都市住民が取り組む棚田の保全活動

それは4月中旬の雨模様の日曜の朝だった。自宅のストーブのそばで温かいコーヒーでも飲んでいたくなるような天気だ。しかし、気が滅入るような肌寒い天気をよそに、私たちは石川県の能登半島で、20人を超える人々が精力的に鍬(くわ)を使って棚田のあぜを修復(あぜ塗り)するのを見学していた。

あなたが都会人なら、霧雨が降る早春の海を見渡す急な斜面での農作業の風景に驚くかもしれない。そこで作業をする人たちが地元の農家ではないという事実を知れば、恐らくもっと驚くだろう。彼らはそこから100キロ以上離れた石川県の県庁所在地、金沢市に住むごく普通の都会人であり、年に数回、2時間だけ農作業を体験している。

こんな日に農作業をしたいという都市住民の意欲は、歴史的な農業ランドスケープの保全に力を貸したいという熱意からきている。そのランドスケープは地域の文化に一役買っているだけではなく、今では周囲の生態系や生物多様性と結びついている。

この棚田は白米千枚田と呼ばれ、海岸沿いの急斜面に作られた1000以上の小さな水田から構成されている。最初に作られたのは17世紀のことだ。19世紀後半、棚田のおよそ半分が洪水で崩壊したが、輪島市白米町の人々によって修復された。

しかし現在、農業労働人口の継続的な減少や地域人口の高齢化によって、地元の農家の数は減少の一途をたどっているため、農家は棚田の一部しか耕作することができない。そこで、棚田の維持を支援するイニシアティブの一環として、自然保護活動家のボランティアや都市に住む「オーナー」(実際に土地を所有するわけではないが、管理システム上で区画を与えられた人)が、棚田の大部分の耕作を手伝っている。

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都会人が鍬を使って、石川県の白米千枚田のあぜを修復(あぜ塗り)し、伝統的な農業を体験する。写真:陳碧霞

これらの都市住民は2~3世代の家族として農作業体験に参加することが多い。最近私たちが棚田を訪れた時、ある夫婦は、あぜの修復作業は簡単そうに見えたが、経験を積んだ農家の人と同じくらい上手にやるのはとても難しいと話していた。その奥さんによると、テレビの報道で白米千枚田のことを知り、今年、事業のオーナー制度に申し込むことにしたという。農作業の休憩時間には、彼らの2歳になる娘さんが他の参加者の子供たちと水田の近くで楽しそうに遊んでいた。

豊かな遺産を守る

都市部からやって来た子供たちにとって、このような場所での時間は確かに教育的価値がある。能登半島の豊かな歴史と文化は2100年以上も続いている。考古学的調査によると、今日の農業システムのルーツは1300年以上も前の奈良時代までさかのぼることができるそうだ。

Our World 2.0の以前の記事でも取り上げたように、能登半島は2011年、世界農業遺産(GIAHS)の1つに認定された国連食糧農業機関のイニシアティブであるGIAHSは、「農業生物多様性やそれに関連する生物が豊かであり、多くの物品やサービス、食料、生活の安全保障を何百万人もの貧しい小規模農業従事者に持続的に提供すること」につながった「伝統的知識と文化の重要な資源」であるシステムにスポットライトを当てる。

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農作業の休憩時間に、棚田「オーナー」の子供たちが水田の近くで楽しそうに遊んでいる。写真:陳碧霞

同地域に関するGIAHSの資料に示されたように、「能登半島は日本の伝統的な農村の縮図であり、農業システムが山や森での活動から沿岸での海洋活動まで統合的なつながりを持つ場所だ。農業、林業、漁業という人間の総合的な活動を一体として捉える手法が伝統的に行われており、共存し続けている」

確かに、管理された社会生態学的生産ランドスケープがモザイク状に分布する里山と、海辺、磯、干潟、海草・アマモ場からなる海洋沿岸生態系、すなわち里海は、能登の特徴である。

経済の衰退によって農村部から都市部へ人口が移動し、その結果、農村部は高齢化が進む人口に頼らざるを得なくなった。こうした傾向は白米の地域社会だけではなく、日本の農村部の広い範囲に影響を及ぼしている。

しかし、経済の衰退によって農村部から都市部へ人口が移動し、その結果、農村部は高齢化が進む人口に頼らざるを得なくなった。こうした傾向は白米の地域社会だけではなく、日本の農村部の広い範囲に影響を及ぼしている。特に中山間地域は耕作放棄地の問題にさらされている。棚田は中山間地域に位置するため、日本の棚田の約40パーセントは放棄されたと推測される

棚田の放棄が始まったのは1960年代末、米の生産量が需要量を上回ったため、政府が農家に水田の一部を別の作物に転作するように要請した時にさかのぼる。棚田の生産性は低く、農耕機の利用が難しいことから、棚田は真っ先に放棄される水田の1つだった。

復興戦略

時代を最近まで早送りしてみよう。棚田の多面的な役割、とりわけ棚田の生態学的および文化的サービスの提供における役割が認識され、1990年代には全国的に保全活動が誕生し始めた。棚田に関するサミットには1200人を超える研究者、政府関係者、市民が参加した。その後「棚田復興運動」が始まり、非営利支援ネットワークが設立された。

