クラクワット族と気候変動:第8章

「恐れなければ、どんなことでも学べる」とエリ・エンズ氏は言う。「これは、コミュニティの中で私たち人間がお互いに対して、また他の生き物に対して負うべき役割と責任についての教えです。私たちは皆、自然の法則を担う者であり、『将来の先祖』に対して責任を負っているのです」 写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

カナダ全域に存在するさまざまな土着のファースト・ネーション・コミュニティ同様、クラクワット族もまたサバイバー(生き残った人々)である。一世紀以上にもわたる文化的抹殺、キリスト教への改宗、同化政策、土地収用と再定住によって、その数は十分の一に減少し、絶滅の危機に瀕してきた。しかし環境、社会、文化が激変するなかにあっても、クラクワットの人々はゆっくりとだが着実に、気候変動を含めた社会的また環境的課題に対処する能力を高めている。

このシリーズの前章では、国連大学高等研究所伝統的知識イニシアチブの非常勤リサーチフェローであるグレブ・レイゴロデッツキー氏が、クラクワット族が直面してきたさまざまな課題と成果について理解するため、ブリティッシュコロンビア州クラクワット・サウンドとして広く知られるクラクワット族の伝統的テリトリーに足を踏み入れた。シリーズ最終章となる今回は、レイゴロデッツキー氏が政治学者のエリ・エンズ氏から、クラクワット族独自の、綿密に検討されたコミュニティ開発計画について詳しく話を聞く。

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環境保全型経済

ウィカニニッシュ・ロードの一角にある砂利敷きの新しい宅地の隅から、一対の短い木杭が突き出ている。「新しい家を建てる時、ここから地熱暖房を引くんです」と、明るい青と赤に塗られ、側面に黒いマジックペンで「GEO-SER(地熱)」と不揃いな字で書かれたこの2本の木杭を指さして、エリ・エンズ氏は言う。私たちはEsowistaの拡張地区として作られた新しいコミュニティTy-histanisで、エリ宅の近所を見て回っていた。Esowistaはクラクワット族の2つの居留地の小さい方で、トフィーノからちょうど10マイル南にある。

1970年代にパシフィック・リム国立公園保護区を作った時、カナダ政府はクラクワット族や他のヌーチャヌルス・ファースト・ネーションに全く相談をしなかったが、保護区には彼らの伝統的テリトリーが含まれていた。この国立公園が設立されることにより、クラクワット族のテリトリーの一角であるEsowista居留地が完全に周囲を囲まれてしまい、今後コミュニティを拡大する選択肢が完全に閉ざされるなど、クラクワット族は多くの悪影響を被った。

Eli by the road

Ty-histanisは、より効率的な暖房・電気・機械システムを使用して、温室効果ガスの排出を削減できるよう設計・建造されている。まだ家の建っていない宅地で、エリ・エンズ氏は中央地熱発電所からつながっている電源装置を見せてくれた。この電源装置により、湿気の多いクラクワット・サウンドでは欠かせない床下暖房を、各戸に設置することができる。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

国立公園とヌーチャヌルス族との関係は、長い間険悪だった。しかし森林闘争(この重大な出来事の詳細は第5章-原生林をご覧ください)により、その均衡はファースト・ネーションの権利にとって有利な方向へと傾き、両者の関係は徐々に改善した。今では時としてパシフィック・リム国立公園がファースト・ネーションの人々をスタッフとして雇うこともある。最近、国立公園とファースト・ネーションの間で、居留地を84ヘクタール拡大することを認める協定が結ばれた。これによりEsowistaにいくらかの余裕ができるだけでなく、さらに重要なことに、住民がEsowistaの海岸線から離れ、より標高の高い安全な土地に移転することができるようになる。Esowistaの海岸線は、強力化し頻度を増しつつある冬の嵐(気候変動のもう一つの兆候)によって、浸食が進みつつある。

数年間かけて建設されるクラクワット族の活気あふれる新しいコミュニティTy-Histanisには、170軒以上の戸建て住宅、30棟以上の複合住宅、十数棟の高齢者向け住宅のほかに、学校、診療所、薬局、レクリエーションセンター、バスターミナルが建築される予定である。その多くはまだ計画段階だが、主要インフラは建造済みで、すでに何軒かの家が建ち、入居している家族もある。

