クラクワット族と気候変動:第5章

標高約720メートルのWah-nah-jus(ローンコーン山)が、クラクワット・サウンドの穏やかな水面にアーチ型にそびえる姿は、餌を求めて潜ろうとする巨大なクジラの背中のようだ。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

カナダ全域に存在するさまざまな土着のファースト・ネーション・コミュニティ同様、クラクワット族もまたサバイバー(生き残った人々)である。一世紀以上にもわたる文化的抹殺、キリスト教への改宗、同化政策、土地収用と再定住によって、その数は十分の一に減少し、絶滅の危機に瀕してきた。しかし環境、社会、文化が激変するなかにあっても、クラクワットの人々はゆっくりとだが着実に、気候変動を含めた社会的また環境的課題に対処する能力を高めている。

このシリーズの前章では、国連大学高等研究所伝統的知識イニシアチブの非常勤リサーチフェローであるグレブ・レイゴロデッツキー氏が、クラクワット族が直面してきたさまざまな課題と成果について理解するため、ブリティッシュコロンビア州クラクワット・サウンドとして広く知られるクラクワット族の伝統的テリトリーに足を踏み入れた。第5章では、産業用伐採によってクラクワット族の生活の場である温帯雨林が打撃を受けたこと、それがきっかけとなってクラクワット族が立ち上がり、彼らの森林を守るためにトライバル公園群を設立し、原生林木材で作られた木製品や紙製品の世界的な不買運動を引き起こしたことを紹介する。

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原生林

陽光降り注ぐ夏の日、トフィーノのファースト・ストリートの波止場から北を眺めると、Van Nevel Channel(バン・ネーベリ海峡)のすばらしい風景が広がっている。標高約720メートルのWah-nah-jus(ローンコーン山)が、クラクワット・サウンドの穏やかな水面にアーチ型にそびえる姿は、餌を求めて潜ろうとする巨大なクジラの背中のようだ。ミアーズ島の周囲の鏡のように穏やかなサファイアブルーのサウンドに、岩からなる小島がいくつか顔を出していて、クジラの周囲を跳ね回るネズミイルカの群れのように見える。水辺に一列に並ぶ赤や白、青の平屋の家々は、遠くからだと色鮮やかなレゴのピースのように見える。そこはヌーチャヌルスの言葉で「人々が集う場所」という意味を持つOpitsahtの村で、数千年間、クラクワットの人々が集まって冬を過ごした場所である。

およそ200人が暮らすOpitsahtは、2つあるクラクワット族居留地の大きな方である。村があるのは馬蹄型をしたミアーズ島の南西の先端で、ローンコーン山の麓である。島の反対側には、もっと標高が高く大きなコルネット山がそびえている。村へは船でしか行くことができず、漁船や水上タクシー、形、大きさ、色もさまざまな貸し切りクルーズ船がぽつぽつと定期的に海峡を行き来している。

Giant tree

ミアーズ島の沿岸温帯雨林のこれらの巨木は、地球で最も古い植物の仲間であり、古代と現代、地質と生態系、自然と人間の双方に関して、この地域の歴史の証人である。 写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

その眺めは、まだ乾いていない描かれたばかりの絵画のようだ。空気は爽やかで、活気に満ちたエネルギーが大きな鼓動となってクラクワット・サウンド全体に響いている。しかし、30年前、クラクワット族とその協力者が立ち上がってこの地の歴史の流れを変えなかったならば、ここや入り江周辺の様子は今よりずっと活気のない、色彩もはるかに地味なものだっただろう。彼らが立ち上げたのは、最後にはブリティッシュコロンビア州全域、カナダ全土、そして世界各地まで広がった反対運動である。

1980年代、ブリティッシュコロンビア州の大手木材企業、MacMillan Bloedel(マクミラン・ブローデル)がミアーズ島の皆伐を準備していたとき、クラクワット族とその協力者は、同社に反対の立場を示した。彼らがそうしたのは、自分たちのためではなく(そもそも、彼らの多くが木こりとして働いていた)ミアーズ島として知られる彼らの故郷、Wah-nah-jus Hilth-hoo-issのためであった。将来の世代、すなわち彼らが言うところの「将来の先祖」に対する伝統的な義務を果たすため、彼らはミアーズ島とクラクワット・サウンド周辺での木材の切り出しを止めて、伝統的テリトリーがいつまでも彼らの部族を支えられるようにしたのである。

