チャールズ・アーサー氏はMaking It Magazineの編集者である。
持続可能性の専門家ポール・ホーネン氏が「グリーンウォッシュ(環境配慮をしているように装うこと)」、持続可能な開発、各国政府と国連が地球を救うために何をすべきか、という質問について語った。
Q: あなたは、オーストラリアの外交官、グリーンピース・インターナショナルの事務局長、オランダ非営利法人グローバル・リポーティング・イニシアティブ(GRI)の戦略ディレクターを歴任され、そして現在はコンサルタントとして政府、政府間国際機関、企業、NPOへのアドバイザーとして、既に30年以上も、経済と環境問題に取り組んでこられました。この間の持続可能な開発の分野における主な変化はどのようなものでしたか。
振り返ると、大いに落胆すべき点も、大いに喜ぶべき点もあります。残念な点は、1992年の初めての地球サミット以来、各国政府は交わした約束を果たすことに対して必要な対策や熱意を示してはいません。同様にビジネスにおいても世界の大多数の企業は日々の企業活動に持続可能な開発に関する考えを日常的に組み込んではいません。公害を引き起こすような破壊的なビジネスモデルが現在でも非常に頻繁に行われているのです。
喜ぶべき点は、広範囲に及ぶ前向きな開発が行われていることです。それは、特にEUにおけるグリーンエネルギーなどを促進する法改正、持続可能性を企業の経営と戦略に組み込もうとする変化、ISO26000社会的責任に関する手引や多国籍企業のためのOECDガイドラインなど新たな国際的な手段の進展に見られます。20年前には企業が自らの進歩を環境、社会、経済指標に照らして測定し、監視し、報告するメカニズムはありませんでしたが、2002年にグローバル・リポーティングイニシアティブが始まり、それが可能になりました。
今ではグローバル250社リストの優良銘柄企業の80%が持続可能性に関する活動を定期的に測定し、自発的に投資家や一般市民に報告しています。このおかげで持続可能性についての理解が深まり、持続可能性とビジネス戦略を両立させるマネジメントツールの開発や活動に役立っています。
さらに、前向きな点としては、新たな技術の出現と成熟が挙げられます。今まで主流ではなかった風力、太陽光発電が多くの国々で主なエネルギー源となってきたのです。エネルギー効率の高いテクノロジーは市場で急速に広がりを見せています。携帯電話通信とコンピュータの使用はまさにわずかな原料でより多くのサービスを得られる良い例です。
持続可能な商品やサービスの潜在市場ならいくらでも挙げられます。賢明な企業は将来の成長と利益を念頭に置いて、そこに狙いを定めています。賢明な政府もまた、持続可能な開発を技術革新を生み出す力とし、経済成長を刺激し、新たな雇用を生み出す潜在力とみなしています。
Q: とても肯定的な評価ですね。では「グリーンウォッシュ」(企業が実際は「普段と変わらぬ」活動を行っているにすぎないのに、あたかも別の事をしているかのように装うこと)が増加していることについてはどうお考えですか。
「グリーン(環境に優しい)」というデタラメや誇張が及ぼすリスクには今後も十分警戒しなければなりません。国連貿易開発会議によると、世界中には77000社の多国籍企業があります。それに加えて無数の中・小企業があります。これらの企業の大多数は、私たちが知る限り、社会的・環境的影響を定期的に測定したり、改善の努力を行ったりはしていません。多くの経営陣、取締官、消費者、投資家は、どの会社が持続可能な開発に肯定的な影響を与えているのか否か、全くわかってはいないのです。ですから、あたかも私たちがエデンの園に生きているかのような印象を与える企業の宣伝には皮肉な気分にさせられます。
ビジネスの未来、そして人類とこの惑星の未来は、新しい持続可能なビジネスモデルにかかっているということを理解する大企業の数は少ないものの、徐々に増えてきています。
2009年フィリピンのマニラで開催された国連工業開発機関(UNIDO)主催のグリーン産業開発支援国際会議で講演するポール・ホーネン氏。写真提供: UNIDO
確かに、非常に多くの企業が「グリーン」と口にしてはいますが実行に移していません。これは責任を問われるべきことです。とはいえ進歩している点を認め育てることも同じくらい重要なことです。ビジネスの未来、そして人類とこの惑星の未来は、新しい持続可能なビジネスモデルにかかっているということを理解している大企業の数は少ないものの、徐々に増えてきています。そんな企業のCEOはその困難さを認め、既定の条件以上の規制を自らに課しています。そういう人々が議論を先導していくのです。