「クラクワット族が行うすべてのことと同じように、私たちは伝統的な教えに従って、気候変動にとくに注意を払いながらTy-Histanisで持続可能なコミュニティ開発を実現しようと努めてきました」とエリは言う。憲法を専門とする政治学者であるエリは、クラクワット・ネーションの族長Wickaninnish(ウィカニニッシュ)に演説家兼歴史家として仕えたNah-wah-suhmのひ孫である。偉大な先祖がおそらくポトラッチの贈答儀式でそうしたように、エリはゆっくりとしたテンポで、一語一語丁寧に発音する。それは、言いたいことをわかりやすく正確に伝えることに細心の注意を払う、熟練した演説家ならではのものだ。黒々とした短いバンダイクひげが幅の広いハンサムな彼の顔を縁取り、トーテムポールの太陽の紋章のように見る者を惹きつける。

「気候変動に留意しつつTy-histanisの構想と建設を進めるため、政府からの通常の建設予算の他に、いくらかの追加資金を何とか手に入れることができました」とエリは言う。

その結果、Ty-Histanisはより効率的な暖房・電気・機械システムを使用して、温室効果ガスの排出を削減できるよう設計・構築された。中央地熱発電所により、湿気の多いクラクワット・サウンドでは(冬の降水量の増加が予想されている今ではとくに)欠かせない床下暖房を各戸に設置することが可能だ。また、各世帯は暖房用の電力を購入する必要がないため、出費を減らすことができる。

House

バンクーバーに拠点を置くEcotrust Canada(エコトラスト・カナダ)とのパートナーシップのもと、クラクワット族の人々は、「Standing Tree to Standing Home」プログラムの一環として、ヌーチャヌルスの伝統的なロングハウスデザインと、地元の建築資材を採り入れたモデルハウスを設計し建築した。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

さらに、激しさを増す豪雨に対処するための気候変動適応策の一環として、コミュニティの内部および周辺の土壌の40%以上をかく乱せずに残し、雨水貯留池を数カ所に建設し、雨水がコミュニティの下水道からあふれることなく土壌に浸み込んでいくよう、多孔質材で作られた新しい舗装道路を導入した。

クラクワット族の人々と、バンクーバーに拠点を置く彼らの長年のパートナーEcotrust Canada(エコトラスト・カナダ)も、「カーボンフットプリント」、すなわち建設や資材の運搬に使用される化石燃料の量を削減する方法を模索した。彼らは、「Standing Tree to Standing Home」プログラムの一環として、ヌーチャヌルスの伝統的なロングハウスデザインと、地元の建築資材を採り入れたモデルハウスを設計し建築した。そして、このよりエネルギー効率の高い伝統的な住居様式が、EsowistaやOpitsahtからTy-histanisに新たに移り住む家族、さらにはブリティッシュコロンビア州やカナダの他の地域から自分たちの伝統的テリトリーに帰ってくる家族にとって、好ましい選択肢となることを願っている。

私たちは、いくつかの新しい家や宅地を通りすぎて、エリが叔父のジョー・マーティン氏と一緒に暮らすアパートへと向かった。エリの亡き父とともに育ったジョーは、エリの父が若くしてこの世を去ってからはとくに、つねにエリの良き相談相手であり友だちだった。アパートに着くと、エリはシャツの袖をまくりあげ、もうじき漁から戻るジョーが夕食に新鮮なサケを何匹か持ち帰ってくれるのを期待して、シンクに湯をためて台所を片付けた。

エリは、カナダ内陸部の草原の町、マニトバ州ブランドンにある母親の実家で育った。ブランドンはカナダで最も海から離れた町で、その景色はクラクワットに比べてはるかに均一的だった。そこで少年時代を過ごしたエリは、体制、とくにその代表である警察に対し、正義と権力の象徴として憧れを抱くようになった。しかし12歳になって、夜遅くに出歩いていたために警官に捕まって取り調べを受けた時、彼の憧れは打ち砕かれた。警官にののしられ手錠をかけられたエリは、信じられない思いにかられ野次馬に向かって叫んだ。「警察を呼んで!」

エリはこの時、先住民の子どもだというだけで警官が自分を憎んでいることを知った。逮捕されてから、彼は自分も憎み返してやろうと決意し、青年になってからはつねに弾の入った銃を持ち歩くようになった。父親になったことで(彼には14歳の娘がいるが、彼曰くそれは偶然によるものではなく、意図的な繁殖行為によるものである)体制に対する彼の怒りは和らいだ。しかし、支配的な西洋社会が彼や彼のファースト・ネーションの兄弟姉妹を扱うやり方に対する不満は、年月を重ねるにつれて募っていった。