30年前に大規模な妨害工作の現場となったCis-a-qiヒールブーム・ベイ)のこの入り江は、静かで安穏としている。私たちは船外機を止め、ジョーのボートを満ち潮の流れに任せて、ミアーズ島の東岸を漂っていた。一陣の風もなければ、ボートの腹を叩く波もない。ここに来る途中で着たライフジャケットは、今ではボートの床に積み重なっている。ついに霧が晴れ、日が照って暑くなったからだ。ボートの少し先でゼニガタアザラシが顔を出し、鼻孔を膨らませ、ヒゲを扇形に広げて、こちらをいぶかしそうにじっと見ている。私たちが危害を加えるつもりもなければ、それほどの関心もないことを示すと、ゼニガタアザラシは現れたとき同様音もなく水中に姿を消した。水際の巨木が作るダークコバルトの陰に溶け込むようにたたずむ小屋の前を、ボートはゆっくり通り過ぎた。岸に近づくと、風雨にさらされた木の看板が数個の岩に支えられて立っているのが見え、深く刻まれた「ミアーズ島トライバル公園」の文字が読めた。

クラクワット・サウンドの産業用伐採は、この地域にトラックとチェーンソーを運ぶための一本の開拓道路が開通したことで始まった。1960年代初頭には、原生林が広大な帯状に伐採されていた。産業用伐採がピークに達した1980年代には、原生の温帯雨林が毎年100万立方メートル近く消えた。マクミラン・ブローデル社は、トフィーノから見えないミアーズ島のこちら側の小さな入り江、Cis-a-qisを選び、材木を集積、分類するための網場と呼ばれる囲いを設け、島の原生林を伐採した。

産業用伐採がピークに達した1980年代には、原生の温帯雨林が毎年100万立方メートル近く消えた。

しかし、ミアーズ島の皆伐を「隠し通す」計画は失敗した。1983年11月、クラクワットの人々は彼らの伝統的テリトリーであるミアーズ島の、2万500エーカーの大部分の伐採を、ブリティッシュコロンビア州政府が許可したことを知った。1984年4月21日、この政府の決定に反対して代々の族長は、彼らの部族が「昔のまま自生する天然の食料の採取」を確実に続けられるよう、またサケの遡上する川、ニシンの産卵場所、わな道、神聖な埋葬地のすべてを保護するため、ミアーズ島を「トライバル公園」と宣言した。地域住民、それにこの地域を伐採から守るために1970年代に設立された地元の非営利団体、フレンズ・オブ・クラクワット・サウンドと協力して、クラクワット族はCis-a-qisで抗議行動を組織した。

Joe Martin and canoe

『息子よ、おまえはもう誰かに何かを頼る必要はない。カヌーを造れるようになった今、漕ぎ出して何でも好きなことができる。私はおまえに森と森での収穫について教えた。おまえはもう行って実行するだけでいいのだ』と父が言いました」とジョー・マーティン氏は思い出を語った。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

ボートで漂う間、ジョーは船外機に背を預けながら話してくれた。

「私自身、道路封鎖を行う前、12年間林業で働いていました」とジョーは語る。「確かに給料のいい仕事でしたが、やがてつらすぎるものになりました。豪雨のときには、泥が残らずケネディ湖と川に流れ込むのが見えました。ときどき山腹のうえから眼下の川を見下ろしたのですが、その流れはココアのように茶色一色でした。そこが私たちのサケの暮らす川だということはわかっていました。恐ろしい光景でした……。ええ、本当に苦しみました。そして、もうこれ以上耐えられないと思い、仕事を辞めたんです! それから数カ月間、父とここ、Cis-a-qisで道路封鎖を行いながら、カヌーを造って過ごしました」

