「地球に落ちてきた男」というSF映画では、デヴィッド・ボウイが水のない星からやってきた宇宙人を好演した。その宇宙人は結局地球を去る。
しかし、実際に地球に住む私たちは地球を去ることはできない。
皮肉なことに、この映画の続編を製作しようと取材をしながら執筆を進める中、私たちは未来の地球から水がなくなったらどうなるだろうと想像しはじめた。そんな時、製作者のサイ・リトヴィノフ氏が「Blue Gold: The Battle Against Corporate Theft of the World’s Water」(ブルー・ゴールド 世界の水が企業に盗まれる)という本を見つけてきたのだ。
現実に地球で起きていることが、SF向けの絵空事以上にひどい状況であることに、私はひどく衝撃を受けた。ボリビアでは政府が雇うスナイパーが法人投資家の利益を守るため市民を狙う。腐敗した政治家が私腹を肥やそうと公共の水を売りさばく。ペットボトル水を生産する巨大企業がその地域の水を全部吸い上げてしまう。真実を暴こうとする映画監督が殺される。アフリカの限りある水がヨーロッパでのバラ育成のため盗まれる。
初めてのドキュメンタリー
私は「ブルー・ゴールド:狙われた水の真実」を監督するまではドキュメンタリー製作をしたことはなかった。私はジャーナリストでも活動家でもない。私は映画製作に情熱を持つ個人の映画監督で、ケヴィン・スペイシーも出演したショートフィルムのコンテストでもらったデジタルビデオカメラ1台を持っているに過ぎなかった。
私は「ブルー・ゴールド」の著者に連絡をとった。1人はカナダ最大の非営利の政策提言グループで議長を務めるモード・バーロウ氏、もう1人はポラリス研究所の トニー・クラーク氏だ。2002年に出版されたこの本に書かれていることの現状について調査したい旨を伝えると、彼らは温かく受け入れてくれので私は俄然やる気になった。映画に資金提供してくれるスポンサーも見つかり、様々な機材を調達したり、航空券を買ったり、ホテルを予約したりした。全てはクレジットカード払いだ。
ところが、明日から撮影開始という日の夜になって、スポンサーが手を引くと言いだしたのだ。私は映画製作をあきらめて機材を返品しようと思った。妻にそれを伝えようと寝室へ向かったとき、廊下には目を覚ました3歳の息子イーサンが出てきていた。
「のどがかわいた」と息子。
コップに水を入れて飲ませてから、私は床に入った。妻に資金の問題について話すことをやめた。そして目覚めた翌日、私は一人出発し、一人きりの製作を始めたのだ。そこが私の人生の転換点であった。
確かな情報筋を取材
撮影を開始してまもなく、著者の2人は私の財政危機について知り、少しでも楽になるようにと助成金を探してきてくれた。そんな風にお金で苦労はしたが、「ブルー・ゴールド:狙われた水の真実」は、お金のためではなく情熱があるが故にこそできた仕事だと今でも言える。
取材中に気づいたのだが、脚本を書くときは事実関係を遠くから把握するだけでよかったが、今回のような恐るべき事態を記録し真実を伝えるためには、信頼できる筋から直接話を聞くことが必要だということだ。
そのためには、わずか20分の話を聞くためにメキシコ人のガードマンを買収して、未処理の汚水が畑に流れ込む様子を撮影したりした。企業のバラ農園からケニアの水を守ろうとしていた映画製作者が暗殺された事件の調査もした。
アフリカ奥地へ行き、女性が何キロも離れたところから水を汲んできたり、白人男性がしょっちゅう誘拐されるような地域を見たりもした。ナイロビの世界社会フォーラムで、私はケニアで水の危機を取材するために村人に案内してもらって奥地まで一人で行くのだと言うと(自腹で製作していたので、スタッフはいなかった)、西洋人は身代金目的で誘拐されることが多いから注意するよう言われたこともあった。
地方では白人である私を見つけた警官を買収しなければいけないことは経験で学んでいた。しかしケニアの山奥へ行くにしたがって、警察の検問所は道を閉ざす有刺鉄線のみで、そこには15歳の少年たちがマシンガンを持って並んでいるという状況になった。これには心底恐ろしくなった。それに文字通り金が底をついていたので賄賂を渡すこともできず、次の検問所では見つからないように身をかがめた。
すると案内人たちは身をかがめるのはよせ、と叫びだした。幸運にもそこの警官は買収しなくても通してくれて事なきを得た。なぜ身をかがめてはいけないのか案内人に尋ねると、かがむところを警官に見つかったら白人が誘拐されていくところだと誤解され、車内の全員が撃ち殺されるのだという。私も含めてだ。国民に警察の威力を見せつけることの方が、誘拐事件の被害者の命を救うことより大事というわけだ。このような状況には目が覚める思いがし、この地上に様々な「現実」が存在することを思い知らされる。人はそれに適応し、注意しながら進むしかないのだ。
この映画製作は巨大企業や世界各国の政府との対立をも意味した。出会いがあるたびに私のジャーナリストたちへの敬意は強くなっていった。CNNの国際ジャーナリストとして有名なクリスティアン・アマンプール氏がブルー・ゴールドの一部を放送してくれたとき、私は始めて自分を「ジャーナリストの一員」として自分を誇らしく思ったものだ。