彼は子ども時代から何度も父親の故郷であるクラクワット・サウンドを訪れ、25歳の時、そこに定住することを決めた。その何回かの訪問の中で一度、ジョーはエリの曽祖父が家を建てて長年住んでいた場所にエリを連れて行った。その場所を見た時、エリはその景色に何とも言えない帰属意識と一体感を感じた。その感覚は、以来ずっと彼の人生と仕事を導いてきた。彼は現状を打破し、バンクーバー島に独立したクラクワット・ネーションを作ろうと固く決心した。クラクワット族の彼の親類や長老たちは、変化を求めるエリの情熱を認めたが、彼には助言が必要だと考え、エリにクラクワット族の伝統教育であるHa-ho-paを受けさせた。

「私は伝統的な水の儀式を受け、3年間練習を積みました」と、皿を洗って拭き終わった後でエリが言った。私たちは冷たく冷えた瓶入りの地ビールを持ってリビングのソファに座り、彼が共同で設立したトライバル公園と、クラクワット族の未来のためにこれらの公園が果たす役割について話した。

「その経験から、私はいくつかのことを学びました」とエリは言う。「1つめは、『天の下、地の上で生きる』という教えです。つまり、毎日、毎年の私たちの生活をつかさどっている太陽と月のサイクルを知り、適切に行動するという意味です。単純なことです。そして、儀式の中で学んだもう1つの教えは、『変化の中に力を見出す』ということです」

友人からのメールが来ていないかと、エリはスマートフォンを確認した。「ここはまだ電波の状態がかなり悪いんです。Ty-histanisは新しいコミュニティですしね。ちょっと待ってくださいね。だいたいいつもつながる場所が一カ所あるんです」彼は立ち上がって、キッチンのドアの脇につるされたヌーチャヌルス族の伝統的な木製の仮面の前を通ってキッチンに入っていった。エリの親せきが彫ったというその仮面の真珠色をした目が、杉の皮でできたパサパサと垂れ下がる髪の毛の下から宙を見つめている。血のように赤い鼻と口紅を塗ったように赤い唇の間に、まだら模様の羽毛が一本刺さっている。仮面の下の壁には、ジョーの彫刻作品の一つであるカヌー用のパドルが立てかけてある。エリは自分のスマートフォンを食器棚のうえに置き、レンジフードの排気管にもたれさせた。

「ほら、1本立った」と彼は言った。「あなたの携帯電話もここに置きましょうか? 大丈夫ですか? さてと、どこまで話しましたっけ?」彼は柔らかいソファに再び腰を下ろし、再びトライバル公園について話し始めた。

2000年代の初め、エリと、自分たちの大学教育をクラクワット族のために活かそうと意欲的に活動していたクラクワット族の友人たちは、裁判所の差し止め命令が出てから、旅行業者以外には誰もミアーズ島トライバル公園開発に関わっていないということに気が付いた。これがトライバル公園開発の第二段階のスタートとなった。2007年、エリと友人たちは、トライバル公園設立プロジェクトを立ち上げた。カナダ先住民の権利を保護する1982年憲法法第35項に基づき、Hawiih(クラクワット族の世襲族長)からトライバル公園設立の権限が与えられた。

「私たちの伝統的な自治の概念には、将来の先祖のために伝統的テリトリーを守ることが含まれています」とエリ・エンズ氏は言う。「今私たちは、そうした伝統的な概念や価値観を、自然資源の管理という現代の状況に再び応用するための、思慮に富んだ、創造的で革新的な方法を見つけなければなりません」

「この法令は、先住民の権利とは何か、または条約に基づく権利とは何かということについて、詳しく説明してはいません」とエリは言う。「この法令は、単にそれらのことを承認・確認して、カナダの最高法である憲法に組み込むものです。ですから私たち先住民の自治権は、憲法で認められているのです。また、私たちの伝統的な自治の概念には、将来の先祖のために伝統的テリトリーを守ることが含まれています。今私たちは、そうした伝統的な概念や価値観を、自然資源の管理という現代の状況に再び応用するための、思慮に富んだ、創造的で革新的な方法を見つけなければなりません。これが、トライバル公園で私たちがやろうとしていることなのです」

1984年にミアーズ島トライバル公園を設立したことにより、クラクワット族の人々は、自分たちの土地に木材伐採を強いる支配的なカナダ社会の価値観ではなく、自らの伝統的な価値観に従って土地を管理し始めた。しかしクラクワット族の長老たちは、「Hishuk Ish Tsa’walk」、すなわちすべては一つであり、すべての事象がつながっているという彼らの考え方に立ち、伝統的テリトリー全体について考えずミアーズ島のみが重視されることにつねに不満を感じていた。

