エコサイドは平和に対する犯罪?

「エコサイド」を平和に対する犯罪として国連に認定してもらおうというキャンペーンがイギリスで始まった

This is ecocide(これがエコサイド)というキャンペーンは、弁護士から転じた英国の活動家ポリー・ヒギンズ氏が発案したものであり、現存する四つの「平和に対する罪」であるジェノサイド、戦争犯罪、戦略犯罪(いわれのない戦争など)、そして人道に対する犯罪と共にエコサイドも加えるべきだというものだ。

ヒギンズ氏はエコサイドの法的定義として以下を提案する。
「ある地域における人為的作用もしくは他の要因によってその住民の日常生活がひどく損なわれるほど広範囲にわたる生態系の破壊や損傷、損失」

しかし、国際連合大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)に在する国際法の専門家はエコサイドをジェノサイドと同一視することや国際刑事裁判所(ICC)によって起訴されることを期待するのは実名公表に役立つかもしれないが法律の上では実用性も正論性もないと反論する。

エコサイドとは?

環境に対して破壊的そして犯罪的ですらある多国籍企業や国家たちの行動の多くは地域社会や生態系に致命的な影響を及ぼしてきた。今日、資源を取り巻く決死の争奪戦が起こっているなか、この様な犯罪は増加傾向にある。ある国連の未公開レポートによると、世界のトップ企業3,000社が引き起こしてきた環境被害の総額は米2.2兆ドルにのぼるという。

そのうえ規定不足や共犯行為を犯しながら環境に対する不正行為に目を背ける国家も含めれば、加害者の責任を問い、被害者は賠償要求ができる国際機関が必要であることが明らかだ。

キャンペーンでは、生態系の損失が資源の減少につながり、最終的には戦争へと発展していくのだという論理を提言する。下記の動画では「(地球の資源の)採掘=エコサイド」と表現している。しかしどれほどの採掘量やそれによる被害をエコサイドと呼べるのだろうか?各個人をエコサイドの罪で起訴するには一定量の汚染や死亡が起きないといけないのだろうか?このような詳細はまだ不明である。

明白なのはエコサイドを国際犯罪と設定することで国家政府が環境犯罪に対する説明責任を追求しないあるいはできない場合に、ICCの管轄に入ることを保証できることだ。

この提案のもう一つの特色は「土、海、木、動物、魚、人、大気」などを含む全ての種に影響を及ぼす行動を起訴できることである。環境への影響を考慮する考え方は正戦論的な倫理観や他の哲学的思考に見られるものの、人類中心的な傾向を見せてきた法的諸制度とはかなり異なる。

そしてキャンペーンはまた、エコサイドは気候変動を否定する人々の起訴に使用できないことを明言している。

ジェノサイド対エコサイド

UNU-ISPの学術研究長官であるヴェセレン・ポポスキー博士(Dr. Vesselin Popovski)も「エコ破壊者」と博士が呼ぶ者たちに対する怒りと非難そしてその加害者たちへの責任追及の念を持っている。彼は旧ソビエト連邦でチェルノブイリなどの環境災害の被害者たちの賠償訴訟を支援した経験がある。

しかし、ポポスキー博士は、「エコサイド」といった専門用語を用いて注目や支援を集めることができる運動やキャンペーンと、平和に対する五つ目の犯罪への国際的な法的規範を設定することは別物だと考えている。

ジェノサイドは犯意を持って計画され実行されるものであるのに対しエコサイドは欲望と怠慢によるものであり、これもまた処罰することができるが、武装戦争に用いられる国際人道法ではなく違った法的手段で裁くべきだと彼は議論する。

「ジェノサイドをエコサイドで減殺するのはやめましょう。ジェノサイドは恐ろしい反人間的な政策であり個々の指導者が大勢の人々を抹殺するために行っていました。言葉を操ってエコサイドをジェノサイドと同等にしてしまうと、ホロコーストやルワンダの大虐殺の被害者たちを屈辱することになり兼ねません」とポポスキー博士は言う。「資源の過剰摂取や生態系の崩壊によって住居や職業を変える人々はいるかもしれませんが、これは意図的に計画され数百万人が虐殺されたとジェノサイドとは比べ物にならないのです」

ポポスキー博士は、利益のために問題に目を背けてきた大勢の企業トップらを裁く機関としてICCは相応しくないという。「ICCは犯意を持った加害者を個人単位で特定するのが役目です」と彼は説明する。そしてエコサイドの場合はこれがどれほど難しいもしくは不可能であることかを例証する。

「人道に対する犯罪であった1944年のスターリンによるチェチェン人追放計画と同じようにチェルノブイルの悲劇を意図的に計画した人はソビエト連邦のどこにもいなかったでしょう。北イラクでサダム・フセインが毒ガスを使って何千人もの人々を殺したのと同様にボパールの人々を殺そうとは思った人はダウ・ケミカル社のどこにもいなかったはずです」

