カンボジアにみる水力発電の代償

世界全体のエネルギー需要が急増する中、ますます多くの水力発電ダムが建設されている。なぜなら水力発電は、水源に恵まれた国では実効性のある「グリーンな」選択肢だからだ。理想的な条件下なら、ダムはエネルギーの安定供給を確保できるだけでなく、雇用を増やし、その近隣に住む人々の生活条件を向上させることも可能だ。

当然のことながらダムの建設は、周囲の生態系やダムの影響を受ける地域の人々の生存や人権への影響について、深刻な懸念を引き起こしてきた。

代償を伴わないダムは決して存在しない。だからこそ、水質の悪化や土壌劣化、ランドスケープに与える物理的変化、河川の自然な流れを止めることによるネガティブな影響といった問題について、活動家も科学者も政策立案者も一様に議論してきた。

ところが、ダムの上流や下流のコミュニティーにおける食料不足とダム建設には強い関連性があるにもかかわらず、食料安全保障と水力発電という、より広義な関係についての学術的研究はほとんど行われていない。国際連合食糧農業機関(FAO)は食料安全保障を「すべての人々が、いかなる時にも、活動的で健康な生活を送るために十分な食料を手に入れられること」と定義している

世界的な食料価格の高騰、気候変動、開発途上諸国におけるエネルギー需要の拡大傾向といった現在の状況下ではなおのこと、水力発電と食料安全保障の関連性は強い。

上昇気流に乗る国

カンボジアの人口とGDPは増加しつつあり、電力需要も同様に増えている。現在操業中のダムは2カ所のみであり、カンボジア政府は積極的に新しい水力発電所の建設を促進している。その一方で、ミレニアム開発目標(MDGs)を達成するために、カンボジアが克服すべき主要課題は、農村部の高い貧困率、低い公平性、なかなか低減されない食料不足率である。

農村部のカンボジア人は自然資源に大きく依存しているため、水力発電から生じる自然環境の変化に対して非常に弱い。

2011年4月、カンボジアはベトナムと共同でセサン川下流に7億USドルをかけて水力発電所を建設することを発表した。建設は今年の年末から始まる予定だ。この共同事業によって、約5000人の人々は移住を強いられる。さらに、ラオスとベトナムとカンボジアを流れるセサン川、スレポック川、セコン川、すなわち「3S河川」地域にすでに存在するダムが引き起こした水質の悪化や不規則な水流、魚種資源の減少といった問題がさらに悪化するのではと懸念されている。

多くの先住民族(ジャライ族、タムプアン族、クルン族、プラオ族など)の暮らしと文化は、密接に河川の自然サイクルと関連している。より一般的には、農村部のカンボジア人は自然資源に大きく依存しているため、水力発電から生じる自然環境の変化に対して非常に弱い。(農村部に住むカンボジア人は推計1000万人だが、そのうち850万人以上が生計を自然資源に頼っており、漁業や稲作農業が主要な役割を担っている)

先住民族の多くはカンボジア北東部のラタナキリ州に住んでいる。同地を流れるセサン川は1996年以来、水力発電による深刻な生態学的および社会経済学的影響を受けてきた。上流に計画された3つのダムの1つ(ヤリ滝ダム)がベトナムに建設されたからだ。

セサン川沿いの農村地域は、ほぼ毎年3カ月から6カ月間、食料不足の状況となる。その原因は完全に水力発電計画の影響だとは言えないまでも、その相関関係が著しいことはフィールドワークによって明らかになっている。国連世界食糧計画(WFP)は、ラタナキリ州の農村地域の世帯は外的ショックによる影響を受けやすいと報告している。外的ショックは彼らが生計を失う主な原因であり、病気の発症や農作物の損害や家畜の死亡も要因でもある。

ダムはセサン川の自然な流れを阻害し、予期できない洪水や干ばつを起こす上、その被害は以前よりも深刻になった。突然の鉄砲水は、貯水池から放水される夜間に起こることが多く、家屋や道路にダメージを与え、近隣の市場へ行く手段を絶ってしまう。いくつかの研究では、(魚や農産物や森林生産物が入手困難になるため)自然資源を利用している世帯の約半数がストレスを負っていると報告されている。

「約2ヘクタールの広さだった私たちの水田は、最近、急に起こった鉄砲水のせいで0.5ヘクタールになってしまいました。私の家族が食べていける広さではありません」と、ラタナキリ州プノンコック集合村7に住むケルン族の女性が、ヤリ滝ダムによる変化を説明してくれた。

魚はどこにいった?

伝統的にラタナキリ州の農村部では、ほとんどの世帯が自給自足の農業を営んでいる。1年間で収穫できる米とチャムカー(米以外の畑作地)から採れる野菜をその年の食料とする他、野生の植物や非木材森林生産物(NTFP)に依存することもある。ラタナキリの農民は昔から生計の多角化のために漁業にも携わってきた。そうすることで農作物の不作というリスクから身を守れるのだ。

以前は夫が魚を売り、食料や薬を買うお金を稼いでいました。でも今は、魚はいなくなったし、川はあまりにも危険になりました。つまり、食料にする魚も、売るための魚も捕れないのです。(ラタナキリ州のタムプアン族の女性)

写真:Jan-one

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しかし、水力発電が下流域の水質に影響を及ぼしたため、魚類やその他の水生資源は急激に減少した。漁業が食料安全保障に不可欠である地元の村人たちは、セサン川では魚の漁獲量が減り、魚のサイズも小さくなったと言う。

「以前は夫が魚を売り、食料や薬を買うお金を稼いでいました。でも今は、魚はいなくなったし、川はあまりにも危険になりました。つまり、食料にする魚も、売るための魚も捕れないのです」と、ラタナキリ州のタムプアン族の女性は説明する。