この作品は恩師マーク・アクバー氏の指導がなければ、現在の形にはなりえなかった。彼の「ザ・コーポレーション」が、この作品の製作に大きな影響を及ぼしたのだ。マークに暫定版のフィルムを送り、彼に「ザ・コーポレーション」で紹介されているボリビアの水戦争の映像をどこで入手したのかを尋ねた。
彼は私の映画に興味を持ち、内容を気に入ってくれて製作総指揮者にまでなってくれた。カットごとに何ページにも渡る編集上のアドバイスをもうらうたび、私はワクワクしたものだ。彼の意見のほとんど全てに同感だった。奇妙なことだが、彼と直接会ったのはバンクーバー国際映画祭で環境映画観客賞を受け取ったときである。
リアクション(反応)からアクション(行動)へ
それ以来、映画への反応には圧倒されるばかりだ。フィクションは人々を怖がらせ、楽しませ、悲しませ、興奮させて娯楽気分を提供するのが目的だ。しかしこのような重要なドキュメンタリーを製作して始めて、私は世界の状況に一石を投じることができた。実際、人々が清潔な飲み水を得る基本的人権を勝ち取るため行動を起こし始めたのだ。
そのうち最も印象深いのはマーティン・ロバートソン氏のアイディアズ・イン・モーションだろう。彼はトロントでの試写会の後、私に連絡をくれて「ブルー・ゴールド」の無料試写会を開催するための手伝いをしたいと申し出てくれた。それから4ヶ月、彼はなんと37ヶ国で101回の試写会を開催してくれた。後で知ったことだが、彼は深刻なガンの闘病中だった。だからなおのこと、彼がこの映画を広めようと時間を費やしてくれる強い意志と情熱には本当に深い意味があると思う。
試写会のたびに観客のうち少なくとも1人は、映画を製作していた時の私同様に、人生が変わるほどの衝撃を受けていた。映画製作者にとってこれほどの報酬はないと言える。東京で映画が劇場公開されたときが最も報われた気がしたものだ。4日の間に19人からインタビューを受けたのだ。まだ映画が上映されてもいない国の人々が、このように重大な話題についてどのように情報を入手するのか、その様子を生で体験することができた。
Facebookとニュースレター上のファンが増えるにつれ、不思議なことに、私は長編作に初めて取り組んだ一人の映画製作者から、水の「エキスパート」へと変貌しつつあった。人からアドバイスを求められるようになったのだ。私のウェブサイトには10ページに渡って水を守るためにできる解決策を載せてあるが、ファンたちはそこにアクションプランを追加するよう仕向けてくれた。映画の中でもそのすべてが語られている。「地域の水の供給を守るため地域グループを立ち上げよう」、「水は公共のものだと主張する人々と連携をとろう」、「人々に現状を知らせるため映画の試写会を行おう」、「家での水の利用法を改善し、使ったあと下水に流すのではなく地面に返すようにしよう」などである。また、サイトには請願、キャンペーン、またこの崇高な闘いのため頼りになる組織などへのリンクも貼ってある。
私はほかにWater News(ウォーターニュース)のセクションも設け、毎日更新している。この問題には2006年から取り組んでいるが、今でもなお、一般に目にするニュースではなぜか取り上げられないおぞましい話に次々と出くわし、衝撃を受けている。
私たちは残念なことに目に見えないものは信じない、という社会に生きている。このような制限があるからこそ、議論を呼ぶ問題に関してはドキュメンタリー映画製作者の役割は非常に重要なのだ。製作総指揮者マーク・アクバー氏は「チョムスキーとメディア マニュファクチャリング・コンセント」 という素晴らしい映画でメディア・ニュースがいかに倫理的に公正であるとはいえないかを暴いた。ブルー・ゴールドについても私の映画以前にもっと注目を集めなかったのは非常に残念である。もし、十分注目を集めていたならば、本の内容に衝撃を受けて映画を作ろうなどと思うことはなかったことだろう。
主流のメディアが直接的な支配を受けているからなのか、スポンサーの必要性から間接的に影響を受けているだけなのか、事情はともかく、今は個人での映画製作者のみが真のジャーナリスト足りうるというのが現実だ。
映画が温かく迎え入れられたのはうれしいが、いまだに私は自問自答する。この映画製作のためになぜこんな危険を冒してきたのだろう。この問題について一般の人々を啓蒙したいと考えたからか。息子のために世界を変えたかったからか。
おそらく、水の危機は他のどのニュースとも異なるからなのだと思う。水は生存に不可欠だからだ。もし、「ブラック・ゴールド」である石油が枯渇したとしても、太陽エネルギーや水素エネルギーや、あるいはエネルギーに依存しない生産や移動手段などに転換ができるかもしれない。地球温暖化によって世界は変わるだろう。しかし私たちはここから逃げ出すことはできない。私がこの映画を製作したのは、気候変動が「いかに生きるか」の問題なのに対して、水の危機は「生きられるかどうか」の問題だからなのだ。
手遅れになってしまう前に、人々にこのことを理解してもらえたらと切に願う。
翻訳:石原明子