生態系サービスの真の価値

1998年に、その経済学教授は次のように語った。「自然が本当に人間の福利に重要なら、人は群れをなして都市に移動したりせず、森の中の小屋で暮らすだろう」

その男がクビになっていることを願いたい。

この発言には、激しく批判されてきた新古典派経済学の教義が2つ含まれている。1つめは、人は自分の欲するものを知っていて、常に自分にとって最善のことをする、といものであり、2つめは、自然は単純に金銭に交換できる、というものである。

今では私たちは、生態系の機能と人間の福利(human well-being,、HWB)の間には、切っても切れないきわめて重要な結びつきがあることを知っている。新設が予定されている 生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム (IPBES)の主たる役割の1つは、生物多様性と生態系サービス(biodiversity and ecosystem services、BES)が人間社会にどれほどの資源とエネルギーを提供し、貢献しているかを評価することだ。IPBESは国連環境計画が設置する正式かつ独立した科学パネルであり、BESと、それが社会に対してもつ意味について、科学知見に基づいた提言を行うことを目的とする。

生物種が水、光、栄養を取り込むために、全体でどのように相互作用しているのか、またその過程でどのように社会に貢献しているのか、という点から生物多様性について考える必要があります。(ハロルド・ムーニー教授、スタンフォード大学)

生物多様性のアセスメントとは、特定の地域に生息する種の数や分布を調べることだけではない。実際の変数(絶対的な数量や変化率)を計測するほかに、包括的な枠組みでは、(1)地理的なスケール(ローカルからグローバルまで)を勘案すること、(2)生物多様性の獲得と喪失を測定する手法を標準化すること、(3)さまざまな知識システム(例:伝統的システム)を考慮すること、(4)アセスメントの効果に関する理解を促進する色々な要素を考慮すること、が必要だ。

さらに難しいことではあるが、、このIPBESパネルは当然ながら、世界各国の政府や国民の間における認識を明確化するために、生物多様性の変化が生態系サービス(自然の水循環の調整や食料及び原材料の提供など、自然が家庭やコミュニティ及び経済にもたらす利益)にどのような影響を及ぼすのかを示す必要がある。

2011年7月、IPBESは、生態系アセスメントの複雑な問題に取り組むために、東京の国際連合大学でワークショップを開催した。同ワークショップでは、BESの状況と傾向に関する最新の情報を世界の政策立案者にどう報告するかについて、IPBESの意志決定グループの総会で検討すべき14の事項が挙げられた。また、ワークショップの出席者は、生態系サービスの真の価値について、生態系科学の第一人者たちから直接話を聞く機会に恵まれた。

スタンフォード大学生物学教授として各地で調査を行っているハロルド・ムーニー博士は、IPBESワークショップの共同議長として報告書を起草した。彼は次のように語った。「生物種が水、光、栄養を取り込むために、全体でどのように相互作用しているのか、またその過程でどのように社会に貢献しているのか、という点から私たちは生物多様性について考える必要があります」

「本質的にこれらの生物集合体は私たちの生命維持システムなのです」

価値の問題

ムーニー博士は、このように訴えても、人間社会の構造やその機能のあり方に実際的な影響を与えることはないだろうと認めている。地球上に私たちが残した足跡(フットプリント)についての知識は深まっており、たとえば、国別の生物生産力や、そのうちどの程度を実際に人間が使用しているかなどは、エコロジカル・フットプリント分析によって明らかになっている。それにもかかわらず、私たちの日常生活においては、発展や成長の方が強調されているように感じられる。 これはおそらく、生物生産力が失われているというフィードバックがあっても、技術やイノベーションによる時間稼ぎで、かろうじて損失の方が下回っているからだ。言ってみれば、負債限度額を上げているようなものである。そうして、私たちは多忙な日々にまぎれている。

「生態系サービスという見地で生物多様性の枠組みを考えると、社会へのメリットはより明確になり、生物多様性の問題が、一般の人々にも政策立案者にも、より身近に受けとめられるようになります」とムーニー博士は説明した。

言い換えれば、生態系サービス、特に食料やエネルギーを提供するサービスへの認識が進めば、私たちは失いつつあるものの価値について理解を深め、環境劣化による悪影響を伝えるフィードバックを深刻に受けとめ、その対策として破壊的な行動をやめるようになるということだ。人間は選択次第で、短期的な成長のためではなく、持続可能性に向けてイノベーションできるのです。

人間は選択次第で、短期的な成長のためではなく、持続可能性に向けてイノベーションできるのです。

同じく共同議長として報告書の起草にあたったアナンサ・ドゥライアパ教授は、政策立案者であり、経済学者でもある。彼は次のように語った。「価値の問題は価格を決めるだけではありません」

「私たちは社会的価値についても話しており、これは経済学者が貢献できる分野です。個々の生態系サービスに金銭的価値をつけるのはもちろん1つの方法ですが、他の方法もあります。たとえば、行動経済学者、心理学者、人類学者は学問の領域を越えて協調し、金銭によらない価値評価をすることができます。また、目を向けられないこともありますが、生態系サービスの分配の側面、つまりさまざまな人々のグループに利益がどう分配されているかを取り上げることもできます」

