クラクワット族と気候変動:第3章

岩だらけの小島が数多く点在する入り江では、樹木に覆われた山の斜面から水の流れによって運ばれた堆積物が干潟を形成している。クラクワット・サウンドの海と森、川と山、フィヨルドと干潟すべてが豊かな礎となって肥沃で多様な生息地を提供し、多種多様な在来種と移動性生物種を守り育んでいる。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

>カナダ全域に存在するさまざまな土着のファースト・ネーション・コミュニティ同様、クラクワラット族もまたサバイバー(生き残った人々)である。一世紀以上にもわたる文化的抹殺、キリスト教への改宗、同化政策、土地収用と再定住によって、その数は十分の一に減少し、絶滅の危機に瀕してきた。しかし環境、社会、文化が激変するなかにあっても、クラクワットの人々はゆっくりとだが着実に、気候変動を含めた社会的また環境的課題に対処する能力を高めている。

この8回シリーズの第1章では、国連大学高等研究所伝統的知識イニシアチブの非常勤リサーチフェローであるグレブ・レイゴロデッツキー氏が、クラクワット族の伝統的テリトリーであり、一般にはブリティッシュコロンビア州クラクワット・サウンドとして知られる Ha’huulthiiを訪れた。近年の出来事をまとめ、クラクワット族が直面してきたさまざまな課題と成果について理解するための手引きとなる、クラクワットの人々を訪ねることにした。第2章では、伝統彫りマスター、ジョー・マーティン氏がレイゴロデッツキー氏にHa’huulthiiの最も重要ないくつかの場所に案内を始めた。今週はこの地域特有の気候と、そこで織りなされる驚くほど生気に満ちた生命の網、そしてそれが何世紀もの間、どのようにクラクワット族を支えてきたのかを取りあげる。

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生気に満ちた網

地質学的にも、また人類と比較しても、私たちが現在知っているバンクーバー島の気候も森林もその歴史は浅い。2万9,000年前から1万5,000年前まで数千年にわたって繰り返されてきた氷河の前進と後退によって、86万5,000エーカーもの流域が削られ、クラクワット・サウンドに流入した。最終的に氷河が後退した約1万5,000年前には、現在よりも寒冷で乾燥した気候になった。1万2,000年前から1万1,000年前の温暖期にダグラスファー(ベイマツ)が定着して広がったが、約8,000年前に気候が湿潤・寒冷化したことでベイスギの生育が進み、生態系全体が現在の沿岸温帯雨林へと徐々に遷移した。 クラクワット・サウンドの海岸線は、1万3,000年前から7,000年前の間に、現在の海抜約30メートルから約3メートルへと低下した。それから千年間変化しなかったが、その後、下がり続けて現在の位置まで低下した。

氷河の後退に伴い、沿岸の海域、陸地、森林に多様な生物が生息するようになった。温暖な北大平洋海流がバンクーバー島西岸に湿った空気を運ぶ一方、海岸山脈の急峻な斜面が東に向かおうとする海洋と大気の流れを遮る。そうしてはるばるここまで流れてきた湿った空気は、この広大な沿岸雨林に雨や雪を降らせるのだ。年間降水量が120インチ(約3,000ミリ)に上ることもあるため、この地域は北米で最も雨の多い地域のひとつといわれている。

こうした大量の雨は湖沼、湿地、帯水層に吸収され、また無数の細流、小川、渓流、河川となって海に注ぐ。岩だらけの小島が数多く点在する入り江では、樹木に覆われた山の斜面から水の流れによって運ばれた堆積物が干潟を形成している。クラクワット・サウンドの海と森、川と山、フィヨルドと干潟すべてが、豊かな礎となって肥沃で多様な生息地を提供し、多種多様な在来種と移動性生物種を守り育んでいる。

Coastal temperate rainforest

バンクーバー島西岸に100キロに広がる地帯は、沿岸温帯雨林が今なおその姿を留めている、地球上に残された数少ない場所のひとつである。ジャイアント・ウエスターン・ヘムロック(アメリカツガ)、ダグラスファー(ベイマツ)、ベイスギやベイトウヒは地球で最も古い植物の仲間である。樹齢千年を超える高さ90メートル、周囲18メートルのこれらの巨木は、古代と現代、地質と生態系、自然と人間の双方に関して、この地域の歴史の証人である。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー氷河の後退に伴い、沿岸の海域、陸地、森林に多様な生物が生息するようになった。

