クラクワット・サウンドのガイドの第一人者、ジョー・マーティン氏はたびたび観光客に、クラクワット族の伝統的テリトリー、Ha’huulthiiを案内し、その土地の伝承や海、クラクワット・サウンドの先住民の伝統について(オオカミ、シャチ、サケ、樹木、クラクワット族などについて)深い知識を惜しみなく与えてくれる。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー
カナダ全域に存在するさまざまな土着のファースト・ネーション・コミュニティ同様、クラクワット族もまたサバイバー(生き残った人々)である。一世紀以上にもわたる文化的抹殺、キリスト教への改宗、同化政策、土地収用と再定住によって、その数は十分の一に減少し、絶滅の危機に瀕してきた。しかし環境、社会、文化が激変するなかにあっても、クラクワットの人々はゆっくりとだが着実に、気候変動を含めた社会的また環境的課題に対処する能力を高めている。
この8回シリーズの前章では、国連大学高等研究所伝統的知識イニシアチブの非常勤リサーチフェローであるグレブ・レイゴロデッツキー氏が、クラクワット族が直面してきたさまざまな課題と成果について理解するため、一般にはブリティッシュコロンビア州クラクワット・サウンドとして知られるクラクワット族の伝統的テリトリーに足を踏み入れた。第4章では、彼らのテリトリーの驚くほど生気に満ちた生命の網が何世紀もの間どのようにクラクワット族を支えてきたのか、また、なかでも捕鯨が生活の糧としてだけでなく、文化的にも精神的にも重要な活動であったことを明らかにする。
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鯨骨
ジョーは棚に山と積まれた古い紙を掻き回して、1枚の色あせた記録写真を引っ張り出した。伝統的なクマ皮の外衣をまとった1人のヌーチャヌルス族の捕鯨者が浜に立っている。アザラシの皮製の浮きを2つ両肩に担ぎ、ぐるぐる巻きにした皮紐で浮きとつながれた捕鯨用の銛を、反対の手に持っている。「かつて私たちは主にザトウクジラ漁を行っていました」とジョーは口調に郷愁をにじませながら語った。「とはいえ、世界で2番目に大きなクジラであるナガスクジラなど、ほかのクジラも捕っていましたし、かつてこの辺りにはセミクジラもいました。コククジラ、ミンククジラ、それにマッッコウクジラも捕っていました。大きな捕鯨用のカヌーに乗って、そうしたクジラを追ったのです」
私はジョーについて家を出ると、浜の反対側へと歩いた。海塩に覆われ、日光にさらされて変色した大量のイガイの貝殻が、歩くたびに足元で音を立てて砕ける。ジョーは広い水路の入り口で足を止めた。その水路は浜から岩礁を抜け開水域までずっと続いている。両側に高く積み上げられた大きな石が示すのは、ジョーの先祖が何世紀も前に、銛を打ち込んだ鯨を浜に引き揚げやすくするために行った、懸命な努力の跡だ。まさにこの浜でクジラにとどめを刺し、肉を切り分け、冬に備えて燻製にし、脂肪を鯨油にした。後に残ったのは山のように積み重なった大量の鯨骨だ。ジョーは森の外れにある、高さ約4.5メートル、幅約45メートルの草に覆われた塚を指さした。
海塩に覆われ、日光にさらされて変色した大量のイガイの貝殻が、歩くたびに足元で音を立てて砕ける。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー
「ここは鯨の骨が捨てられた場所のひとつです」と彼は説明する。「実は、数日後にここで会う約束をしている人がいます。ジム・ダーリン博士です。彼はここ、トフィーノに住んでいるクジラ生物学者です。どこから鯨骨の発掘を始めるのか、計画を立てることになっています。基本的に知りたいのは、クジラの種類とそれがどのくらい古いのか、それにできればクジラがどんなものを食べていたのかです。私たちとしては、クラクワット族の若者の関心を引くことができるので、彼らが私たちの伝統的テリトリーと生活様式について学ぶ機会になると考えています。とくに捕鯨の歴史について学べます。捕鯨は私たちクラクワット族にとって非常に重要なものでしたが、商業捕鯨がクジラに行ったことのせいでやめざるをえなかったのです」
商業捕鯨が太平洋側北西部で始まったのは1800年代半ばで、1世紀もしないうちに、数十年前に毛皮貿易によって毛皮獣が被ったのと同じ惨状が、回遊する鯨の群れにも起こった。1905年から最終的に商業捕鯨が禁止された1967年まで、バンクーバー島西岸沿いの捕鯨基地だけで、合計2万4,800頭以上ものナガスクジラ、マッコウクジラ、コククジラ、ザトウクジラ、シロナガスクジラを殺し、加工している。20世紀前半、クラクワット族の伝統的テリトリーを通るクジラの数が激減したことで、クラクワットの人々が毎年の生活サイクルを維持することがいよいよ困難になった。エチャチストの捕鯨が終わりを迎えたとき、島はクラクワット族の捕鯨と漁業の季節的な拠点ではなくなった。変わらず残っているクラクワット族の住居はジョーの家だけである。
