開発の権利を取り戻そう

今年は国連開発の権利に関する宣言の25周年にあたる。1986年12月4日、国連総会決議41/128によって採択された同宣言は、開発を、「それによって各人およびすべての人民が、その中ですべての人権および基本的自由を完全に実現することができる、経済的、社会的、文化的ならびに政治的発展に参加、貢献およびそれらを享受する資格を持つ不可譲の人権である」と定めている。

採択時には、多くの人がこの宣言が強力な政治的方策になると見なし、新興国が新国際経済秩序の構築に向けて15年間続けてきた奮闘の節目になると考えた。

開発の権利(The Right to Development: RTD)には、政治的権利とともに、経済的、社会的、文化的権利が幅広く網羅されている。人は最終的な受益者(権利保有者)であることが明示されている一方で、RTDはなお、個人および人民の両方によって行使されうるものである。そして最も重要なこととして、すべての国家は、開発の権利の実現のために公正で公平な国際環境を構築すべく、共同で義務を負うことを明確に認めている。

市民社会を結集する

グローバル市民社会の見地からすると、さまざまな人民の問題は、貧困撲滅、食料主権、環境および気候の公平性、自決権などを含むこの包括的なテーマに結びつけられる。これらに関する活動は、各国政府、地域機関のほか、国際通貨基金、世界銀行、世界貿易機構などの国際機関、さらには義務を負うべき多国籍企業も含む、国レベルおよび国際レベルで進めるべきであり、またそれは可能である。

市民社会は国境を越えて協力することにより、開発に関わる援助、債務、貿易、資金調達などの問題について、統一的な行動基盤を提供することができる。そして、伝統的な伝達方法に加えて新時代のコミュニケーション技術を活用すれば、このような行動は幅広い訴求効果を持ち、意思決定者に対しても大きな影響力を発揮しうる。結局のところ、市民社会は普遍的に受け入れられた合意の上に成立するものであり、継続的で公的な政治プロセスなのである。

しかし、RTDの宣言が採択されて25年がたつというのに、そうした可能性はまだ実現するに至っていない。

多くの点で、同じ運命をたどっている宣言がある。やはり政治的に重要な宣言で、来年20周年を迎える環境と開発に関するリオ宣言である。1992年、リオデジャネイロで開催された地球サミットで合意されたこの宣言は、RTDを確認するものであると同時に、RTDを土台にしている。

リオ宣言の第3原則には、「開発の権利は、現在および将来の世代の開発および環境上の必要性を公平に充たすことができるよう行使されなければならない」とある。また、この宣言は、経済的繁栄、社会的公平、環境保護を持続可能な開発に不可欠かつ補強しあう3本柱として明確に示している。また、各国の活動を支援するために国際協力が必要であることも認めていた。

持続可能な開発の枠組みを明快に示す上でリオ宣言が果たした大きな貢献は、一般的だが差別化された責任の原則を定めたことだ。つまり、「先進諸国は、彼らの社会が地球環境へかけている圧力および彼らの支配している技術および財源の観点から、持続可能な開発の国際的な追求において有している義務を認識する」のである。

実際、リオ宣言は、国際公共財の経済的利用と、その利用による結果に対して改善あるいは緩和措置を取る責任の関係を明確にしている。

今日、世界はRTDとリオのビジョンの実現からずいぶん遠ざかっている。世界規模の経済の拡大は引き続き環境に甚だしい負荷をかけている。人間のエコロジカル・フットプリントは今では地球のバイオキャパシティを50%以上も超えている。人類が安全に活動できる領域を示す地球の境界についても、9つのうちの3つはすでに超えているのだ

さらに、経済の拡大にかかる費用と創出された便益の分配は非常に不公平だ。最富裕国20ヵ国と最貧国20ヵ国の1人あたり国民所得を比較すると、1990年においては42米ドル対1米ドルだった。2005年までにはそれが59英ドル対1ドルとさらに広がっており、今日ではさらに悪化していると考えられる。

今日、約17億5000万人の人々が、健康、教育、物理的な生活水準において、深刻な欠乏状態にある。おそらく人類にとって最も恥ずべきことは、10億人近くの人々が人間の生存に最も基本的な条件である十分な食料さえ手に入れられずにいることだ。

失われた数十年に起きたこと

それでは、RTDからの25年、リオからの20年の間に何が起きたのだろうか?

思い出していただきたい。30年前には米国でロナルド・レーガン大統領が、その2年前には英国でマーガレット・サッチャー首相が誕生した。彼らはこぞって新自由主義を解き放ち、それは体系的かつ世界的に、市場における国家の役割を蝕み、国営企業による製品およびサービスの提供を削り落とし、労働組合の力を弱め、苦労して獲得した社会的権利を奪い取り、そしてついには国内外における独自の開発に向けた政策の裁量さえ締め付けた。

このような流れが世界的に仕掛けられて数十年を経た今、RTDは自らが成立するための確固たる制度的基盤を持つことができずにいる。RTDを構成する重要な権利については報告手続きがあり、国連人権理事会は違反者に対して道義的説得を行うことができるが、司法判断適合性を欠いている。

新自由主義は現実的な力を持っている。つまり、法的に拘束力のある条約があり、国際機関である世界貿易機構(WTO)が存在する。写真:WTO

新自由主義は現実的な力を持っている。つまり、法的に拘束力のある条約があり、国際機関である世界貿易機構(WTO)が存在する。写真:WTO

リオ宣言は少なくとも、国連気候変動枠組条約、生物多様性条約、国連砂漠化対処条約などの多国間条約に法的拘束力を持たせるという成果を上げた。しかし、RTDと同様に、実体のある執行機構はなく、資金的な裏付けにも限界がある。

一方、新自由主義は現実的な力を持っている。国際的な金融機関や支援国からの資金提供もある。法的に拘束力のある条約があり、国際機関である世界貿易機構が報復と制裁に基づいて紛争を解決するシステムを担っている。投資について審判を下す司法機関もあり、多国籍企業が政府を告訴することもできる。

今こそ権利を主張して立ち向かう時

では、国家を味方につけた企業の力、あるいは企業に牽引された国家の力に対して、今日、RTDおよびリオの両宣言の支持者は、その原則をどう推進できるだろうか?

