ロバート・ブラジアック氏は、東京大学大学院農学生命科学研究科のリサーチ・フェローで、持続可能な漁業の管理における国際協力の可能性について研究している。現在、国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS)のFUKUSHIMAグローバルコミュニケーション事業に関わっており、また以前は同大学のSATOYAMAイニシアティブにも取り組んでいた。
ダニエルとヨハナはアルプスの山奥にある人口1230人の村へ引っ越すまでは、スイスのチューリッヒで昼間は会計士、夕方と週末は劇団員として働く二重の生活をしていた。
それでも物価が最も高い都市として必ず上位にランクインされるチューリッヒの中心街で暮らすのは決して楽ではなかったとダニエルは話す。「ヨハナが妊娠した時、家族全員で暮らせる広さのアパートに住む金銭的余裕はないと思いました」。2人は以前ハイキング旅行に出かけたことがあり、その際、地元の修道院の庭園に立ち寄っていた。その時、ダニエルは庭園の隣の雑草が生い茂る一区画に目を奪われたのだった。
ヨハナの出産が近づく頃、ダニエルはその雑草に覆われた土地を思い出し、バスのチケットを買うと、その村へと舞い戻った。
「庭園はまだあったけど、隣の敷地に伸びている雑草を抜く人はいないようだった。私は土地の所有者と話をし、政府の認可申し込みをし、その2カ月後にはすぐ近くの空いている農家に引っ越したんだ」
ダニエルは早速、その土地の雑草抜きにとりかかり、ペパーミントなど様々なハーブを植えた。2年後には土地の有機認定を受け、オリジナルのブレンドハーブティを生産するようになった。その後、修道院の敷地の一角に小さな一部屋だけの店を構え、地元の市場などでハーブティと野菜の販売を行い、ヤギの飼育も行っている。
ヨハナは出産後、町の保育園でパートタイムの仕事を得て、教会で劇団の主催を始めた。
ダニエルとヨハナの話を持ち出したのには理由がある。統計によると現状では、地方から都心へ移り住む人類史最大の大移動が進行中だという。現在の考え方は、未来は都市にあるというものだ。都市はより大規模になり、人口は増加し密度が高くなり、資源やエネルギーに関してはかつてないほど外部に依存している。
先月、国連大学高等研究所(UNU-IAS)と国際地域開発センターは「Sustainable Urban Development: Challenges and Issues in Developing Countries(持続可能な土地開発:途上国における課題と論点」と題したシンポジウムを共催した。専門家によると、都市部の人口は2050年までに、現在の34億人から63億人へ、つまり85%も増加するそうだ。このイベントで国際自然保護連合アジア地域ディレクターのAban Marker Kabraji氏がスピーチを行い、このように述べた。「都市部の面積は世界の陸地のわずか2%にすぎませんが、そこでなんと75%もの資源が消費されています」
人類文明の大々的かつ急速な変化により、農村から都市部へ向かう強力な流れは広い範囲で一般的になりつつある。
とはいえ、ダニエルとヨハナは例外ではない。例えば韓国の最近の報告によると、2011年には都市を離れ農村部へ移る世帯の数が158%増加したという。韓国の徐圭龍(ソ・ギュヨン)農林水産食品相の説明では、「より静かな生活を求めて」地方へ移住する人々の数が急速に増えている。人々が農村から都市へ移動する要因はいくつも挙げられているが、逆の方向への移動の要因にはまた別の意味合いがあるのは当然だろう。
今後数十年の間に文明の本質的変化が起こると予想されている。そんな中、都市から農村へと移住する人々はいわゆる「炭鉱のカナリア」なのだろうか。それとも大多数が占める行動の例外にすぎないのだろうか。都市から農村への移住者たちは生態系を守り、レジリエンス
を育てるためにどのような役割を果たすことが出来るのだろうか。
周辺の生物多様性を維持したり、増加させたりするには、人の手が極めて重要な役割を果たす。世界各地には、何世代にもわたり人と周辺の環境が調和を取りあって共存している社会生態学的生産ランドスケープが数多く見られる。そのようなダイナミックなモザイク状の土地活用と生態系(生息地)は、その土地の文化と社会に根ざした持続可能な生活様式を提供している。
中でも棚田は数多くの種の生息地だが、人が定期的に世話をしなければ生物は生きていけない。日本で行われた調査では、なんと5,668種もの生物が水田で生息していることが報告されている。コメ農家の平均年齢は66歳で、全国の人口が急速に減少する中、農村ではその傾向が特に顕著だ。そのため生物多様性の豊かな社会生態学的生産ランドスケープは放棄されたり根本的な変化を強いられたりしている。
里山イニシアティブによるケーススタディは、東京郊外の町田市で放棄されたランドスケープを特集している。そこでは植物や生物種が徐々に減少していることが確認されたため、地元の管理の下、1つのプロジェクトが立ち上げられた。人の手を介し、伝統的知識を生かしながらランドスケープの復元を図るものだ。この地域では1986年の調査では植物の自生種数は591種だったが、 2002年までにその数は680種にまで回復した。
また、森林は放置されると(特に単一栽培の場合)、葉がうっそうと茂り、林床にほとんど日が当たらなくなる。間伐され、持続可能な形で管理された森林なら、十分に日光が差し込み、緑豊かな下草が生え、多様な生物種が育つようになる。