浅瀬ではアメリカイチョウガニが、マニラやバター、バーニッシュやレイザーといった変わった名前の二枚貝を探す。ヒメハマシギの群れが、南アメリカから北極地方に向かう途中でトフィーノの干潟に舞い降り、ミミズなど豊富な無脊椎動物を食べる。ニシンが沿岸の海草の茂る海底に集まって産卵し、海水と混じり合ったその卵と魚精を目当てに多数の鳥やクジラ、アザラシが集まる。海岸沿いを泳ぐコククジラが浅い湾の底へと潜り、堆積物とともに泥中に生息する二枚貝やスナモグリ、海洋虫を飲み込んで、口腔内のヒゲ板で濾過し、海水や泥を吐き出す。

アメリカクロクマやヒグマが川で産卵するサケを捕食し、森林下層に豊富に植生する常緑低木サラルの実やシンブルベリー、ハックルベリー、サーモンベリーを探して食べる。オオカミやクーガーが山や沿岸をうろついてオグロジカ、ルーズベルトエルクを探し、そうしたシカの仲間は原生林の各地に繁茂するさまざまな野草や栄養に富む地衣類を餌にする。

とはいえ、クラクワットの生態系の源泉であり、陸と海をつないで生物の生息地を作り上げているのはタイヘイヨウサケである。毎年夏になると、生まれ故郷の川から離れて外洋で最高4年暮らし、9,000マイル(1万4,400キロ)近く旅をしたサケが、彼らだけにわかるにおいや中間地点をたどって母川に戻る。急流や滝をものともせず、産卵場所となる小川や泉の礫底を目指し、そこで産卵する。その途上で、サケの体は障害物や捕食動物に傷つけられ、姿を変える。彼らは体の色をそれぞれ異なる戦闘色(ベニザケは紅、シロザケは紫、カラフトマスはバラ色)に変え、太古から変わらぬ戦士の姿となる。かぎのように曲った顎と突き出た歯はぞっとするほど恐ろしく、伴侶をめぐる闘いの間、ライバルを寄せ付けない効果はあるかもしれないが、ワシやクマ、人間などの天敵を追い払うことはできない。

シャチから巨大な杉、昆虫から地衣類、水鳥からクマまで、190種を超える動植物が、毎年こうして遡上してくるタイヘイヨウサケの大群に依存している。捕食動物が、まだもがいているサケや産卵後に死んだサケを藪に引きずり込むことで、貴重な養分、なかでも海洋中の窒素が水辺の生態系にもたらされる。クマがよくいる大きな河川では、川から2,500フィート(762メートル)も離れた場所の植物に、 サケに「由来する」海洋中の窒素が見つかることもある。しかし、小さな河川でも、川から500フィート(152メートル)離れた場所の植物が「メイド・オブ・サーモン」である。すなわち、捕食動物や清掃動物が辺りにまき散らしたサケの栄養素が、植物細胞によって吸収されている。

生命の必須要素がこのように複雑に結びつくことで、外洋と原生林の間の不可分な関係が形成されている。外洋で数年、ニシン、浮遊性端脚類、オキアミを食べて成長したあと、サケは淡水河川を遡上して産卵し死亡する。サケの体に蓄えられた貴重な栄養素が原生林を育み、そうした木々が日光を遮ることで河川が涼しくなり、サケの卵と淡水で育つ稚魚にとって理想的な状態になる。稚魚はやがて成長し、スモルト化(銀化)して海水適応能を持つようになる。

何千年以上もの間、こうした生気に満ちた生命の網は、人間社会が依存する生態系と同じく豊かかつ多様に人間社会を支えてきた。ヨーロッパの貿易商や移住者がヌートカ族と呼んだNuu-chah-nulth people(ヌーチャヌルス族)の伝承によると、彼らは太古からバンクーバー島の西岸全域で繁栄してきたという。確かな記録はないが、ヨーロッパからの移住者が持ち込んだ天然痘の流行によって、1800年代半ばにこの地域のコミュニティで多くの命が失われる前、クラクワット・サウンド周辺で暮らす9グループのヌーチャヌルス族は総計約1万人いたとされている。現在残るのは1,000人に満たない。

何千年もの間、クジラやサケ、オヒョウ、ベリー類、ニシン、カモ、二枚貝、スプリングバンク・クローバーなどの陸海の動植物が、クラクワット族の生活を形成してきた。かつてエチャチストは、クラクワット族の捕鯨や漁の周期的な主要拠点であった。ヨーロッパの人々が上陸する前、エチャチストはクラクワット族の文化の中心地として栄え、有力な 族長であったウィッカニニッシュの夏の住まいとして使われた。クラクワット・サウンドの入り口に位置するこの島は太平洋に通じることから、捕鯨用のカヌーを漕ぎ出すのにうってつけの場所であった。島の平らな礫からなる浜も、銛で仕留めたコククジラ、セミクジラ、ザトウクジラなどを陸揚げするのに便利であった。また、毎年数多くの動物がエチャチストを渡った。