「私たちの部族のメンバーは『この島では伐採はしないでほしい』と伝えました。それにもかかわらず、政府は許可証を発行しました。そこで私たちは『だめです。受け入れられません』と言って、この島をトライバル公園として宣言しました。この小屋を建て、ちょうどこの場所で丸木舟を造りながら、伝統的な生活様式と、私たちが守りたかった森林の利用方法を見せました。まさにこの岸に立って、伐木業者を出迎えました。そして、彼らに私たちの庭、つまりこの原生林にチェーンソーを持ち込むことは許されません、と伝えました。彼らは海峡のあちら側でまだ伐採を続けていたので、私たちは『伐採を続けてはいけません。そんなことをすれば森林全体が破壊されてしまいます』と言いました」
ジョーは不愉快な記憶を追い払おうとするかのように、一呼吸おいて肩をすくめた。「大変な時代でした。おわかりかと思いますが、当時、トフィーノにいるのは、私にとって危険なことだったんです」

林業で働く地元住民の中には、抗議者に激怒する者もいた。道路封鎖を行っている間、ジョーのような人々はトフィーノでは身の危険を感じた。伐木に賛成する住民が抗議者をトラックで追い回すこともあったため、通りを歩くことも危険だったのだ。

マクミラン・ブローデル社の代表は封鎖の見張り役に、場所を明け渡して木こりに仕事を進めさせるよう要求したが、その要求が無視されると、木こりは退去するほかなかった。同社は直ちに、草の根運動家に伐採作業の妨害を禁止する裁判所命令を求めた。ヌーチャヌルス族を構成する先住民部族集団である、ミアーズ島で暮らすクラクワット族とアホウサート族も、自分たちの禁止命令要求で対抗した。ブリティッシュコロンビア州最高裁判所は両部族の要求を認め、未解決の土地請求が解決されるまでミアーズ島での伐木を禁止した。ミアーズ島についての裁判所命令は現在も有効で、同島で認められている活動は、島のトライバル公園内にあるビッグ・ツリー・トレイルなどのエコツーリズム・コースの保全と、入り江の向こう側にあるトフィーノの町に飲料水を供給する貯水池の管理だけだ。皮肉なことに、この貯水池は町の唯一の真水供給源なのである。

しかし、クラクワットの雨林の将来をかけた闘いは、この裁判所命令とミアーズ島トライバル公園の設立では終わらなかった。1993年、ブリティッシュコロンビア州政府は、サウンドに残る原生林の3分の2を伐採する新計画を発表した。それに対し、1993年6月から11月にかけて、「森林闘争(War in the Woods)」として知られるカナダ史上最大規模の市民的不服従による抗議運動が起った。ウェスト・メインの伐採道路にかかるケネディ・リバー・ブリッジには、世界各地から1万2,000人が抗議運動に参加して、道路封鎖と逮捕が日常的に行われた。合計850人以上もの活動家が逮捕されたがのちに釈放され、最終的にはすべての起訴が取り下げられた。この妨害活動と同時に、皆伐の中止と原生林木材で作られた木製品と紙製品の禁止を目的とした、十分に連携のとれた運動が世界的に盛り上がった。

Clearcut

時に真っ直ぐに、時にジグザグに斜面を這うかつての伐採道路の跡が、山腹を分割している。最後に皆伐が行われてから20年が経過しても、藪、草、矮小樹木が作るこの緑のベールは、まだ回復していない伐採跡地を隠すことはできない。 写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

森林闘争はクラクワットでの伐採作業を完全に終わらせたわけではなかった。かつてよりずっと小規模ではあるが、現在も伐木は行われている。それでも、その抗議運動は環境の歴史の重大な分岐点であった。1990年代初頭以降、同地域での伐採が90パーセント減少しただけでなく、政府が科学委員会(Scientific Panel)を設置して、世界に誇れる伐採慣行を考案し、皆伐(産業界と政府の慣例的慣行)をサウンド全域で過去の遺物とした。原生林木材で作られた木製品と紙製品の世界的な不買運動など、クラクワットでの抗議運動で用いられた市民的不服従による戦略とかけひきは、アマゾン川流域やインドネシアなどの遠く離れた場所でも環境保護キャンペーンに採用されてきた。社会的にも生態学的にも豊かなこの地域が世界的に注目されたことが一因となって、2003年、ついにクラクワット・サウンドはユネスコ生物圏保護区に指定された。