クラクワット族の捕鯨技術は原始的ではなく、かなり高度なものであった。一本の杉の木から作られた外洋航行用の捕鯨カヌーは全長9~12メートルほどで、8人が乗り込み、回遊するクジラをすばやく追跡できた。乗組員のうち6人は漕ぎ手で、カヌーに隣り合って座り、1人の舵取りが後部に、1人の銛打ちが先頭部分に乗る。銛打ちがカヌーのリーダーで、クジラの行動に関する知識と、かすかなサインを読み取ってクジラの動きを予測する能力に基づき、捕鯨を指揮した。リーダーである銛打ちが持つのは、長さ5~6メートルの銛で、先端部は硬いイチイの材を二つつなぎ合わせたものを切って作られており、尖ったイガイの貝殻を、岩のように固まるトウヒの樹液で柄に固定することで、強力な漁具になり、エチャチスト周辺を回遊する多数のクジラに致命的な一撃を与えた。クラクワットの人々は何世紀もの間、こうした進んだ技術を用いて捕鯨を行ってきたが、クジラを減少させることはなかった。
クラクワットの各家族や一族は、毎年の捕鯨期に何頭捕獲してよいかを含め、彼らの伝統的テリトリーであるHa’huulthii全体との関係を定める一連の伝統と実績のあるルールに従った。「私はEewas家の出で、Eewasには『広大な土地』という意味があります」とジョーは誇らしげに語った。「毎年10頭のクジラを捕ることが認められていました」
ジョーは私をじっと見て反応をうかがっている。当時、クラクワット・サウンド周辺に1万人近くのクラクワット族が暮らしていたことを考えると、かなりの頭数のクジラが陸揚げされたと想像できる。「それでも」とジョーは強調するように間を置いて言う。「当時の人々は自分たちを養うのに必要な量より多く殺すことはありませんでしたし、毎年、捕獲できるクジラがいました。私たちの教えのひとつに、母なる自然が満たすのは必要であり強欲ではない、というものがあります。物があふれかえる現代こそ強欲です」
クラクワット族の先祖がカゴを作るために樹皮をはがし、板材、カヌー、共同住宅用に切り出した跡が樹木に残る古い温帯雨林。彼らは木を切り倒すことなく必要な材を手に入れた。現在、そうした古木はCulturally Modified Trees(文化的に修復された木、CMT)として知られている。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー
私たちは浜沿いに岩を上りながら数分歩いて、小さなスイミングプールほどの大きさの洞窟の入り口に到着した。潮が満ち始めていたが、それでも波が洞窟の中を走り、低い岩棚の底面を叩いてティンパニのような大きな音を響かせるだけの空間がある。クラクワット族にとって、また、ほかのヌーチャヌルス族にとっても、捕鯨は生活の糧としてだけでなく、文化的にも精神的にも重要な活動であった。
「捕鯨者はかつて捕鯨に出る前、ここに来て潜り、心構えをしました」ジョーは説明しながら、日に焼けた片手を海水の溜まった場所へと伸ばした。「こんなふうに波が寄せたり返したりするので、練習を積むことができ、決して水を恐れなくなるのです。彼らは捕鯨に出る前の晩か、直前の早朝、ここに来てそうした儀式を行ったものでした」。私たちはそのプールのそばに数分たたずみ、クラクワットの鼓動に耳を傾けた。
「さあ、霧が晴れてきましたよ」ややあってジョーが言いながら、この民族の歴史への覗き窓から離れた。「さあ、ミアーズ島を訪れるのにちょうどいい時間です。すばらしい旅になるでしょう」
たなびいていた最後の霧が消えた瞬間、周囲のクラクワット・サウンドに鮮やかな色が現れた。森の深いマラカイトグリーン、遠くの山頂に見える鯨骨の透き通るような白、深いサファイア色の海とサウンドのうえに漂う真綿のような雲。ヌーチャヌルスの言葉で、Wah-nah-jus Hilth-hoo-issと呼ばれるミアーズ島は、かつてクラクワット族が冬の間、狩猟や社交、オオカミの一族への通過儀礼などの重要な成人儀礼を行いながら、伝統に従って過ごした場所である。
ミアーズ島を覆う古い温帯雨林には、クラクワット族の先祖が木を切り倒すことなく必要な材を手に入れるため、カゴの材料として樹皮をはがし、板材、カヌー、共同住宅用に切り出した跡が残る樹木など、人間が長らく暮らしていたこと示す証拠がある。何世紀もの間に、こうした跡は修復され、人間がかつてこの地を利用していた記録を半永久的に残している。現在、こうした古木は文化的に修復された木(CMT)として知られている。クラクワット・サウンドの雨林の別の区域に残る傷跡は、もっと最近のもので、はるかに悪質である。それらは木材産業によるここ数十年の皆伐の跡で、クラクワット周辺の山の斜面や谷で今なお修復の途上である。
こうした傷跡は、1980年代、それに1993年に、カナダ史上最大規模に、そして平和的に行われた、原生林の皆伐に反対する市民運動の間、クラクワットの人々が固い決意の下、木材産業に対して断固たる態度で臨まなければ、はるかに広範囲に及び、この辺りの生物を脅かしたことだろう。
翻訳:日本コンベンションサービス
本シリーズ「クラクワット族と気候変動」の続編も、Our World日本語版で掲載予定です。
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本稿は、気候変動に関する先住民の声を世界に届けることを目的としたマルチメディア・プラットフォームであるConversations with the Earth(CWE)イニシアチブのHealing the Earthプロジェクトの一環として寄稿され、Land is Lifeの支援を受けています。CWEの活動については、FacebookやTwitter @ConversEarthでもご確認いただけます。