はっきり言いましょう。あらゆる科学的証拠が、私たちは惑星系の限界を越えつつある、あるいは越えてしまったかもしれないことを示しています。限界とは、大気の化学の変化(気候とオゾン層破壊によるもの)、窒素とリンの循環(川と海の生態系に影響を及ぼしている)、生物多様性の喪失、土地利用の重大な変化などを指します。このような変化は自分に無関係だとか、どこかの遠い熱帯雨林で1種類の虫だけが影響を受ける程度のことだろうと考えてはいけません。これらは遅かれ早かれ地球の全ての種に影響を与える変化なのです。現在の政治的、社会的、経済的システムは(そして持続可能性への希望があるとしたら、それも)健全で自己補給できる生態系があってのことだということを決して忘れてはなりません。政治やビジネスモデルがこの現実をできるだけ早く受け入れてくれれば、私たちは持続可能な軌道に乗ることができるのです。
現在の状況には様々な原因があります。私が思うに、主な問題は市場の失敗です。これは政府が1992年に発表した認識や懸念を政策や規制に転化していないことによって起こりました。私たちが引き起こしている社会的損害や公害に関して市場が価格のシグナルを出して初めて必要な改定が行われるのです。また企業統治の失敗も原因です。彼らは原材料の持続不可能な使用に基づいた利益を求めるあまり、物理や生物学の法則を無視したり、反論したりしてきました。しかしながら、このような傾向は変わりつつあります。大企業や、マッキンゼー、KPMGといったコンサルティング会社は、グリーンピースが20年前に語った言葉や概念を使うようになりました。ビジネス環境において、この根本的な変化を理解できなければ、歴史家たちはそれを現在における最大かつ唯一の政治的商業的過ちとみなすでしょう。
Q: 持続可能な開発の定義は「より少なく使ってより多く与える」といえます。利用できる資源が減り、温室効果ガス排出増加による影響などがある中、どのようにすれば貧困から脱出して豊かな暮らしを望む世界中の人々の希望をかなえられるのでしょうか。エネルギーへのアクセスが増えれば生活水準は良くなりますが、それはまた生産の増加、消費の増加、枯渇しつつある資源の使用の増加につながりますよね。
持続可能な開発には社会的側面と環境的側面の両方があります。人類は、あなたがおっしゃるように、より少ないものでより多くを成し、生態系の健全さを保つことができなければ持続可能ではいられません。つまり物質の効率を上げ、1つの物質を別のもので代用しなければならないのです。一方で大衆が問題を理解し、必要な変化を受け入れることができなければ、このような転換に向かうための政治的、社会的な支援は得られません。大まかに言うと、私たちの前には2本の道がつづいています。その1つは勝者と敗者のいる世界です。そこでは減少しつつある資源への競争が激しさを増し、適応する能力は厳として存在しますが、共有はされません。もう1つは問題を理解して共通のアプローチを生み出し、この歴史的困難を新たな産業、雇用、開発モデル創出の機会とみなす世界です。
Q: 途上国の消費者には大きな負担がかかりますね。新しい中産階級の人々は先進国でみられる消費のパターンを繰り返すことが許されないのですから。しかしながら、このパターンは今でも促進され、宣伝されています。世界的企業は急いで根本的に商品を変えなければなりません。
そのとおりとも言えますし、そうでないとも言えます。「そのとおり」というのは、現在の資源集約型モデルに基づいたままでは、途上国で現れつつある中産階級が前世紀に先進国が享受したのと同じ利益を得ることは望むのは無理だという意味です。そんなことをするには原材料を提供し、廃棄物を吸収してくれるもう1つの惑星がいります。しかし「そうでない」というのは、私たちはまだ原料の投入を大幅に減らしつつ不可欠な商品やサービスを提供するための潜在可能性を全て探りつくしたわけではないからです。一流企業は商品やマーケティングを変えなければならないことをわかっています。すでに変化の兆候は現れています。中国の太陽光、風力発電の興隆を見てみてください。ほとんど全てが国内で生産されていますね。洗剤メーカーが省エネ、節水、そして使用する化学物質の少ない商品を製造するようになり、広告で消費者の意識改革を進めている点にも注目しましょう。しかしいまだに「グリーン」だと謳いながら、大きくて燃費の悪い車を宣伝したり、途上国はもとより、先進社会のほとんどでも手に入れることのできないようなライフスタイルをあおっているような会社はあまりに多いままです。これは持続可能な状況とはいえません。新しいモデルは現れてきましたがリーダーシップが足りません。こういった訴えは政治的には面白くないかもしれませんが、21世紀を生き残るには大切なことです。
Q: 政府と企業がこの危険に対応できなければ、何が起こるのでしょう?