そのような社会生態学的生産ランドスケープを保つには、人々がその土地にとどまり、調和の取れた方法で管理することが必要だ。それを踏まえ、都市計画者らは農村部から都市への人の流れによる影響を中心的課題として捉えるようになってきた。一方、里山イニシアティブやその他イニシアティブは、高齢化社会と後継者不足の中、どのようにして健全な地域社会と生態系を維持するかを検討している。
レジリエンス(変化に対する柔軟な強さ)という概念を軸に、2012年9月にはIUCNの自然保護会議が韓国で開催される予定だ。都市に向かう、あるいは離れる人々の移動の影響について考える良い機会だといえよう。
まずはレジリエンスの欠如を示すシステムを検討してみると分かりやすい。例えば、サンゴ礁は驚異的な生物多様性が特徴で、視覚的に美しく、また、遺伝的に多様なため、薬としての潜在的価値が高い。同様に、このような環境では生物の多くは著しく特化している。例えばカクレクマノミ種は生存のためイソギンチャクと高度に依存しあう共生関係を築きながら共に進化してきた。
[quote quote=”今後数十年の間に文明の本質的変化が起こると予想される中、都市から農村へと移住する人々はいわゆる「炭鉱のカナリア」なのだろうか。それとも大多数が占める行動の例外にすぎないのだろうか。” type=”text” ]
比較的静的な環境においては、そのような特化により、生物が生態系のニッチを効率よく利用することが可能である。しかし、それと同時に、生物は環境の変化に対して極めて敏感になる。大規模なサンゴの白化現象が起こったのは、異常に高い海水温と水位上昇に密接な関係があるとされているが、そのいずれも地球規模の気候変動の結果として予測されてきたことだ。サンゴ礁は生態系において、文字通り基盤を提供していることから、生態系内の生物の依存度が極めて高く、このような現象がひとたび起これば生態系全てが破壊されることになる。したがって特化が進んだ生物集合体は、地球規模の気候変動に対するレジリエンスが低い生態系を構成することになる。
専門家はこれまでに、世界的気候変動が起これば世界中の生態系のレジリエンスを試すような極端な気候現象が起こるだろうと予測してきた。外来種の拡散、広範囲の生息地喪失、生態系劣化と相まって、ジャイアントパンダのように竹のみを食する動物や、種子の拡散をハイイロホシガラスのみに依存しているホワイトバーク・パインなど、特化が進んだ生物の将来が危惧される。
そして、特定の食料に頼らず、気温や気候パターンの変動に柔軟に対応できる生物は、今後、特化してしまったライバルが絶滅していく中、逆に繁栄していくことになるだろう。
サンゴ礁から、もう一度都市の話に戻そう。経済成長にとって効率性は欠かせない要素の1つとされている。効率性は特化(専門化)を推し進めることによって得られる。多くの都市住民は、会計、法律関係、小児科などごく狭い範囲で高度に特化された技術を持つ。そういった技術を効率よく生かしつつ、日常の必要性については他の専門家に依存している。多くの場合、都市住民は食料と住居の確保のために最も基本的な技術すら持たないまま無事に生活している。その理由は(1) 専門分野でのニーズが常に社会にあり、(2)食料と住居を提供している他の専門家がいてくれるためである。そのいずれかが欠ければ個人の生活には深刻な影響が出る。
つまり、都市のシステムでは、個々の分野が高度に専門化され、他者に極端に依存しており、サンゴ礁同様にレジリエンスが欠如している。2010年ハイチの地震の際、60万人もの人々が首都ポルトープランスを脱け出した。これは食品流通が経たれ、多くが住居を失ったからである。
[quote quote=”都市を離れ地方へ移動すれば、専門性が薄れる分、技術の幅が広がり、レジリエンスが強化されることになる。” type=”text” ]
だからといって悲惨な結論を導く必要はない。というのは、サンゴ礁の特化は長い進化の過程を経てのことだが、都市の特化を形成したのはごく最近の経済的・社会的動きだからだ。ジャイアントパンダが突然食料を多様化させることはできないが、人間はいつでも新たな技術力を習得することができる。
地域社会の密度が高ければ高いほど、特化への方向性は強まる。その対極にあるロビンソン・クルーソーは、日々生き残るために生活のあらゆる側面を1人でこなさなければならなかった。同様に、サハラ砂漠の牧畜民は小集団ごとに専門の技術を持っているとしても、集団内の個人は様々な行動を幅広く行えなければならない。だが逆にニューヨークや東京など、専門化が究極まで進んだ社会ではペットセラピストとして、あるいはソムリエとしての技術のみで生計を立てていくことは可能である。
よって、場合によっては、都市を離れ地方へ移動すれば、専門性が薄れる分、技術の幅が広がり、レジリエンスが増加することになる。ダニエルが専門の会計職を離れ、有機ハーブ園を開き、家畜を飼育し、商品のマーケティングを行うなどあらゆる側面をこなしているように。
予測が間違っていなければ、世界の人口は2050年までに90億人に増え、そのうち都市居住者は60億人以上になるという。つまり世界人口の3分の2以上がレジリエンスの欠如を特徴とする地域に住むことになるのだ。経済的な表現をすれば、都市は効率性の典型だが、農村部へ移動する人々の細々とした流れは普遍的な人間の意識の一面を映し出しているものなのかもしれない。長い目で見れば効率性よりレジリエンスが生存のための戦略なのだと。
翻訳:石原明子
農村回帰:効率に勝るレジリエンス by ロバート・ブラジアック is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.