朝鮮戦争が1952年に終結してから、北朝鮮と韓国は戦後の社会として機能する統治システムを緊急に整備しなければならなかった。残念ながら、両国とも、開発や軍事力による安全保障などの問題に比べて、環境管理は早くから隅に追いやられていた。
北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)の大同江と韓国(大韓民国)の韓江の汚染度が、おそらく両国における工業汚染の程度を示すバロメーターになるだろう。両国とも、工業化の初期段階においては、直接排出が広く行われていた。実際、終戦後、急速な開発が追い求められていた頃は、これらの川はまるで沼のようになっていた。工場からの排出物が直接川底に堆積していたためである。
現在の北朝鮮は、分断前は牧歌的で絵に描いたような光景が広がる場所として、すべての国民に大事にされていた地域である。戦後においても、1960年代から1970年代にかけては、北朝鮮は、公害汚染が深刻化した韓国と対照的に、責任を持って環境基準を維持していると誇らしげに強調していた。この違いは、1945年から1970年代にかけて、両国が自給自足の達成に向けて、どのように取り組んだかで説明がつくかもしれない。韓国は輸出立国になる道を進み、北朝鮮は自給的農業に焦点を合わせた。
韓国が生態系の回復に向けて、より注意を払うようになったのは、1980年代、韓国政府環境部が設立されてからである。しかし、その後の30年間にわたり、韓国は環境の状態改善において目覚ましい進歩をとげており、グリーン産業拡大に向けて5カ年計画を策定するまでになっている。韓国の努力の成果は、首都ソウルでもはっきりと表れている。市内では、環境に負荷をかけない施設が並ぶ中、電気バス、電気自動車、自転車専用道路などがどこでも見受けられる。
ソウルの清渓川は都市再生プロジェクトの一環としてよみがえった。韓国水資源協会によると、この川は、自家用車を使うより、徒歩もしくは自転車や公共交通手段を利用しようと市民に思わせる、インセンティブの役割を果たした。
しかし、韓国の北隣にある北朝鮮では、同様の進歩は見られなかった。北朝鮮がどれほど「気候変動の悪影響を受けやすく、対処できない」と1997年のIPCC脆弱性定義で定められている状況にあるかは、1990年代半ば、干ばつと洪水で国中が飢饉に陥ったことにより、世界に広く知られるところとなった。策定時から欠陥が多かった政府の農業政策のせいで、経済開発の名目で大規模な森林伐採と土壌浸食が進行しており、それが最終的には国の脆弱性につながっていた。
国連環境計画(UNEP)が2003年、北朝鮮と共同で作成した環境実態報告書によると、生態系サービスの持続可能な開発には改善があったが、自然災害と経済的苦難がこれらの地域に重くのしかかっている。たとえば、2004年の水環境および技術に関する発表には、「北朝鮮の環境に関する一次報告書により明らかになった深刻な水質汚濁」というタイトルがつけられており、その例として、複数の工場から1日あたり約3万立方メートルの排水が、首都平壌を流れる大同江に直接排出されていることが挙げられていた。
UNEPの報告書で説明されているように、排水処理施設は常時稼働しているわけではなく、人口増加に伴って生活排水が増加、また殺虫剤や化学肥料の使用も増加している最中にあって、それはとりわけ大きな問題であることがわかった。
北朝鮮における水の安全保障は、下水網の整備が限られていることで、いっそう脅かされている。下水の行き届いていない農村地帯の小さな町では、河川への直接排水が行われているのだ。しかも、干ばつが続いているうえ、水力発電と農業用に大量の取水が行われているために、河川の水位はすでにかなり低下している。なお、水力発電用に水資源が使用される割合は総量の77%、また農業用には表流水の12.8%が使用されている。
北朝鮮の環境にさらに負荷をかけているのが、人口増加と工業化によるエネルギー需要の増大である。人口増加については、世界銀行の統計によると、1960年から2010年までに北朝鮮の人口は約1340万人増加した。また、工業化の影響は消費の伸びなどに表れてきており、可燃ゴミは681トンから2009年には1046トンに増加、1人あたりの電力使用量は1971年の919kWhから1984年には1334kWhに増加している。
たとえば、エネルギー需要が高まると、燃料用木材の使用量が急増する。そうなれば森林伐採が一層進み、干ばつや農地転換による森林の脆弱性に拍車がかかる。UNEPの報告書は、中国や旧ソビエト連邦から輸入した時代遅れの石炭燃焼技術で工業化の努力が行われていることを明らかにしている。なお、北朝鮮において、このような技術でエネルギー生産が行われている割合は、2009年時点でも38%に上る。
北朝鮮の環境問題の今後の見通しについては、少なくとも現段階では、真っ暗というわけではない。この30年間においては、急がれていた経済開発も、次第に段階的かつ長期的な視野に基づくものになりつつある。この傾向は制度的にも明らかで、北朝鮮では、法律の制定も含めて、数多くの政治的な動きがあった(以下の年表をご参照ください)。また、実証的にも、1984年から2009年にかけて1人あたりのエネルギー消費量は減少しており、また産業界における二酸化炭素の排出量も1985年には8367万トンだったのが、2008年には4362万トンに減少している。
こういったことにより北朝鮮は、より多角的な政策、つまり環境への認識を含む政策を展開できるようになった。1986年4月、「環境保護法」が第5回最高人民会議(北朝鮮の立法機関)で成立した。これは環境に重点を置いた一連の政策の第一号であった。
