ブレンダン・バレット
ロイヤルメルボルン工科大学ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。
数週間前、シンガポール・チャンギ国際空港の近未来的な第3ターミナルで、私はついに小説「ソーラー」(Solar)を手に入れた。出張旅行でまたしても炭素排出に加担してしまったことに罪悪感を覚えながら、私はふらりと本屋に立ち寄った。そこで見つけたのが、ベストセラーの棚の一番上に並べられていた気候変動とエネルギー科学に関するこの小説だったのだ。私は急いでATMに向かってシンガポールドルを引き出し、書店に戻って本を購入した後、コーヒーショップに入ってフライトまでこの本に目を通すことにした。
すでに本書に関するいくつかの書評を読んでいた私は、3月の出版以来、ずっとこの本を探していた。東京で近所の本屋にも何度か行ってみたが、英語の書籍は店頭に並ぶのが若干遅れるため、見つけることができなかった。私はイアン・マキューアン氏の著書をそれまで一冊も読んだことがなかったが、「土曜日」、「初夜」、「贖罪」など、書店にあった彼の他の作品を残らず読んでみたいと思った。しかし、結局は「ソーラー」を粘り強く待つことにしたのだった。
私は人気のフィクション作品を読むのが好きだが、気候変動やピークオイル、太陽エネルギー関連の小説で読みたいと思える程の作品には出会えずにいた。マイケル・クライトンの「恐怖の存在」の噂を思い出す。「身勝手なNGOが、悪の環境テロリストの計画を助けるために気候変動科学を悪用する」というものだ。しかし、とりわけ温暖化をテーマにした陰謀小説で、私の興味を引いたものは他になかった。
「ソーラー」に関して言えば、その最たる魅力は風刺である。最近のガーディアン紙のインタビューで、マキューアン氏は述べている。「読者にうるさく説教していては、小説は成り立たない。だから私は風刺的要素を取り入れたのだ」
マキューアン氏がこのインタビューを受けたのは、「ソーラー」がBollinger Everyman Wodehouse 賞(風刺作品に贈られるイギリスの文学賞)を受賞した直後である。ガーディアン紙の取材に対し、同氏は「(気候変動に関する)小説が少ないことに驚いている。気候変動が私たちの生活に大きな影響を与え、人類に重大な結末をもたらすのは明白だ」と語った。
小説の主人公・マイケル・ビアードは、「頭は禿げていて、背が低く太ってはいるが頭脳明晰な」物理学者であり、ノーベル賞を受賞している。彼の私生活はめちゃくちゃで、多くの恋愛と結婚生活の破綻の繰り返しだ。この主人公を好きになるのは難しいが、そのことがこの小説を面白くしている。読者は彼の転落や失墜を願いながら、次から次へとページをめくってしまうだろう。
小説に描かれるのは2000年から2009年の出来事で、ビアードにとっての良き時代はすでに過去のものとなってきている。それでも、ノーベル賞の功績によって、彼は主要な諮問機関や研究機関での職、稼ぎのいい仕事への誘いを受ける。また、様々な崇高な理論の裏づけを依頼されたり、講演会出席やそのための無料の世界旅行をオファーされたりもする。
マキューアン氏は、ある科学者の人生をエゴのぶつかり合いとつまらない嫉妬に満ちたものとして描いている。現実社会も、2009年の末にこれと酷似する様相を呈した。メディアが騒ぎ立てた クライメートゲート事件がそうだ。それは、イースト・アングリア大学の科学者たちから盗まれた電子メールをめぐるスキャンダルだった。この事件に関与した科学者たちの不正行為疑惑は晴らされたが、しかし完全に潔白とも言えない。伝えられるところによると、 彼らは他の科学者たちの研究を妨害しようとしていたという。奇妙な話だが、マキューアン氏は英文学の学士号をイースト・アングリア大学で取得した。これも人生の不思議な巡り合わせだ。
政治家とは違い、科学者たちの私生活が厳しい監視を受けることは通常ない(そしてあってはならない)。しかし、彼らの公共の場での発言は翌日のニュースの見出しを飾る可能性もある。ビアードも科学分野で働く女性の少なさを軽率に口にして、「ノーベル賞受賞教授が女性研究者を否定」という見出しを書かれてしまった。
「ソーラー」のおかしく滑稽な部分は、ビアードの混沌たる私生活と仕事の相互関係や、不幸な出来事を彼がどのようにチャンスに結びつけ、低迷する自身のキャリアと地球を同時に救っていくかである。
「ソーラー」には説教じみたところがない。小説の中で、ビアードは科学、とりわけある一つのエネルギー解決策を突き詰めていく。
気候変動やピークオイルに関する科学的な情報のほとんどは、ビアードが時折行うスピーチを通じて読者に与えられる。例えば「地球は病気だ」というような発言を彼がすれば、この話を聞いている投資家たちはうめき声とともに「帰れコール」でざわめく。まさに典型的な「全て前に聞いたことのある話だが、君の言うことは信じられない」という反応だ。
ピークオイルはあるスピーチで以下の通り紹介されている:
「正確な時期は誰にもわからないが、今後5年から15年の間に、生産がピークを迎えるというのがおおかたの意見である。その後、生産が減少する一方で、世界人口の増加に伴いエネルギー需要は増え続け、人々はより良い生活を求めて必死になるだろう」
しかし、このように穏やかな発表にも関わらず、ある登場人物は言う。ほとんどの人々が気候変動やピークオイルのことなど考えたくもない、考え始めたらきりがないではないか、と。私にはこの登場人物の気持ちがよくわかる。気候変動およびピークオイルの研究者・作家として、私は文中で述べられた見解に同調する。このような問題に来る日も来る日も直面しなくてはならないのは、知的にも感情的にも厳しいことである。しかし、そのような時、私は自分自身に尋ねるのだ。本当に「知らぬが仏」なのだろうか。それよりも、世界で何が起こっているのかを理解し、何かしようと決心する方がましではないのだろうか。
おそらく、だからこそ気候変動に関する小説がこれほど貴重なのだ。小説は、重要な社会的メッセージを効果的に伝える手段であり、その背景となる文化的環境について多くを語っている。私が「ソーラー」から読み取った主なメッセージは、科学者も人間であり、彼らにも欠点はある、そして答えを捜し求める過程で間違えを犯すことさえもある、ということだ。友人や同僚の欠点なら許せるのだから、科学者にも同じ寛容さを見せるべきだ。
しかし結局のところ、小説には娯楽的、感動的な要素がなければならない。そして私は「ソーラー」を楽しんで読むことができた。中には、大笑いしてしまう場面もあり、本書が風刺作品として賞を受賞した訳を納得させられた。「ソーラー」には気候変動というテーマから離れても十分に一読の価値がある。
幸運にも、本書は絶妙のタイミングで出版された。私たちはより多くの人々をこの問題に引き込まなければならないのだ。
翻訳:森泉綾美
小説で読む気候変動・エネルギー問題 by ブレンダン・バレット is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.