地球の未来

哲学者のJ.クリシュナムルティによる大胆な主張を読んだ時のショックを、私は今でも覚えている。それは彼の小さな本『既知からの自由』にあった言葉で、人はあらゆる事象に対して個人的な責任を持つというものだ。その著作を私に勧めてくれたのは、アルバート・ビグローという並外れた人物だった。

1958年、アルバートは抗議行動として、小型の縦帆船ゴールデン・ルール号に乗り、マーシャル諸島のアメリカ核実験海域を航行した。「地球市民」というフレーズが誕生するずっと以前に、彼は地球市民たるべき義務を真剣にとらえていたのだ。

2010年、地球全体に対して責任ある行動を取ろうとする責務はあまりにも絶大で、私たちに無力感を感じさせるほどだ。数多くの課題があり、それらは相互に関連している。そして、日常生活での私の個人的な行動と地球全体が抱える課題との因果関係は、ほんの一部の人々しか理解していなかった1958年当時と比べれば、飛躍的に明確になった。

現在、私たちはこの2つのもの(個人と全体)の関連性を見ることができる。例えば、私の食事と工業的農業が土地に与える影響、私のエネルギー消費と地球の気候変動、私が使う洗剤と海洋の健康、そして私の政治的関与と私の税金で作られた世界を滅ぼす兵器の関係だ。

こういった回避できない現実とともに生きる方法をどうしたら見つけられるだろうか。現実は耐え難いほどだが、私たちを解放してくれるものでもある。多くの人々は恐怖のあまり、予想できる確実性に逃げ込んでしまいたい誘惑に駆られている。しかし予想できる確実性、すなわち近視眼的なナショナリズム、外国人嫌悪、植民地支配による安全保障、成長の限界の否定、そして購買行動によってのみ豊かさを測ることは、痛ましくも新しい認識世界において、すでに廃れてしまったのだ。

何百万人もの栄養失調の子供たち、生態系の汚染、一部の限られた人々の手に富が蓄積され続ける状況といった、世界中にはびこる地獄のような痛みや不正を嘆く声のすべてを、個人の力で止めることは現実的に不可能だ。しかし私たちにできるのは、自分自身を全体から分離した存在と見る幻想を認知することだ。この強力な幻想があるからこそ、国家と宗教と階級の関係性が停止不可能にも見える巨大な推進力を生んでいるのだ。

私は高性能の爆弾軌道修正システムを生産する工場で働いている。でも家族を養うために仕事は必要なのだ。

私はある会社の株主だ。しかし年4回の配当に頼らざるを得ない。

私は軍人である。しかし私の勇気と冒険心を証明できる戦争がなければ、昇級していけない。

私は他人の土地を占領しているイスラエル系移住者だ。でも、その他人も私と同様に安全と正義への欲求を持つ存在だと考えるべきだ、などと私に言わないでほしい。私には聖書に記された権利があるのだ。

私はミサイル格納庫の隣にある防空壕の中で座っている女性兵士だ。何百万人もの命を奪うことが可能な兵器を発射する準備ができている。でも、私はシステムに組み込まれた歯車でしかない。私の任務は疑問を持たずに従順でいることだ。だから私が監視している破壊兵器についてよく考えろ、などと言わないでほしい。

私は政策に反した国への報復を提言し、その事実が機密電信によって暴露された大使だ。しかし、自国の利益を優先しなかったような印象を与えれば、私は出世コースから外れてしまうため、強硬にならざるを得なかったのだ。

そして、私はボストンのアパートで論説を書いている引退した教師だ。ここに書いているのは単なる言葉だが、少なくとも真実こそ重要であり、現実は幻想から分離できるという信念を持って書かれた言葉だ。私たちは自分の家族や街や国のためだけでなく、地球のために何が最良であるかを共に学んでいけるという信念の下で書かれた言葉なのだ。

私たちはそれぞれが役を演じている。しかしその役割は、実用的にもモラル的にも、それぞれが分離しているとする根本的仮定に基づいている。全体を念頭に入れて考えているのは誰だろうか。クリシュナムルティが示唆し、アルバート・ビグローが行動で示したような考え方、すなわち自分は全体と深くつながっているため、全体に対して責任を持ち、釈明すべき責任を負うのだという考えを私たちが認識するようになったら、世界はどのくらい好転するだろうか。

上記のような考え方をするようになると、残りのアイデンティティー(限定され、明らかに分離した部分)は消滅はしないが、新しいコンテクストの中で存在するようになる。イスラエル系移住者は、自分が占有した土地の持ち主であるパレスチナ人の欲求が自分の欲求と同様にリアルであることが見えてくるのだ。

核兵器の担当将官である私は、核兵器の扱いは完全に自分の手中にあることだけでなく、それが兵器でさえないということも認識している。つまり核兵器とは、人類が自分たちをバラバラに区分して作り出した自己破滅的な装置であると認識し、今となってはそれを削減し最終的には撲滅させる方法を考えなければならない代物だと分かるはずだ。

何百万もの人々や組織は、全体への利益を基盤とした行動を学びつつある。そのような人々は、孫たちが感謝の念とともに振り返るヒーローになるだろう。私たちは分離した存在ではなく、全人類が同じ運命を共有していて、正しき者にも正しからざる者にも等しく雨は降るということを認めれば、必ず状況は変化するのだ。このことを強く否定し、「私たちと彼ら」という思考に執着し、善玉と悪玉という構図にしがみつくなら、行き着く先には常に、生命ではなく死しかない。

いかに分離という幻想が私たちを無力にするのかを真に理解すれば、人は変わり、その後の行動の質も変わるだろう。敵のことばかり考えることもなくなるだろう。私たちが共に行う努力は、善意と、敬意を持って相手に耳を傾けることと、オープンな調査によって導かれるようになる。

自分自身を基本的に地球全体とつながった存在として認識する人間になるにはどうしたらよいか、私たちは互いにたずね合うようになるだろう。そうすれば、地球と仲間とともに戦争を超えて未来へ向かうことが可能だ。こういう考え方を私ができるように手伝ってくれるなら、私もあなたに力を貸そう。

この論説はTruthoutのために書かれたもので、クリエイティブ・コモンズの表示・非営利3.0合衆国ライセンスを取得しています。

翻訳:髙﨑文子

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著者

ウィンスロー・マイヤーズ氏は芸術家であり引退した教師である。ボストン在住で、戦争に替わる手段を探求し促進する非営利・非政治的組織、Beyond Warの理事を務める。彼は「Living Beyond War: A Citizen’s Guide(戦争を超えて生きる:市民の手引)」の著者である。