経済学の領域に含まれると考えられないこともあるが、この側面(社会的及び所得の不平等)は、貧困と周辺化、過剰消費、自然資源利用の蔓延に関わる環境の変化を根本的なところで引き起こす大きな要因だ。それに対処するには、必ずしもシステムの大胆な変革を提唱することはない。グローバル化のメリットを活かして、必要とされているところに生態系サービスを提供し、提供した国はその見返りとして、アクセスと利益配分に関する名古屋議定書に示されているように、権利と利益を獲得するのも1つの方法だ。

ムーニー博士はグローバル化の影響を議論しながら次のように話した。「各国は、それぞれの生物資源が他所で引き起こした損害については、それが何であっても責任があるのです。たとえば、感染症の伝播や外来種もそうです。しかし、それに実際に注意が払われることはほとんどありません」

「サービスの取引はできると思いますが、その結果がどうなるかは明確にしておかなければなりません。私たちはこの数年で製品のライフサイクル分析については多くを学んできました。同じことが生態系サービスについても必要だと考えています」

貧しい方が豊か

人々の間で利益をどう分配するかについて考えると、コストの問題も浮き彫りになってくる。コストは、アセスメントとその結果として生じる生物多様性保護努力の両方に関わっている。他の多くの価値ある環境政策努力と同様、生物多様性及び生態系アセスメントは、新興地域の視点から見ることが必要だ。これらの地域の多くは豊かな生物多様性を擁している。ここで重大な問題は、断固たるIPBESのアセスメントをこれらの地域で行うことが可能か、ということだ。なぜなら、これらの地域ではアセスメントを行う能力に限界があると考えられるからである。最も発展が遅れている国が、そうでなくてもすでに余裕のなくなっているリソースを生物多様性や生態系の保全に向けなければならないのだろうか?

南アフリカ国立研究財団CEOでワークショップの共同議長を務めたアルバート・ファン・ヤー(ル)スベルド教授は、この課題は2段階で取り組む性質のものだと述べた。

「新興国の人々と協調することで、世界で起こっていることについて理解してもらう必要があります。そうすれば、視野が広くなり、自分たちの国で起こっていることも理解できるでしょう。もちろん、彼らは何らかの対策を取らざるをえなくなります」

課題はそこにある。IPBESはアセスメント能力の問題を真剣に考えている。

政策決定に役立つことを目指す

役に立つサービスという観点だけで、生息地や種の損失を捉えることに抵抗を感じる人も間違いなくいるだろう。そのようなアプローチは、私たちが直接的には利用しない、それらの生命体の本来の価値を考慮していない。それに、このOur World 2.0でブライモー氏らが最近、的確にまとめたような生物多様性喪失の要因から注意をそらすことも考えられなくはない。

自然を脅かすような制度の失敗や農業及び人口が関わる要因は、最終的には政策立案者が対処しなければならない。もっとも、IPBESの科学者は自らの補佐的な役割を十分に認識しているようだ。彼らに求められているのは、過度に「特定の政策を推奨する」のではなく、「政策決定に役立つ」ことである。 両プレーヤー(科学者と政策立案者)の区別は明快だが、社会が生態系サービスの真の価値にできるだけ早く、確実に気づくためには、政治的なゴールを見据えた科学がカギになる。

ファン・ヤー(ル)スベルド教授は次のように説明した。「いつの時代も、政策立案は政治を担っている人の役割であり、責任でもあります。科学的な見地から私たちにできることは、政策立案者が将来にわたって下しうる決定が、どうような結果をもたらすかを示すことです。最善の判断を下すかどうかは彼ら次第です」

翻訳:ユニカルインターナショナル

著者

デヴィッド・ウォイウッディ氏はカリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・環太平洋研究大学院の修士課程に在籍している。専門は国際関係で、中でも国際経済学を中心に研究している。環境及び規制経済学、費用便益分析、プログラム計画及び評価も合わせて学ぶ。2011年7月から9月までUNU-ISPにてインターンとして勤務し、アセスメントに関するIPBESの非公式なワークショップに尽力した。

齊藤修氏は国連大学サステイナビリティと平和研究所の地球変動とサステイナビリティ部門でアカデミック・プログラム・オフィサーを務め、また、「サステイナビリティ・サイエンス」のマネージング・エディターの任に当たっている。アジアにおける資源循環社会の構築、サステイナビリティアセスメントと指標システム、環境リスク管理、オントロジーに基づくサステイナビリティ学の知識の概念化などに関連してリサーチプロジェクトをまとめた経験を持つ。アジアの環境問題が世界の環境、経済、人間社会に及ぼす影響が増大するのを認識、最近ではアジアにおいて、生態系サービス、バイオマス利用、人間の福利の間に健全な相互関係を創出及び維持することを目指し、サステイナビリティアセスメント手法の策定(多基準解析)や政策も含めた将来のシナリオの策定に注力している。

ダレック・ゴンドール氏は作家兼編集者であり、カナダ政府の政策分析家である。過去には国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)で、国際学術誌『Sustainability Science』の編集委員および研究員を務めた。彼は公共政策の観点から人間と環境の相互作用の影響について執筆している。ゲルフ大学で生態学、またカールトン大学で公共政策の学位を修得している。