上記図表は著者が諸々のデータから作成。
北朝鮮の主要ニュースネットワークである国営朝鮮中央通信は、今世紀に入ってから、環境問題に関する政府首脳の協議も含めて、かなりの活動を報じている。目立っている傾向の1つは土地管理に重点が置かれていることで、2001年に開かれたある会合では、灌漑と土地転用に焦点が合わせられており、また2011年に開かれた別の会合では、樹木栽培による環境保全が取り上げられたとのことだ。
しかし、北朝鮮から事実を入手しようとすると、これらの報告もさらに大きな問題となって立ちはだかる。政府はきわめて厳しい情報統制を行っており、UNEPのような中立的で信頼できる出所から情報が引き出せることはごくまれだ。
それでも、北朝鮮は国際機関との協調努力に関わるようになり、少しずつ世界に開かれた国になりつつある。2001年、指導部は環境保護努力を真摯に見守ると誓い、先進国が新興国に資金および技術援助をさらに行うよう要求した。これが特に重要だったのは、その後にUNEPの画期的な調査が控えていたからだ。そうして作成されたのが2003年の環境実態報告書だが、この報告書は、今に至るまで、北朝鮮の環境の状況を最も包括的に示す資料となっている。
UNEPの報告書以降、国際協力は2011年まで一旦落ち込む。2011年、UNEPの代表が、森林保護をテーマに掲げた世界環境デーに、再び北朝鮮に入ることが認められた。これは北朝鮮が、国のレジリアンスだけでなく、必要不可欠な生態系サービスとしても、森林は重要な役割を果たすという認識を高めた結果である。
このテーマは同年さらに引き継がれ、北朝鮮は、タイにあるアジア工科大学院で国際連合アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)によって開催された、Promoting Regional and Economic Cooperation in Northeast Asia(北東アジアの地域および経済協力の推進)についての4週間のトレーニングプログラムに参加した。
このように北朝鮮の環境の実態について報告されるのがきわめて限定的で散発的な中では、国の状況を垣間見る唯一の機会が災害であることも少なくない。その例として、1995年の飢饉では、その間に政府高官の訪問や首脳級の会談が数多く行われたこともあって、北朝鮮事情に関する報道が劇的に増えた。また、2004年に発生した龍川駅列車爆発事故に際しては、救援活動への道が開かれた。
北朝鮮は、自給自足に向けてのゴールにおいて、ある程度のリスクを負うつもりだという姿勢を示している。その例として挙げられるのは、1997年、台湾の低レベル放射性廃棄物を廃坑に貯蔵する提案をして、外貨を獲得しようとしたことだ。だが、地下水への浸出を防ぐためのインフラが整っていないのは明らかだった。
しかし、この例からよくわかるように、より大きな傾向でとらえると、北朝鮮は環境を管理しようという政治的な意思を時折は示すものの、持続可能な解決策は実施できていない。北朝鮮は、土地管理や生物多様性といったトピックを持ち出し、これらの問題に対処するために法律の整備を進めたり、国際的な取り組みに関与したりしているが、食料やエネルギーの安全保障といった政治的に微妙な問題になると、積極性は影を潜める。
1986年の環境保護法の制定以降、なかなか進展が見られないのは明らかだ。しかし、北朝鮮の政府高官が、国連機関と協力することによりオープンになっている様子はある。ここで必要なのは、国連のさまざまな機関がより重点的な働きかけを行い、北朝鮮政府が、ミレニアム開発目標の達成に向けて努力するなど、持続可能な開発に取り組むように動機づけることだ。
そのために国連が取ることができる方法のひとつは、主要な加盟国と力を合わせて、持続可能な開発のための能力を提供することだ。協力国には韓国や日本が挙げられるが、これらの国々は援助に向けて資金もインフラも意欲も持っているものの、しばしば国内で政治的に強い反対を受けて、実行は阻止されている。あるいは国連は、社会生態および環境のレジリアンス、それに適応能力において効果的な政策やインフラを有する国々に、知識とケーススタディを提供するように協力を要請することもできる。その中に含まれるのは、オーストラリア、コスタリカ、ケニアなどだ。
さらに国連は、世界銀行などの機関と協力して、北朝鮮にインセンティブを提供することもできる。世界銀行は、さらなる開発目標を達成するために、ひも付き援助やプロジェクト資金援助を提供することが可能だ。これは、1994年の枠組み合意で、軽水炉をめぐって米国と共に実施したようなものだ。
北朝鮮は、土地管理のような分野では、持続可能な開発手法を採り入れ、環境基準の改善に向けた変革を実施する潜在能力があることを示している。しかし、この潜在能力をこれからも持ち続けられるかどうかは、まだ明らかではない。とりわけ、北朝鮮では目下、金正日総書記の死去により権力の継承が行われたばかりで、政治的に不確定要素が多いだけになおさらである。しかし、環境の脆弱性に取り組もうと北朝鮮が努力したことで、それがなければ閉ざされていた社会と協力する架け橋ができた。これは北朝鮮関係では大きな前進で、さらなる進展を確実にするものである。
翻訳:ユニカルインターナショナル
北朝鮮の生態系脆弱性に対処する by イ スヒョン・ is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.