ボートに戻ったジョーは、手をかざして午後の強い太陽の光を遮りながら、今もなお原生林が覆うミアーズ島の岸辺を見渡した。

Stump

ここ数十年に木材産業が残した皆伐の傷跡から新しい命が芽吹いているが、クラクワットの山腹と渓谷の伐採跡地はいまだ回復していない。 写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

「やっただけの価値はありました」と彼は言った。「ちょっと見てください――私たちの庭は今もここにあるんです! 私たちが皆伐をやめさせなかったなら、あれと同じことが起っていたでしょう」そう言って、彼は向かい側にあるバンクーバー島の山腹を手振りで示した。
初めのうち、私にはその意味がよくわからなかった。彼が示した斜面は、皆伐跡地の茶色や灰色ではなく、長く柔らかなケバのあるフラシ天のような緑色に覆われている。しかしすぐに、そのほとんどが若い植生を示す淡黄緑色の明るく蛍光に近い色合いであり、原生林のもっと深いエメラルド色とは異なることに気づいた。かつての伐採道路の跡が、時に真っ直ぐに、時にジグザグに斜面を這い、山腹を分割している。最後に皆伐が行われてから20年が経過したが、藪、草、矮小樹木が作る緑のベールは、まだ回復していない伐採跡地を隠すことはできない。
自然林に取って代わったのは、同じ樹齢の単一種からなる人工的な若木の木立で、将来の木材、チップ、パルプ生産のための植林地になっている。自然林には老木、成木、幼木が林立しているが、皆伐後の木立は生物学的には不毛の地で、動植物は種が少なく個体群の多様性が低い。
クラクワットの人々の生活の場である雨林の数千年間の進化と適応は、ほんの数年間の産業用伐採で消えてしまった。回復するのにも数千年が必要だろうか? そもそも回復できるのだろうか? なにしろ現在は、気候が変動しつつあり、温帯雨林の巨木の成長に不可欠な、生命維持のための栄養源である天然のサケが、以前ほど豊富に見込めないのだから。

翻訳:日本コンベンションサービス

本シリーズ「クラクワット族と気候変動」の続編も、Our World日本語版で掲載予定です。

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本稿は、気候変動に関する先住民の声を世界に届けることを目的としたマルチメディア・プラットフォームであるConversations with the EarthCWE)イニシアチブのHealing the Earthプロジェクトの一環として寄稿され、Land is Lifeの支援を受けています。CWEの活動については、FacebookTwitter @ConversEarthでもご確認いただけます。

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クラクワット族と気候変動:第5章 by グレブ・レイゴロデッツキー is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License. Photos: © Gleb Raygorodetsky.

著者

グレブ・レイゴロデッツキー氏は国連大学高等研究所(UNU-IAS)の伝統的知識イニシアチブのリサーチフェローであり、また、ビクトリア大学(カナダ)のグローバル研究センターにおけるエコロジカル・ガバナンスでのPOLISプロジェクトでのリサーチ・アフィリエイトとの兼任リサーチフェローである。 UNU-IASに参加する前は、生物文化の多様性と回復力に関するクリステンセン基金のための新しい世界助成金戦略の開発を主導していた。 生物文化の多様性の分野では、参加型調査とコミュニケーション、先住権、気候変動による移住と適応、神聖な自然遺産に重点を置いて研究している。 国際民俗学生物学会(ISE)における民俗学のプログラムで共同議長を務め、また、国際自然保護連合(IUCN)保護地域の文化的・精神的な価値(CSVPA)の専門家グループの活動メンバーでもある。 彼は、Cultural Survival,、Alternatives、 Wildlife Conservation、National Geographicなどの誌面に気候変動、伝統的な知識、先住民などについて執筆している。