「また、地球の権利や石油・石炭業界全般など抽象的な話ではその犯罪や個人の加害者を識別するのは非常に難しいでしょう」

ポポスキー博士はまた、ヒギンズ氏の提言の主要な論理仮定に誤りがあると考える。

「資源をめぐる戦争は起こるかもしれません。資源不足に直面した人々は戦を始めるかもしれませんが反対に、より良い解決策を求めて協力しあうかもしれません。古代のように生き残るために他人を殺すのではなく、現代の人々は科学を使って再生可能エネルギーや低炭素など他の低エネルギー技術を開発し資源や水の不足を解決しようとするかもしれません」と彼は言う。

新たな裁判所や法廷

ではICCが環境の公正を求めるのに相応しくないのであれば、他に選択肢はあるのだろうか?

各国内の法律制度でじゅうぶんに環境不正を起訴することができるのではとポポスキー博士は考える。

「多くの国では既に汚染や環境破壊は犯罪化されており、エコサイドといった抽象的な用語で複雑化する必要はないのです」と彼は述べる。

近年、特別な環境裁判所や法廷が現れている。非政府組織のAccess Initiativeが公開したレポートGreening Justice(PDFファイル)では環境法廷の著しい増加を実証している。現在この様な法廷は40ヶ国の約350ヶ所にもあるのだ。

「国内の裁判所のみならず、地域ごとの人権裁判所も役立てることができるでしょう」とポポスキー博士は説明する。「例えば欧州人権裁判所(ECtHR)です。決して刑事法廷ではないのですが、環境災害からなる事件も含み政府が被害者の人権を侵害したことを判定し補償を命令できる国際的な司法機関なのです」

ポポスキー博士が挙げる一例はÖneryildiz対トルコ。トルコのメタンガス爆発で39人もが死亡した事件でECtHRは自然災害の防止や軽減の義務を果たさなかったことは生命に対する権利(条約の第二条)の違反に値すると判定し国際法の下で国家に責任が科せられた。

また別の革新的な事件Budayeva対ロシアではコーカサス山脈中部の土砂崩れで8人が亡くなった事件が地方政府の過失が原因だったことが明らかになった。この前例をとってECtHRは国家責任を自然災害まで含むよう拡大し、裁判官は第二条の違反も指摘し遺族への賠償金を命じた。

この前例を踏まえ、人々は環境災害防止の責任を国家に求めることができるとポポスキー博士は論証する。

相補する国際機関

国家レベルもしくは地域レベルでの解決策が存在するものの、多くの政府は環境影響を監視する力や意思がないため全体的に見れば威力は非常に制限されている。そのため、ICCとは別に環境破壊の阻止や対応にこたえられない国家の監視活動や説明責任の追及ができる国際機関の必要性は非常に高いとポポスキー博士は言う。

「長期的には、国際社会は各国家の環境基準の順守を監視する国際機関を設置するべきです。核開発が国際原子力機関に報告されているのと同様に国家は環境破壊を阻止するための活動を国際団体に報告すれば良いのです」とポポスキー博士は提案する。

このような機関を通して様々な企業、例えば石油やガスなどの採掘会社は調査官によって精査されるべきです。これは原子力損害賠償に関するウィーン条約に類似しつつももっと幅広い環境リスクを網羅するのだ。

「どれほど重要かつ正当な理由であれ、私たちが新しいアイディアや主張を押し進める際にはこの国際的背景や国際法の裏にある政治情勢を考慮するべきです。国際規範の設置には数十年や数世紀という長い時間を要します。例えばICCは1919年のヴェルサイユ条約にまでさかのぼる案でしたが国家指導者を起訴できるようになるまで非常に時間がかかりました。そしてこれには市民団体の役割が不可欠でした」とポポスキー博士は教えてくれた。

ICCが環境犯罪の追訴に相応しくないにしろ、この運動が、国家政府と国際社会がどのようにこれらの課題に一貫して有効的に取り上げるべきかという議論の火付け役となることを願う。「私は、個々の企業汚染者たちに対して国内の法廷措置が続き、同時に環境破壊的な活動を阻止し罰することを国家責任と設定する更なる国際法典化と政策が執行されることで、リスクが減少し地球が生きのびることを願っています」とポポスキー博士は述べた。

翻訳:越智さき

Creative Commons License
エコサイドは平和に対する犯罪? by マーク・ノタラス is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

マーク・ノタラスは2009年~2012年まで国連大学メディアセンターのOur World 2.0 のライター兼編集者であり、また国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)の研究員であった。オーストラリア国立大学とオスロのPeace Research Institute (PRIO) にて国際関係学(平和紛争分野を専攻)の修士号を取得し、2013年にはバンコクのChulalpngkorn 大学にてロータリーの平和フェローシップを修了している。現在彼は東ティモールのNGOでコミュニティーで行う農業や紛争解決のプロジェクトのアドバイザーとして活躍している。