ジョーに案内されて彼の家に向かうとき、私は引き潮で現れた、藻でぬるぬるした岩石に足を滑らせ、よろめきながら歩いた。60歳のジョーは、そこにある一つ一つの小石までも知り尽くした若者のごとき敏捷さと確かな足取りで、傾斜の急な、岩石だらけの磯を進んでいく。その浜を見下ろす森の外れにある朽ちかけた平屋には、浜と海に面した大きな窓の下に、柵のない広いテラスがある。窓の下には低いベンチが1脚とがたつく小テーブルが2脚あり、表面を天日にさらされて変色したイガイの殻や頭骨、骨、珍しい色や形の丸石が飾られている。

なかに入ると、霧を裂こうとするグレーの薄明かりが、小屋の窓からぼんやりと差し込んでいて、窓枠に切り取られたエチャチストの海岸線を古い写真のように見せている。ジョーの質素な家は広いが、家具は少ない。部屋の中央に2脚の古い椅子と1脚のテーブルが置かれている。窓際にはベッドが1台と棚がいくつかあり、棚はボロボロの本や大量の紙、彫刻作品、数々の船旅の雑多な土産物でいっぱいだ。

Traditional halibut hook

「これは伝統的なオヒョウ漁の釣り針で、トウヒの枝の根元から私が作ったものです。この材には弱いところがあったので、完成させなかったのですが、どんなふうにオヒョウ漁をしていたのかをお見せするには問題ありません」。釣り針に岩礁で捕まえたタコを餌としてつけて、オヒョウのいる海底に仕掛ける。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

「昔クラクワット族は、春の間、島で数週間生活していたんですよ」とジョーは言った。彼は壁に打ちつけた釘から、硬材で作った手のひらサイズの釣り針を取った。「これは伝統的なオヒョウ漁の釣り針で、トウヒの枝の根元から私が作ったものです。この材には弱いところがあったので、完成させなかったのですが、どんなふうにオヒョウ漁をしていたのかをお見せするには問題ありません」

ジョーは左手で木製の釣り針の一端を持ち、右手の人差し指を横切るように当て、そこにあるはずのあごと餌の場所を示した。「ここからさほど遠くない場所からカヌーで漕ぎ出し、オヒョウの釣り場に向かいます」とジョーは語った。「昔の人は岩礁で捕まえたタコを釣り針につけ、漕ぎ出してオヒョウのいる海底に仕掛けていました。私たちは今でも同じ釣り場に行きますが、今ではオヒョウの数はずいぶん少なくなり、大きさもずっと小さくなりました」

本シリーズ「クラクワット族と気候変動」の続編もOur World日本語版をご覧ください。
祖先が浜でクジラに銛を打ち込み、解体し、肉を切り分けた近くの海岸に、ジョーが著者を案内します。

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本稿は、気候変動に関する先住民の声を世界に届けることを目的としたマルチメディア・プラットフォームであるConversations with the EarthCWE)イニシアチブのHealing the Earthプロジェクトの一環として寄稿され、Land is Lifeの支援を受けています。CWEの活動については、FacebookTwitter @ConversEarthでもご確認いただけます。

翻訳:日本コンベンションサービス

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クラクワット族と気候変動:第3章 by グレブ・レイゴロデッツキー is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License. Photos: © Gleb Raygorodetsky.

著者

グレブ・レイゴロデッツキー氏は国連大学高等研究所(UNU-IAS)の伝統的知識イニシアチブのリサーチフェローであり、また、ビクトリア大学(カナダ)のグローバル研究センターにおけるエコロジカル・ガバナンスでのPOLISプロジェクトでのリサーチ・アフィリエイトとの兼任リサーチフェローである。 UNU-IASに参加する前は、生物文化の多様性と回復力に関するクリステンセン基金のための新しい世界助成金戦略の開発を主導していた。 生物文化の多様性の分野では、参加型調査とコミュニケーション、先住権、気候変動による移住と適応、神聖な自然遺産に重点を置いて研究している。 国際民俗学生物学会(ISE)における民俗学のプログラムで共同議長を務め、また、国際自然保護連合(IUCN)保護地域の文化的・精神的な価値(CSVPA)の専門家グループの活動メンバーでもある。 彼は、Cultural Survival,、Alternatives、 Wildlife Conservation、National Geographicなどの誌面に気候変動、伝統的な知識、先住民などについて執筆している。