現在の状況の最大の皮肉がここにあります。現在進行中の深刻なシステム変更を避けるための秩序ある、戦略的な転換を選択しないとしても、システム変更は必ず起こります。ただしその場合は無秩序で、戦略もなく対応せざるを得なくなります。そうなると社会的、政治的、経済的なコストは膨大になるでしょう。安価な油やガスは使い切ってしまい、新たな再生可能エネルギーにもとづいたシステムもでき上がっていないため、エネルギー効率を上げざるを得ません。使える水が減るため、食物の栽培をより効率的に行わざるを得ません。気候変動のため、場所によっては住めなくなり、別の方法で生きざるを得ません。
人類が19世紀から20世紀の開発モデルを追随し続けるなら、持続可能な開発の機会は損ねられてしまいます。(ポール・ホーネン氏)
Q: 必要にせまられてやっと行動に移すようでは気候変動の影響を抑えるには遅すぎませんか。
今でも既に遅すぎるという専門家は増えてきています。気候システムや、その他地球の物理的なプロセスは確実に、もしかしたら急速に変化がやってきますが、それを避けるにはもう手遅れという段階にどんどん近づいています。私を含む多くの人々が持続可能な開発を自己防衛の問題として考えるべきだと思っています。ありとあらゆるダイナミクスやタイミングに関する私たちの理解について謙虚であることは必要ですが、全ての人に影響を及ぼす破滅的な変化に備えておくべきです。私は防衛や保険の例え話をするのですが、そうすればリスクが全体像の中で見えやすくなり、未来を守るためには防衛や戦争時並みの予算や対策が必要だとわかってもらえます。世界的ガバナンスにおける大きな失敗の1つは直面している変化の規模や緊急性を互いに伝達しあうことができなかったことです。例えば気候変動はこの地上の全ての場所に影響を及ぼします。初めのうちは世界の一部、例えば極地や既に砂漠化している場所などが先に大きな被害を受けるかもしれません。経済力のある国々なら、初めのうちは適応力もあるでしょう。しかし次第に多くの人々が家族や会社を別の場所に移さざるを得なくなってきます。
ここで1つ思い出しましょう。6万年から8万年前にアフリカから徐々に広まった人口の大移動のほとんどは気候変動によって生じたものでした。ただし、現在の状況が大きく異なるのは、今は人口が70億人もいて、気候変更は自らが引き起こしたものであるという点です。海水面上昇や降雨パターンの変化によって起こりうる、大きな気候と資源の移動を食い止める壁も政策もシステムも存在しません。
現在の国民国家制度の中でなら、自分たちの領土、文化、経済システムを大々的な変化から守れるはずだなどと考えるのは幻想に過ぎません。固い決意を持った集合的な行動のみが効果を生むのです。オゾン層破壊を食い止めるための対策がおおむね功を奏した時のように。国連安全保障理事会でこの課題は常に取上げられるべきものですが、今でも十分な注目されているとはいえません。しかし徐々に一般の人々が食卓を囲みながらこのことを話題にするようになってきました。未来が若者に与えるものはわずかしかないのではという恐れがじわじわと広まっています。次の世代が「より良いものになる」などという政治家もあまりいません。主流の経済紙でさえ自由市場システムが生き残れるかどうかを疑問視する声を取り上げています。
Q: 短期的には政府は何をしたらよいのでしょう。
いまだに途上国を含む各国の政府は、今後10年や20年は資源に依存した景気回復が最善策だという神話を信じています。その根拠は表面的には魅力的です。いつもと変わらぬビジネスモデルに戻れば、雇用が増え、安価な原材料と労働力に基づいた輸出主導型成長となり、2008年から2009年の世界的不況から回復できるだろうという考えです。しかし実際には私たちが19世紀から20世紀の開発モデルを追随し続けるなら、持続可能な開発の機会は損ねられてしまいます。このモデルでは危険な気候変動を加速させ、資源戦争の可能性を高め(石油とガソリンのことを思い出してください)、自由市場に対する信頼も崩壊することとなるでしょう。確かにしばらくはわずかな人々を貧困から救うかもしれませんが、そのうちその人々も、残りの全ての人々もほんの数十年後にはより大きな問題に直面することとなるのです。
政府は問題のスケールの大きさについて正直に話すべきです。今はそれができていませんから。転換を図ることの難しさについて正直でオープンであるべきです。たった1つの単純な解決策などありません。原材料を適切に評価し価格をつけ、グリーン産業、グリーン経済へ移行するべきです。そういう世界では太陽光発電、風力発電、再生エネルギーが使われ、生物学的保護区域があり、魚種資源や森が再生し増殖します。しかしそれには代償が必要です。私たちは防衛や戦争には何兆ドルものお金をたやすく支払うくせに、気候変動、貧困軽減などから自分たちを守るために同じ額を払おうとしません。これはまずい保険で、まずい証券です。政府は炭素に値札をつけるべきだと認識すべきです。そうしなければ私たちははるかに多くの代償を支払うこととなるでしょう。何も財政的な話だけではありません。過去4000年かけて都市を中心にした文明の上に築いてきた文化、生態系、政治システムの未来という意味においても代償は大きいのです。
