気候変動で北極の甘い汁に群がる国々

北極圏には2100万平方キロメートルの面積に400万人が暮らしている。この面積はスイスの約500倍だ。場所の孤立性と厳しい気候のため、この地域は長い間地図上でも空白で、政治的にも経済的にもせいぜいシロクマか悪名高いソ連の流刑地ぐらいしか知られていなかった。

しかし気候変動が起こり、ここ数年で劇的な変化が起こりつつある。北極評議会は2004年の「Arctic Climate Impact Assessment(気候変動に対する北極気候の影響評価プロジェクト)」で初めて北極の海氷が大々的に解けていることを発見した。この傾向は現在も続いており、2011年9月には氷冠は1979年以来2番目に低いレベルに減少している。

気候活動家や科学者は氷の減少により太陽光の反射量も減り、気温をさらに上げることになる、と警告している。そして氷の融解によって海面上昇が加速される。だが、この悪循環は恐怖だけではなく希望ももたらしている。アメリカ地質調査所によると、従来の方法で採掘可能な原油の13%と全ての天然ガスの30%が北極に存在している。そのうち84%が沖合いの海に眠っているのだ。ここ数年、融解のペースが加速する中、巨大な油田とガス田に初めてアクセスが可能になりそうだ。よって北極の近隣諸国は、たとえ過酷な環境であっても、化石燃料の採掘に意欲を高めている。

石油とガス採掘地

北極の天然ガス埋蔵量の70%はロシア領土にあると考えられている。そのため現在、ロシアが北極で最も活動的なのもうなづける。昨年、ロシア最大の石油会社ロスネフチとエクソンモービルによる北極における原油とガスの共同開発の提携が発表された。何十億ドルもの資金が今後このプロジェクトに投資されるだろう。ヨナス・グレーツ氏は「ロシアは北極の現状から最大の利を得る国の1つ」だと確信している。 Grätz 氏はスイス連邦工科大学チューリヒ校安全保障研究所(CSS)の科学者であり、この地域の紛争の可能性に関して行った分析をまとめ出版した。

グレーツ氏によると、ロシアの今後の経済成長は新たな化石燃料資源に依存しているという。北極の過酷な気候条件や流氷のため採掘は依然として危険でコストもかかる。だがほかの北極の近隣諸国には温帯地方で別の資源入手方法があるのに対し(カナダはオイルサンド、アメリカはシェールガスを自国で産出している)、ロシアにはそのような選択肢はない。

貿易ルートの短縮

さらにグレーツ氏は、ロシアが再び北極に関心を示しているのは、もう1つの有望な可能性があるためだと言う。氷が解けるにつれ、貿易ルートが開かれる。かつてそれらの貿易ルートは叢氷(そうひょう)のため短期間しか航行できなかったり、砕氷船を使ってしか航行できないなどの問題があった。特に「北極海航路」はヨーロッパからアジアへの移動距離を3分の1ほど短縮できる。2011年9月、長さ280メートルのロシアのスーパータンカー「ウラジミール・チーホノフ号6」が初めて北極海航路を航行し、今後の展望を示した。この船籍は120トンのコンデンセートを載せ、これまでのスエズ運河を航行するのではなくベーリング海を通り、タイの目的地にたどり着いたのだ。

グレーツ氏は、短期的には北極海航路が海運業で使用されている既存の「高速道路」の代わりになり得るとは思っていない。貨物船の保険料はあまりに高額なためそれは難しいだろうし、停泊や積荷のためのインフラは整っていない。さらに、ロシアの沿岸を通る輸送船には許可証が必要であり、それが遅延の原因ともなる。しかしグレーツ氏の分析によると、長期的にはスマトラ沖のマラッカ海峡やスエズ運河などの従来の海峡は今後国際貿易において重要性が低くなることはあり得る。

新たな地政学的主張

その間、ロシアの北極における主な関心事は、貿易キャパシティと軍事的存在力を拡大することにある。ロシア海軍の3分の2がこの地域に駐留している。モスクワはその船隊への投資、沿岸のインフラ拡大と新たな石油精製所建設を計画している。同時に新しい国境警備隊が編成され、追加の部隊が沿岸に派遣されている。このような動きは、この地域におけるロシアの存在を誇示し領土権を主張するための努力以外の何物でもないとグレーツ氏は見る。「モスクワは北極をエネルギー政策の側面からだけでなく、地政学的視点からも見ています」と氏は説明する。

だがこのような見方はアメリカ、中国、EUの抵抗に遭っている。これら国々はいずれもロシア沿岸の北極海航路は国際航路であり、全ての国がいかなる許可証も必要とせず航行できるようにすべきだと再三主張してきている。しかしロシアは全く異なる立場を取り、北極海航路はロシアの内水の一部だとしている。グレーツ氏は、ロシアは歴史的にはこの地域を通して自国を定義したことはないが、北極の経済政策、安全保障政策活動はロシア人エリートにとってのアイデンティティを築くためのプロジェクトなのではないかと考えている。そして2007年には非常に象徴的な出来事が起きた。ロシアの小型潜水艦が北極点周辺の海底にこれ見よがしにロシア国旗を立てたのである。

大きな影響力のある小さな島

とはいえ、領土権を主張しているのはロシアだけではない。ノルウェーもこの地域には強い関心がある。「ノルウェーの経済成長には新たなガスと石油の輸出市場が欠かせません」とグレーツ氏は言い、ノルウェーが世界第二の石油輸出国9であることを指摘した。特にノルウェーのスバルバル諸島10は議論の的となっている。1920年に締結されたスバルバル条約は、加盟国40カ国(スイスを含む)が等しくこの諸島で研究を行い、資源を採掘する権利を有するとしている。

しかしながら、その権利が周囲の海底にまで及ぶかどうかは意見が分かれるところだ。ノルウェーは、条約は海底にまでは及ばないと主張し、他の参加国の説得を試みたが、うまくいかなかった。グレーツ氏自身も、NATO加盟国ですらノルウェーの主張を一貫してはねのけ続けていることをリサーチの過程で知って驚いた。天然ガス採掘のための信頼できるパートナーを築くことよりも、主権の利害の方が重要のようだ。

スバルバル条約に加盟している中国、インド、韓国などもこの地域にリサーチセンターを設立し、北極での支配力を強めようとしている。「まるで、領土権が完全に明確でない地域でさえあれば、各国が自国の旗を立てたいと考えているかのようだ」

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本論はスイス連邦工科大学チューリヒ校(Eidgenössische Technische Hochschule Zürich)が発行するオンライン・マガジン「ETH Life」のご厚意で掲載しました。

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著者

サムエル・シュレーフリ氏はジャーナリズムへ転向する前、研究助手として国際企業に5年間勤務。チューリヒ応用科学大学ヴィンタートゥール校およびドイツのハンブルク応用科学大学(HAW)にて、ジャーナリズムと組織内コミュニケーションを学んだ。在学中と卒業後に、Andelfinger Zeitung(アンデルフィンゲン行政区の新聞)、ケルンのSK Stiftung Kultur(SK文化財団)、ヴィンタートゥールのBellprat Associates(ベルプラット・アソシエイツ、建築・デザイン会社)、オンライン・マガジン「ETH Life」編集部で研修生として働いた後、フリーの編集者となる。2009年に再びCorporate Communications(ETHの広報部)に参加。現在は編集部で「ETH Globe」(外部向けの雑誌)や日刊のオンライン・マガジン「ETH Life」の編集に携わる。