静岡の茶生産が守る貴重な植物

「日本各地に見られる里山と呼ばれる地域(ランドスケープ)では、伝統的知識と近代科学を融合させ、生物多様性を促すような農業を行うことで、人々は自然と共生しながら生活を営んできた。本記事に掲載しているビデオでは「静岡県の掛川市東山における茶生産を紹介している。」土壌を守り豊かにするために草場の資源を活用し、高品質の作物を育て、他植物の生物多様性にも貢献している様子が分かる。」

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農業は自然環境の中で行われる産業である。そのため、農業のふるまいは自然に対して大きな影響を与える。農業は、あるときは自然環境に対して破壊者であり、あるときは、二次的な自然環境を作り、保全する存在ともある。

2年前に名古屋で開催された生物多様性条約締結国会議COP10の中で、日本政府は、人の暮らしが自然とかかわることによって維持されていくモデルを「SATOYAMAイニシアティブ」として提案した。しかしながら、人々のライフスタイルが変化した現代では、農業の営みによって生物多様性が失われることも少なくない。ところが、静岡県では近代化された茶生産の中で、高品質な茶を生産しようとする農家の努力によって、生物多様性が保全されている例が見られる。それが「茶草場」である。

静岡県の茶栽培では、秋から冬に掛けて、茶園の周辺の草を刈って茶園の畝間に敷く作業が行われている。この作業によって、茶の味や香りが良くなり、良いお茶がとれるとされているのである。この茶園に敷くための草を刈るための草刈り場が、「茶草場」と呼ばれる場所である。

山の斜面に広がる茶畑の風景は、日本の静岡を代表する農業の風景である。この茶畑の周囲を見ると、「茶草場」が見られる。夏にはただの草むらにしか見えない茶草場であるが、秋になるときれいに草は刈られ、刈られた草が束ねられて干してある風景を見ることができる。

もっとも、このような草刈り場の風景は、昔は日本中どこにでも見られたありふれた里山の風景であった。一昔前であれば、農村では、刈った草を肥料として田畑に入れたり、牛や馬の餌にしたり、かやぶき屋根の材料としたのである。1880年代の記録では、国土のじつに30%もの面積が人の手によって維持管理された半自然草地として利用されていたという。

定期的に草を刈り取ることによって、大きな植物が茂ることなく、地面まで日の光が当るので、生存競争にも弱いさまざまな植物が生息をすることができる。

人の手が入って、草を刈ることは、一見すると自然を破壊しているようにも見える。しかし実際には、人の手が適度に入った里山環境では、多くの生物種が生息することが知られている。草を刈らずにおくと、生存競争に強い植物ばかりが生い茂ってしまうので、生息できる植物の種類はかえって少なくなる。一方、定期的に草を刈り取ることによって、大きな植物が茂ることなく、地面まで日の光が当るので、生存競争にも弱いさまざまな植物が生息をすることができる。そのため、里山の草地ではさまざまな植物が生息して、豊かな生物多様性を作り上げるのである。

ところが、農業や人々の生活が近代化すると里山の資源は使われなくなり、半自然草地も放置されるようになってしまった。そして、全国的に見られた半自然草地は著しく減少し、それらの草地をすみかとしていた多くの動植物が絶滅に瀕しているのである。

そのような中で、静岡県では茶生産によって草刈り場が脈々と維持されてきた。茶草場は、広大な一面の草地として存在するわけではない。しかし、茶園の間に茶草場はモザイク状に分布している。ある農業集落を例として航空写真を解析した結果、茶園の面積を10とすると、茶草場7の割合で茶草場が分布していた。茶園の周辺にはこれだけの半自然草地が維持されているのである。

茶の品質を良くするために、茶を生産する農家の方々は手間ひまを掛けて、草を刈り、草を敷いてきた。この茶づくりにこだわる思いが、日本から失われつつあった里山の草地の環境を守り続けてきたのである。近代化された茶生産の中で、生産性を高める農家のひたむきな努力によって生物多様性が保全されてきた静岡県の茶生産の例は、農業と生物多様性が同じ方向を向いて両立した「SATOYAMAイニシアティブ」の好例であると評価できるだろう。

日本人にとって身近な存在であった半自然草地の風景は、古くから日本の原風景として親しまれてきた。茶草場に見られる植物も、日本の文化の中に息づいたものが少なくない。

全国的に見られた半自然草地は著しく減少し、それらの草地をすみかとしていた多くの動植物が絶滅に瀕しているが、茶園周辺の半自然草地は維持されてきた。その陰には、茶の品質を良くするために、生産農家の方々が手間ひまを掛けて、草を刈り、草を敷いてきた努力がある。

たとえば、8世紀に編纂された世界で最も古い詩歌集である「万葉集」では、秋に咲く代表的な7つの野の花が選定されている。「秋の七草」と呼ばれる7つの植物種は、いずれも、半自然草地に自生する植物である。また、半自然草地の優占種であるススキは、収穫を祝う秋の行事で各家庭に活けられるし、新年の行事ではススキを水田に建てて豊作を祈る。

また、茶の湯の席では、客人をもてなすために座敷に季節の花を活ける。この花を「茶花」という。興味深いことに茶花は、半自然草地に自生するものが多く、茶草場でも姿を見ることができる。茶草場は、生物多様性だけでなく、茶の湯の文化の素材をも保全している場所なのである。

このように静岡では、茶生産によって半自然草地の生物多様性が維持されてきた。この生物多様性を未来に渡って保全していくために、もっとも大切なことは何だろうか?それは、静岡の茶生産が未来永劫、営まれ続けていくことである。もし、静岡の茶生産が衰退してしまえば、茶生産によって守られてきた豊かな生物多様性もまた失われてしまうのである。おいしいお茶を作ることによって、人も生きものも幸せになる、そんな素晴らしい「静岡県の茶」を次世代につないでいきたいものである。

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静岡の茶生産が守る貴重な植物 by 稲垣 栄洋 and 楠本 良延 is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

稲垣博士は、農林水産省を経て、1995年に静岡県入庁。現在、静岡県農林技術研究所上席研究員をつとめている。著書に、「WEEDS:Management, Economic Impacts and Biology(共著・Springer)」、「Glocal Environmental Education(共著・Springer)」、「Antimicrobial Research Book(共著)」などがある。

楠本博士は、2002年より独立行政法人農業環境技術研究所主任研究員をつとめており、専門は植生生態学・景観生態学である。農業生態系において農業活動が生物相とその多様性に及ぼす影響を解明することに取り組んでいる。現在、農業生産活動により維持される半自然草地の生物多様性に興味を持っている。