これらの原則を再確認する最善の方法は、今日の世界が直面している深刻な経済・社会・環境の危機に対し、権利に基づくアプローチで持続可能な開発に臨むことだ。はっきり言うと、これらの危機を生み出した現在の経済社会システムを乗り越えなければ、真の開発はありえない。

2012年の国連持続可能な開発会議(リオ+20) は、遅まきながら、これを行う絶好の政治的機会だ。会議の主要なテーマの1つは「グリーン経済」である。ここで多くの市民社会組織が恐れているのは、グリーン経済の内容が、市場に基づいた民間主導のイニシアチブになったり、自然資源や環境サービスに多くを依存している人々を犠牲にして、それらを支配する企業の力を誤って強化しかねない技術的解決策になったりしないか、ということだ。

今日の世界が直面している深刻な経済・社会・環境の危機を生み出した現在の経済社会システムを乗り越えなければ、真の開発はありえない。写真:Crustmania

今日の世界が直面している深刻な経済・社会・環境の危機を生み出した現在の経済社会システムを乗り越えなければ、真の開発はありえない。写真:Crustmania

私たちはすでに、排出量取引やカーボンオフセットといった市場に基づく制度が大規模排出者の責任逃れを容認し、その結果、従来と同様の持続不可能な生産・消費パターンがまかり通っているのを目にしている。

個人および人民の不可分の権利という観点で持続可能な開発の枠組みをとらえることにより、RTDは各国に対し、持続可能な開発への道筋に向けて迅速な転換を図るのに必要な規制的手法およびメカニズムを徹底的に行使するように義務づける。RTDは、人々がそれぞれの持続可能な開発の達成について、ゴールと手段を決める民主的な権利を強調する。これに沿って、リオ宣言の第10原則の下、持続可能な開発について人々が確実に情報を入手し、有意義な参加ができるように、地域会議を発足させようという提案がある。

リオ+20の第2の主要な議題は、持続可能な開発に向けた制度的枠組み(institutional framework for sustainable development: IFSD)である。これは、持続可能な開発の3本柱、すなわち経済、社会、そして環境のすべてのガバナンスにおいて、一貫性と有効性を確実に向上させることを目指すものだ。各国政府、国際政府機関、市民社会からはすでに多くの提案が行われており、それは単なるUNEPの機能強化から、持続可能な開発委員会のレベルの格上げ、世界環境機関というような組織の創設にまでわたっている。

ここでもやはり、民主的な参加の原則に従って国際的な制度の再構成が効果を上げるようにするには、IFSDが民主的な参加の原則に基づき、様々なステークホルダーが関与するメカニズムを通じて、市民社会の開発関係者が、コミュニティの代表として、確実に自身の権利を追求できるようにしなければならない。

ほかには、国際的な持続可能性影響評価を実施する会議や、企業の社会および環境上の持続可能性を監督する枠組み会議も提案されている。さらには、環境に関する紛争を扱う国際環境法廷というような機関の設立や、持続可能性の監査役となって市民の苦情を扱う将来世代のためのオンブズマンの世界、各国、地域レベルでの設立を求める声も上がっている。

これらはすべて、社会および環境上の正義を追求し、各国および国際的な関係者に責任を持たせるための追加的な手段であり、また、RTDの実現を強化する新たな方策となるものだ。

これらのイニシアチブをすべて成功させるには、国連機関自身も、より積極的に政策提言に関与する必要がある。国連は、ワシントン、ブリュッセルはもとより、今後は北京やデリー、ブラジリアなど、自らが役割を果たすべき場所で、もっと表舞台に登場していくべきだろう。

今日の世界が直面している複合的な危機は非常に深刻で、人々は人類と自然との関わりのみならず、自らの基本的な価値観やライフスタイル、社会的な関係性の見直しを余儀なくされている。人々がアラブの春において示したように、これは開発の議論と実践の方向性に影響をおよぼしうる。権力を握る人々が何を望もうと、今こそ、一般の人々が自らの権利を主張すべき時なのだ。

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IBONインターナショナルの 持続可能な開発およびリオ+20に関する人々の意思表明に署名するには、こちらをクリックしてください。

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開発の権利を取り戻そう by ポール クイントス is licensed under a Creative Commons Attribution-NoDerivs 3.0 Unported License.

著者

ポール・ L・クイントス氏は、国際的NGO、IBONインターナショナルのプログラム・マネジャーである。IBONインターナショナルは、世界中で市民の行動力の育成を行い、新しい開発の考え方で経済的・社会的公平性を実現することを目指している。同団体に参加する以前は、10年余にわたり、フィリピンの先進的な労働運動の取りまとめおよび教育に携わっていた。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにて理学修士号を取得、教育機関、政府、さまざまなNGOにおける経験を持つ。