愚者の船:このまま明日へは進めない

2013年03月02日 ブレンダン・バレット ロイヤルメルボルン工科大学

環境に関するメッセージが込められた(少なくともビデオからはそのように解釈できる)「Ship of Fools(愚者の船)」というオルタナティブ・ロックソングは、1986年に発表されたワールド・パーティーのデビューアルバム「Private Revolution(プライベート・レボリューション)」に収められている。この曲は世界的にもかなりヒットし、米国ではいきなりビルボードトップ40に食い込んだほか、オーストラリアのポップチャートでも4位にまで上昇した。ただし、当時、私は京都大学の学生として日本に住んでいたので、残念ながらこの曲の人気についてはまったく知らなかった。

ほんの4ヶ月前、2012年にインターネットでこの曲についに出会った時、私はその歌詞、そしてそれが現在の私たちの困難な状況を非常に的確に言い表していることに衝撃を受けた。それから私はワールド・パーティーに興味を持ったが、バンドの名前を意識していなかっただけで、いくつかの曲についてはたしかに聞き覚えがあった。また、ワールド・パーティーについて書かれたコメントを読んで気がついたのは、誰もが「どうしてこのバンドはもっと成功しなかったのだろうか?」と思っていることだった。

ただし、ワールド・パーティーを「バンド」と呼ぶのは、やや誤解を招くかもしれない。ワールド・パーティーは実質的にカール・ウォーリンガー氏だけで成り立っていて、彼が作詞作曲し、リードボーカルをとり、さまざまな楽器を担当し、プロデューサーも務めている。ウォーリンガー氏は素晴らしい才能の持ち主で、彼がいま再び、曲を作り、ツアーを行っているのは喜ばしい限りだ。

しかし、彼の曲の何が気に入っているかというと、「And God Said(アンド・ゴッド・セッド)」「Ship of Fools(愚者の船)」「Give it All Away(ギブ・イット・オール・アウェイ)」などの多くの曲で環境が共通のテーマになっていることだ。もっとも、彼の音楽に出会えたことについては嬉しく思っているが、この記事は彼を賞賛するものではない。私が書こうとしているのは、彼の「愚者の船」から、私が考えをめぐらせたことである。

ルネッサンス初期から頻繁に登場したモチーフ

驚くほど意外だったが、「愚者の船」の隠喩は、ルネッサンス以来、欧米の文学や芸術、現代音楽において、ずいぶん頻繁に取り上げられてきた。なかでも早くにこの寓喩を用いたのは、1494年、まさに「阿呆船」という題名の作品を発表して人気を博したドイツの風刺作家、セバスチャン・ブラントである。この作品の時代背景はというと、イングランド王のリチャード3世の死から9年後、クリストファー・コロンブスが最初にアメリカ大陸に航海をしてから2年後であった。

ブラントは、同時代の多くの人々と同様に、終末は近く、キリストの再臨には悔い改め、赦免、清廉な信仰の一生が必要だと信じていた。「阿呆船」で、ブラントは堕落した世界における人間の行動の理由を探ろうとした。彼に言わせれば、私たちの愚かさと不信心はそこに端を発する。

ブラントによる愚者の船では、操縦士もおらず、乗客は気がふれていて、どこに向かっているのかも忘れてしまっている。ウォ―リンガー氏の歌詞では、彼らは「地図上のある場所に向かって出帆したが、そこからは誰も戻ってきたことがない」

オランダの画家、ヒエロニムス・ボスは、おそらくブラントの作品の影響を受けて、自分自身の「愚者の船」を描いた。まさにそれを題名とする古典的作品は、今日ではルーブル美術館に展示されており、この記事の冒頭のバナーにも使用されている。ボスの船に乗っている愚者はあらゆる人間の代表で、その中には修道士や修道女など、彼の時代において道徳の鏡となるべき人たちも含まれている。これらの愚者は目的もなく漂っていて、安全な港にたどり着くことは決してない。

この絵画を見て私たちは、「愚者の船」が見知らぬ誰かの話ではないことに気づく。描かれているのは私たちなのだ。愚者の船の寓喩が人を惹きつけてやまないのはそのためである。その存在を認識することによって、人は同時に乗客に自分の姿を重ねるようになる。

現代の世界において、私たちは旅路を共にしているが、どうやら安心して下船できる港はなさそうだと言うことができる。現代の文学(ミシェル・フーコーの「狂気の歴史」など)や映画、そしてドアーズ、グレイトフル・デッド、ロバート・プラントのようなロックソングにおいて愚者の船がたびたび登場しているのは、そういった理由もあるのかもしれない。愚者の船は、私たちが身を置く世界の風潮を表現する強力なモチーフであり、今後も日に日にその意味を増すであろう。

愚者の船は今の時代を反映している

Our World 2.0において私たちは常に、今日の緊迫した世界の問題に前向きに立ち向かうソリューションに目を向けてきた。しかし、時には、愚者の船の比喩があまりにもぴったりだと思われることがある。

