そこではっきりしたのは、経済、環境、技術といった物理的な要因の他に、適応政策の実施を阻止している社会的あるいは政治的な要因があるらしいということだ。それはどういったものだろうか?
私は政治学者として、政策決定のレベルで、適応策の策定と実施を阻止している特定の要因があるのかどうかを調査したいと思った。そこで、私はスイスの事例を取り上げることにした。スイスは高度に発展した国である。またアルプス山脈を抱き、氷河と雪が経済的にも文化的にも重要な意味を持つ。したがって、気候変動の影響は非常に大きい。
ヨーロッパのほとんどの国では適応戦略の策定が終わっている。ところが、スイスは気候変動に対して物理的に脆弱であるにもかかわらず、まだその作業の最中だ。そのうえ、下院(国民議会)は最近、気候変動の影響に対して政策調整を行う権限を連邦政府に与える適応法案を否決した(この法案は上院で再び審議されているが、この記事が発表になる頃には、まだ最終決定には至っていないはずだ)。
ヨーロッパのほとんどの国では適応戦略の策定が終わっている。ところが、スイスは気候変動に対して物理的に脆弱であるにもかかわらず、まだその作業の最中だ。
このように、政策決定レベルで適応政策の実施を阻止する何らかの要因があるのなら、スイスはそれらを明らかにするのに最適なテストケースになりうる。
コンピュータによるテキスト分析を用いて、私は政府や各政党が気候変動に関して発表している公式見解のほとんどを分析した。これで、政策決定者が公式見解において気候変動適応をどれほど重視しているかを推測できた。また、政策決定者が気候変動適応を世界のどのような考えや概念に合わせて考えているかも検討できた。その結果は非常に示唆に富むものであった(査読論文の全文はこちらからご覧ください)。
最初に明らかになったのは、政策決定者が適応についてほとんど言及していないことだった。脆弱性評価により、山脈地域の一部の経済が積雪量の減少によって大打撃を受けること、原子力発電および水力発電が気候変動の悪影響を受けることはわかっている。それにもかかわらず、政策決定者は国の経済およびエネルギー供給の問題として適応を重要だと思っていないのである。
さらに彼らは、適応は主に新興国の問題で、スイスのように高度に発展した国はまず関係ないと考えているようであった(何しろ、国会で適応策を大多数で否決したほどだ)。
最後に、適応に対する見解は、左翼政党と右翼政党で大きく異なっていた。右翼政党にとっては、気候変動の緩和策やそれがエネルギー供給や経済成長に与える影響といった問題が最優先で、それに比べると、適応は重要性の低い問題と考える傾向があった。
これらの結果を踏まえて、この調査からどのような教訓が引き出せるであろうか? 適応への障壁は先進国と途上国の両方に存在するが、その間には差があるようだ。開発が進んでいない国々では、物理的なリソースの不足が今もなお、適応政策の策定と実施を遅らせている主な要因だ。他方、行動の必要性がそれほど明確でない先進国では、適応政策の政治的な実現可能性と受容可能性の方がより大きな問題である。
適応策の導入は、政策の変更と見なされ、大きく取り上げられることが多いにもかかわらず、必ずしも政治的に実現可能でもなければ、受容可能なものでもない。実際に、多方面に影響を与えたポール・サバティエ氏の研究によると、政策決定で役割を果たす政党連合は、自分たちの核となる思想に反する政策を拒否するものだ。また、一般的に適応政策は政府によって先行的に、予想に基づいて計画されるが、それが政治的に受容されるには2つの前提条件がある。それは、予防原則(気候変動による将来の不確かな影響の予測)を徹底させること、そして、これまで規制されなかった社会的側面において国のリーダーシップを確立することだ。
このように、適応政策は予測に基づいて計画されるものだけに、そこに込められた価値は右翼政党に却下されることが多い。彼らは環境問題で戦う時でも大抵、自由主義や「自由放任主義」のアプローチで臨むのだ。私がスイスの事例で明らかにしたこのパターンは米国でも顕著だ。特に目立つところでは、国が気候変動に適応しようとするのに対して、多くの共和党員があからさまに敵意をむき出しにしている。
この調査で明らかになった政治的障壁に立ち向かうのに、方法は2つしかないと思われる。第1の方法は、地域に与える影響のモデルの精度を向上させつつ、科学的な結果を社会に正確に伝えることだ。これは実際、調査を進めたり、関係者や意思決定者に取材を行ったりする間にきわめて重要だと気づいたことの1つなのだが、モデルを用いた影響予測とそれを現実に置き換えたものの間にはまだ差がある。
明らかに、研究結果を影響のありそうな経済活動に応用したとしても、関係者や意思決定者が即座に知ることができるかというと、そうではない。気候モデルの不確かさが意思決定を鈍らせているのは確かだ。しかし、そもそも研究結果を分析しながら、同時に特定の活動分野や地域にあてはめて提言を行える専門機関もないのである。それなら、気候変動の専門家と業界アナリストの両方を擁する諮問機関を創設すれば、気候変動に関する研究結果を関係者と政策決定者の双方によりわかりやすく伝えられるのではないだろうか。
第2に、適応政策はまだ誕生してから日が浅く、トップダウンの官僚的モデルで計画されていることが少なくない。だからこそ今でも、適応政策を進めると、国が民間に意見を押し付けているとか、政治に関わる人たちの管理業務を無駄に増やしていると思われるのだ。悪くすれば、そのなかでも弱い立場の人たちがそれで恩恵を受けるように仕向けているとさえ言われる。こういった疑念や抵抗感を確実に減らすには、どこに政策の重点を置くかを考える必要がある。気候変動の影響予測を日々のビジネスに自ら進んであてはめて考えるように、個人の認識を高め、納得させることがカギとなるだろう。
気候変動への適応策は主に新興国の問題で、スイスのように高度に発展した国はまず関係ないと考えているようだ。
もちろん簡単なことではなく、長い時間がかかるかもしれない。進め方としてはもちろん、啓蒙キャンペーンや教育プログラム(多くの場合、すでに既存の適応政策に取り入れられている)も有効だが、法規制を変更するのも1つの方法だ。
たとえば、環境に悪影響を及ぼす恐れがある事業に携わる企業や個人は一般的に環境影響評価を行うことを義務付けられるが、そのなかに気候変動予測を取り込むことを求めるのだ。
適応政策の役割が、関係者の現在の行動を変えさせ、将来の気候変動の影響を総合的に予測し、気候変動に対する脆弱性を改善することなら、それは気が遠くなるほど困難なことだ。技術や資金以上のものが必要である。今の世界では、個人も全体も目先の利益にとらわれているが、私たちはそこから転換することを迫られる。目指すべき世界では、自然あるいは経済に及ぶ将来のリスクに基づいて今日の決定を行うのである。
翻訳:ユニカルインターナショナル
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