Q: あなたは最近UN Private Sector Focal Points(国連民間部門フォーカルポイント)年次会議に参加されましたね。あなたのこれまでのお話とどう関係しますか。
これも国際ガバナンスにおける肯定的な進展の例だと思います。私が駆け出しの外交官だった頃、政府と民間企業の関係は泥沼の武力抗争に似ていなくもありませんでした。政府は1つの建物にこもり政策問題を話し合い、ごくたまに民間企業や市民社会の代表者に連絡をとり見解を求める程度でした。そのため敵対的な雰囲気が生まれ、のけ者扱いされていると感じた者たちは政府間協議のプロセスを無視したり、注目を集めるために大声で騒ぎ立てたりしたものです。今はそんなことは全くありません。民間社会は、そもそもそうあるべきなのですが、重要なパートナーとして見られています。UN Private Sector Focal Pointsプロセスは、政府だけ、企業だけ、市民社会だけでは持続可能な開発の問題に対処できないということを理解しています。これらは集合的に行わなければなりません。国連と企業のパートナーシップ・イニシアティブは現在まだ初期の段階にありますが、主軸となる人々を集結させようとしている前向きな反応のひとつです。
Q: 国連工業開発機関 (UNIDO)は、国連、政府、民間部門を結ぶ架け橋として重要な役割を果たせるでしょうか。
国連は、民間部門を含む多くのオブザーバーから無視されたり見限られたりしています。これは重要な課題に十分対応していないからか、ひどくのろくて官僚的だと見られているかのどちらかでしょう。国連はこのような批判は受け止めるべきだとは思いますが、まだまだ大きな、十分に活用されていない役割があると思います。国連組織ほど正当かつ知識や経験が豊富な国際機関はありません。ですから独自のモラルと政治的リーダーシップの役割があるのです。
国連事務局の「すべての人のための持続可能なエネルギーイニシアチブ」(会長はUNIDOの事務局長カンデ・ユムケラー氏) と、リオ+20会議で開始されたUNIDOのグリーン産業プラットフォームは新たなレベルで世界的問題に焦点を絞り、産業との提携を牽引しています。このようなイニシアティブは新たな持続可能な開発と経済成長への転換において欠かせないもので、公共、民間、市民社会それぞれの部門の力を引き出しまとめるものです。
私は個人的にはUNIDOのグリーン産業プラットフォームを応援しています。これは国連機関とビジネスコミュニティを結び、グリーン産業を前進させるために最善の方法を探り政策と技術革新にも刺激を与える歴史的な機会だと思っています。これは単に貧困軽減や雇用創出に必要な継続的開発と経済成長のためだけでなく、私たちの集合的未来がかかっている生態系を保存し再生するために最も期待できる機関だと思っています。
サステナブル・ストラテジーズ代表。1975年以来、外交官、国際公務員、グリーンピース・インターナショナル事務局長、グローバル・リポーティング・イニシアティブの戦略ディレクターとして様々な世界経済、開発、環境問題に献身的に取り組んできた。現在は政府、政府間機関、企業、NPOを対象とする独立コンサルタントとして活躍している。
国際弁護士としての専門教育を受けたのち、1975年から1989年にかけパリのOECD、ブリュッセルのEU機関 、フィージー、スリランカでオーストラリアの外交官として勤務。1992年と2002年の地球サミットのプロセスに深く関わり、気候変動を含む様々な環境会議にも参加している。また、グローバル・リポーティング・イニシアティブのサステナビリティ・リポーティング(持続可能性報告)ガイドライン、多国籍企業のためのOECDガイドライン、「ISO 26000社会的責任に関する手引」の開発とプロモーションに関わった。
ホーネン氏は、ビジネスに持続可能性を組み込むことに関する重役レベルのワークショップを開催している。重要度と持続可能性リポーティングの専門家でもある。会議のファシリテーターとして招かれることも多く、数多くのハイレベルのグローバルビジネス、政府、NGOフォーラムなどで基調講演を行っている。氏の功績は大手のマスコミや専門誌で取上げられてきた。企業の社会的責任専門誌「エシカル・コーポレーション」(http://www.ethicalcorp.com/)と「ガーディアン」のサステナビリティブログに定期的に寄稿している。
また、ロンドンの王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)のアソシエート・フェローでもあり、2012年には論文「The Future of Sustainability Reporting(持続可能性報告の未来)」を発表している。 (http://www.chathamhouse.org/publications/papers/view/181687)
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本記事はMaking Itマガジンからのご厚意により掲載しました。
翻訳:石原明子
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