例を挙げよう。数日前に友人がフェイスブックに投稿したところによると、世界の2012年の軍事支出は1兆7000億米ドルに上るが、貧困を撲滅するために必要な年間コストは1350億米ドルにすぎない。後者の数値は2005年のミレニアム・プロジェクト・レポートに示されているものだが、そのレポートでは、2006年に政府開発援助をさらに倍加して1350億米ドルに、そしてその後、さらに引き上げて1950億米ドルにすると、ミレニアム開発目標(MDGs)が確実に達成できると見積もられていた。 そうすれば、2015年末(MDGsの達成期日)までに極度の貧困は半減し、2025年までには実質的に撲滅できると考えられていたのである。

上記の投稿とほぼ同時に、フェイスブック上の別の友人があるレポートをもとにグラフをシェアした。それによると、世界人口の0.1%が42兆米ドルを握っていて、それだけあれば今後250年にわたる気候適応コストを十分にまかなうことができる。折しもツリーハガーは、この0.1%が地球を救うビリオネア・リーグ・オブ・ジャスティス(「ジャスティス・リーグ」とはアメリカンコミックスのスーパーヒーローたちが集結するオールスターヒーローチーム)1を結成するよう、記事で呼び掛けた。

なんとも困ったものではないか。ほかに最近、印象に残ったのは、気温の上昇が続くのに合わせて、オーストラリアでは天気図の色を追加したという話だ。ガーディアンによると、2013年1月14日に予想されていた気温は「前代未聞」(52℃以上)で、オーストラリア気象局は天気図上の既存の目盛りの上に新しい色、「まさにふさわしく強烈なパープル」を加えなければならなかった。

思わず笑ってしまいそうになるが、同時に悲しく、恐ろしいことである。これは、私たちが生きている世界の愚かさを典型的に示している。この世界では、私たちが気候変動に適応する努力をする横で、多くの人たちがいまだに気候変動そのものを強く否定している。

これを読んで、どうにもできない問題にとらわれて身動きができないと感じるだろうか? それに対する一般的な反応は、次のようなものではないかと思う。「そんなに神経質になるな。そうやって世界はいつも動いているじゃないか。違うことを望んだってダメだよ」——。たしかに、多くの人にとっては、この陽気な船に乗っていると、人生は非常に素晴らしいものだと感じられ、私もその例外ではない(感謝もしている)。前向きなことは十二分にあって、それだけで楽しくて夢中にもなれるのだから、不安や不穏などは感じなくてもいいのかもしれない。

こういう傾向を見て、スケプティカル・サイエンスのジョン・メイソン氏のような人たちは、逆に深刻な分断が起きていると考えている。「多くの人たちは環境のことも、私たちがこれからも健やかに暮らしていくには環境が重大な役割を占めることも理解していません。分断された世界では、食料はまさにスーパーで生み出されるのです。多くの場合においては、手間が省けて売りやすいので、元の形がわからないほど加工され、パック詰めされています。そういった食品と環境とのつながりは完全に切断されています」

彼はさらに次のように述べている。「現代の私たちは半分自動化された存在で、さらなる消費を促すメッセージを浴びせかけられて、外の世界とも一部、分断されつつあります。私たちは外の世界のことをどれほど本当に知っているでしょうか? どれほど知らなければならないのでしょうか、そしてなぜ、それが重要なのでしょうか?」

たしかに、私たちの技術は驚嘆に値する。たしかに、私たちは多くの人々の生活を向上させた。今日の文明は驚異的で、生活は格段に快適で便利になった。それでも、私たちは何か心得違いで愚かなことをしているのではないかという500年来の不安を振り払うことができない。

勘違いしないでいただきたい。聡明で私心なく、創造力に富む多くの人々が、この世界をより良くするために積極的に努力をしていることに、疑問を差し挟む余地はない。しかし、私が言いたいのは、「何かがひどく間違っている」という認識が高まっていることだ。この発想から、「世界の六分儀」や「倫理の羅針盤」といった、新たな世界観が必要だと結論づける人もいる。これは最近見た、ジョゼフ・オハヨン監督によるドキュメンタリーフィルム「Crossroads: Labor Pains of a New Worldview」(十字路:新たな世界観を創出するための努力)にも描かれている。

1時間、時間が作れるなら、この映画を是非観ていただきたい。この映画は、私たちが本当は何者で、なぜ私たちが今のようにしているのかについて、私たちの思い込みに鋭く疑問を投げかける映画である。

しかし、この映画についてさらに重要なのは、次のようなメッセージを伝えていることだ。それは、今こそ私たちは、統合された新たな世界観に移行し、すべてを再評価し、持続可能で、より公平な世界を目指して、私たちが乗っているこの船の新たな目的地を設定し、私たちを正しく導いてくれる、より優れた操縦士を選出し、行き当たりばったりではなく、海図に描いた将来を目指さなければならないということだ。

これまでずっと、カール・ウォーリンガー氏やその他の多くの才能あふれる人たちは、私たちに警告し、あるいは甘い言葉で呼びかけを行ってきた。これに応えなければ、合図を読みとろうとしなければ、変化を積極的に受け入れなければ、私たちは今度こそ、本当にどうなってしまうだろうか?

翻訳:ユニカルインターナショナル

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著者

ブレンダン・バレット

ロイヤルメルボルン工科大学

ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。