そして、他の地域でも見られる方法として、白米千枚田の保全活動はさまざまな組織や協同組織のボランティアによって開始された。「棚田オーナー制度」は自発的な市民による少しユニークな農業イニシアティブで、長期的で貴重な農村と都市のつながりを育む活動として認識されている。この制度は地元で2007年に制定され、参加者のおよそ半分は金沢の都市部からやって来るが、半分は東京や名古屋といった他の都市から来る人々だ。

白米千枚田は1004枚の水田から構成される40,051平方メートルの棚田だ。2011年8月時点では、わずか3件の農家が白米千枚田の中の396枚の水田を共同で耕作していた。1枚の水田は非常に小さく、平均18~20平方メートルほどしかない。地元の農家の平均年齢は73歳だ。

地元の農家が耕作している区画以外の水田は、輪島市の職員が130枚、おおぞら農業協同組合(JAおおぞら)が121枚、「オーナー制度」の参加者が277枚、酒造企業1社が7枚をそれぞれ耕作している(国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットは、277枚のうち1枚の「オーナー」として、地元の保全活動を支援し続けている)。残りの水田のうち、37枚は耕作放棄地であり、36枚は米以外の作物を耕作する畑に転換された。

「オーナー制度」は、人口減少と数少ない農家の高齢化を補うために労働力を提供するほか、マスコミにかなり大きく取り上げられた。そのおかげで都会の人々が農作業に興味を持ち、農村部の衰退に関する意識を高めるという重要な結果を引き出した。食料安全保障と低炭素型のライフスタイルへの転換をかなり前から国家目標に掲げてきた国にとって、こうした新しい認識は重要なテーマである。

しかし、農村部での農業と経済を維持するという全体的な目標への貢献という点で言えば、「オーナー」の田植え支援は決して十分ではない。そのため、棚田での稲作が十分な利益を生むことで、地域の農家が農業を続け、さらには放棄された棚田を再生するように、ブランド化の取り組みが始まった。

能登がGIAHSとして認定された後、地元のコミュニティは農村の景観だけでなく豊かな生物多様性を未来の世代に残していくことが大切だと気づいた。そこで、ブランド米を「能登棚田米」と名付け、それを能登半島の北端に位置する奥能登の4つの農業協同組合が販売し、化学肥料・農薬の使用を減らして生産することを決定した。

石川県の棚田の総面積はおよそ2500ヘクタールほどだが、その80パーセントは能登半島に位置する。能登棚田米が初めて耕作された2012年、作付面積は約28ヘクタールしかなく、耕作に参加したのは15集落だった。活動に参加したJAおおぞらによれば、同ブランド米の作付面積は2013年には60ヘクタールに拡大し、2014年には約100ヘクタールに達する予定だという。さらに重要なことには、2013年からは化学肥料・農薬の使用量を従来の農業で使用される量の50パーセントまで減らしている。

能登棚田米は1キロ当たり640円で、石川県で慣行農法で作られるコシヒカリ(日本で特に評価が高い栽培品種で、最も広く作られている品種の1つ)より42パーセントほど高額だ。慣行農法で作られるコシヒカリは1キロ当たり平均で450円だ。

能登棚田米のブランド化は、経済的な重要性を持つだけでなく、将来的に棚田の保全にも貢献する。あぜの雑草取りや水田の水路掃除にかかる費用を支給するために、保全財団が設立されるだろう。

さらに、このような生物多様性に優しい手法は広まりつつある。2012年12月1日、棚田ではない水田で栽培した米のブランド化を促進する別のイニシアティブが、能登の7つの農協などで構成される能登米振興協議会によって発表された。目標は、すべてのコシヒカリ栽培での化学肥料・農薬の使用量を2014年までに30パーセント減らすことだ。能登のコシヒカリの水田は約12000ヘクタール、水田の総面積の60パーセントを占めている。

従来の農業から持続可能な農業への急速な転換を、これほど広い範囲で実現するのは不可能ではないかと考える人もいるだろう。しかし、上記2つのブランド化イニシアティブの中心人物でJAおおぞらの元営農部長である藤田繁信氏は、多くの農家が質の高い農産物を生産する強い意欲を持ち、自分たちの農業遺産に誇りを抱いていることに、自信を示した。

雨模様の春の日に、都会に住む人々の群れが急斜面に作られた水田まで遠路はるばるやって来て農作業をするのだから、何事も不可能ではない気がする。

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2013年5月28日、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(UNU-IAS OUIK)主催による国際ワークショップでは、能登半島での棚田保存活動に関する他のアジア諸国(中国と韓国)とのディスカッションや情報共有が行われます。「アジアのGIAHS サイトにおける経験と教訓」ワークショップに関する詳細は、国連大学高等研究所ウェブサイトをご覧ください。

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都市住民が取り組む棚田の保全活動 by 永田 明 is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

永田明氏は国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)のシニア・プログラム・コーディネーターである。途上国における持続的農業のための実習型研究能力育成事業や世界農業遺産(GIAHS)など、UNU-ISPと日本の農林水産省が協力して行う活動のコーディネーターを務める。北海道大学卒、専門は作物学である。

陳碧霞博士は中国で生まれ、鹿児島大学で森林政策および森林経済学の博士号を取得した。彼女は伝統的農村ランドスケープと自然資源の伝統的利用に関する分野で多くの論文を発表している。国連大学高騰研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットのリサーチアソシエートであり、能登の里山や里海のランドスケープにおける伝統的農業、林業、漁業のダイナミックな保全を中心としたGIAHSに関連した研究を行っている。