セサン川の魚が減少した原因の1つは、ダムから放出される水圧だ。地元の報告によると、放水の圧力によって下流域では土壌浸食が起こったという。その正確な被害程度を計測した正式な研究はないが、例えば、セサン川の真ん中に浮かぶ複数の島が水位の急上昇によって消滅したという事例が報告されている。多くの大型魚種にとって乾期の重要な逃げ場となる水深の深い場所10は砂や泥や石で埋まっており、重要な生態環境が損なわれている。

セサン川沿岸に住む少数民族の村人たちは、セサン川流域で初めてダムが作られるまでは、外的ショック(干ばつ/洪水)にも非常に強かった。しかし彼らの伝統的な対処戦略では、大規模な水力発電計画に太刀打ちできず、人々は苦しんでいる。

ヤリ滝ダムの建設による魚種資源の減少によって生計はネガティブな影響を受けており、政府の支援が必要であることを村人たちは主張し、セサン下流2ダムの計画に抗議している。

基本的資産と生計の多角化

漁業は収入を得る手段として有効ではなくなっているため、多くの漁民たちは他の職業を探さなくてはならないのだが、同地域ではそれは存在しないも同然である。この点を考えると、生計の多角化(個人や世帯が生活方法や収入を得る手段を変えること)が極めて重要である。生計を多角化すれば、不十分であることの多い主要な収入を補い、唯一の収入源だけに頼るリスクを低減することができる。

したがって生計を支える活動の多角化は、農作物の不作というリスクに備えるために重要である。多角化は、資本投資がほとんどなくても、収入を得る活動にすぐに就くことができるため、栄養摂取を維持し、さらに改善するという食料安全保障の上でも極めて重要な役割を担う

残念ながら生計の多角化という選択は、カンボジア北東部の遠隔地にある河川沿岸地域ではなかなか難しい。同地域では特に次の3要因、すなわち①新しい活動に携わるための知識や技術がない、②極度の貧困/収入不足、③支援や安定した雇用機会が極めて限られていること―が原因で、利用される多角化戦略は、短期的に高地へ移住することと村の外で臨時労働に就くことしかない。

少なくとも戦略の1つは、同地域のほとんどすべての世帯が利用している。不作だったり、貯蔵が尽きたりした場合(そのほとんどは雨期の期間中)、家族全員が高地へ移住してNTFPを収集して食いつなぐのだ。さらに、村の男性たちは臨時収入を得るために、1年を通じて短期労働に就く(あるいは就こうとしている)。

残念なことには、上記選択肢のどちらも、持続可能で安定した生活の助けにはならない。短期的移住は、健康の悪化や高校中退率の上昇などの数々の問題を生み、安定した雇用機会は実際的には皆無である。教育を受け技術のある数少ない人々は建設会社や工場で仕事を見つけられるが、村人の過半数は豆やキャッサバやゴムの農園で、外国の大手投資会社あるいはカンボジア人の富裕な農民に雇われる。そのような仕事の給料は非常に少なく(日給2ドル50セント~3ドル50セント)、仕事を見つけることも維持することも非常に難しい。

「農園以外の労働は長期的には良い解決策とは言えません。なぜなら、家族のためにほんの少しの米を買う程度のお金は稼げますが、交通費を賄うほどは稼げないのです。それでも、この仕事のおかげで深刻な食料不足の間も私の家族は命をつなぐことができる。だからこの仕事に就いたのです」とKachon Kroam(カチョン・クローム)村のタムプアン族の男性は言った。

したがって、生計を多角化する試みには、例えば読み書きや教育プログラム、よりよいインフラ整備、地元の工芸や商業の促進などへの政府や外国の支援が必要であることを特筆しておくべきだろう。

開発のために何を犠牲にするか?

ラタナキリ州や他の地域で起こりつつあることは、カンボジアに限った現象ではない。ブラジル政府は最近、議論を呼んだベロモンテ・ダムの建設を許可し、中国政府には、すでに大規模な水力発電をさらに拡大させる野心的な計画がある。世界各地の多くのコミュニティーは、不規則な洪水、雨期中の干ばつ、魚類減少、健康問題、土地や設備の喪失、水質の悪化など、水力発電ダムによる悪影響にすでに苦しんでいる。

とはいえ、水力発電は安定した電力供給を手頃な価格で可能にし、温室効果ガスをほとんど排出しないため、経済発展に大いに貢献できる。私たちの大きな課題は、水力発電プロジェクトが及ぼすメリットとデメリットの両方を客観的に評価し、影響を受けるすべての関係者たちが意志決定過程において公平な発言権を持つことである。そのためには、食料安全保障上の配慮を水力発電の影響のあらゆる評価に含めるべきである。

さらなる開発が重要であることは誰でも認識している。しかし私たちは、開発には代償が伴い、それを否定することも、ましてや無視することもできないという点も認識すべきである。

この問題に関する様々な情報源から比較的大量の情報が入手可能であり、私たちはそれらを利用して政府や民間部門、その他のダム計画にかかわる当事者に情報を送るように努めるしかない。不必要な代償や最も脆弱な立場にいる人々への思わぬ損害を防ぐことが、実際のところ、発展に関する重要な検討事項であるべきではないだろうか。

翻訳:髙﨑文子

Creative Commons License
Real costs of hydropower in Cambodia by Nadja Skale is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

ナジャ・スカーレ氏はウォーウィック大学で国際関係学の修士号を、東京の早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で平和・人権および社会開発の修士号を修得した。彼女はベトナム、カンボジア、香港、セルビア、日本などに住み、働いた経験がある。特に食料安全保障、持続可能な開発と(環境)移民について関心が高い。