「ミアーズ島を、干潟や入り江、そして川やサケと切り離すことはできません」とエリは言う。「すべては結びついているのです。ですから私たちは、伝統的テリトリー全体の管理に立ち返る必要があるということをつねに考えていました。しかしそれは徐々に進めていかなければなりませんでした。裁判所の差し止め命令でミアーズ島は守られていましたから、最も大きな脅威にさらされている別の水域に取り組むことにしました。それがHa’uukmin、すなわちケネディ湖の水域でした。Ha’uukminは、伝統的原則に基づいたトライバル公園の管理方法を見出そうという私たちの最初の試みとなりました」

Tofino from Meares Island

ミアーズ島の原生雨林の枝の間から見えるトフィーノ市は、島からの淡水供給に完全に依存している。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー

プロジェクトチームは、Ha’uukminトライバル公園の管理・土地利用計画を策定した。この計画ではまず、開発業者たちがクラクワットの伝統的テリトリーの開発を思い立つより前に、公園内で許可される活動の種類について開発プロジェクトの支持者たちに知らせる。

プロジェクトチームは、クラクワット族の伝統的な慣行や規範に従って、木材伐採やその他の開発活動による破壊が最も進んでいない地域を、伝統的な「qwa siin hap」(そのまま残しておく)地区として確保した。これは科学者が「保護」地域と呼ぶものに近い。これに対して、ケネディ湿地のように森林伐採が行われるなど、何らかの形ですでに影響を被っているトライバル公園の他の部分は、「uuya thluk nish」(我々が世話をする)地区と呼ばれている。この地区では、サケの生息環境の修復など、特定の種類の経済開発や生態系の回復が進められている。

「そこにやってきたのが金鉱開発の提案です」とエリは言う。「私たちは、『いや、そんなことはさせない』と言って、私たちのテリトリーを採鉱から守るために、Tranquil Creek(トランキル・クリーク)トライバル公園とEsowista(エソウィスタ)トライバル公園を設立しました。今では伝統的テリトリーのほぼすべてが網羅されています。ですがサケは外洋に出て行くように、私たちの責任もサケと同じように外へと向かいます。なぜなら国際水域で起こることは、ここで起こることにいずれ影響を及ぼすからです。私たちはまだ、こうした問題にしっかりと取り組んではいません。しかし国際水域や太平洋の管理に関する議論に先住民の声を反映させるよう、努力しています」

クラクワットはまさに、ミアーズ島の訴訟とともに始まった先住民の権利や権原をめぐる社会的・経済的革新の震源地だと、エリは主張する。Wilderness Committee(ワイルダネス・コミッティー)、Ecotrust Canada(エコトラスト・カナダ)、Parks Canada(パークス・カナダ)といった団体とのパートナーシップのもと、トライバル公園は環境保全型経済の発展へと向かう道を選択した。環境保全型経済とは、クラクワット・サウンドを形成する自然や社会のシステムを破壊するのではなく支えることを目指す経済である。その中でトライバル公園は、クラクワット族の人々の福祉を実現するための基盤となる。

過去にもこのような環境保全型経済モデルは存在し、それぞれの季節にクラクワット・サウンドの土地と海からもたらされる資源が何世代にもわたって何千人もの人々の暮らしを支えていた。しかし捕鯨を始めとするいくつかの伝統的な自給自足慣行がもはや存続できなくなった今、クラクワット族の人々は、環境保全型経済の新しい諸要素に基づいて、地域の伝統的な自給自足・交易・交換モデルを強化したいと考えている。

「私たちは今も、テリトリー全域に自由に出入りすることができます」とエリは言う。「しかし問題は、テリトリーが治癒を必要としているということです。テリトリーは劣化し損傷しているため、負担に耐えることができません。ですから私たちは、私たちの主張を伝え、テリトリーの治癒を手伝い、修復を促すための支えを必要としているのです」

当初エリは、彼の先祖の時代と同じやり方で伝統的テリトリーを修復する方法を生み出そうとした。しかしすぐに、それではうまくいかないということに気が付いた。とくに今では気候変動が問題をさらに難しくしている。例えば、何千年もの間、温帯雨林の成長を可能にしてきた環境条件がもはや存在しないのである。またサケが減少してしまったため、原生林の成長を維持するために必要な栄養素が生態系にもたらされない。そのうえ気温や海水温の上昇が、繁殖や成長に冷たい水を必要とするベニザケなどの天然サケ種の未来を脅かしている。

この現象に気づくことで、エリは、何年も前に水による治癒の儀式を受けた時に学んだ「変化の中に力を見出す」という教訓に立ち返った。この考え方は今、クラクワットトライバル公園での彼の活動のすべてに通じる指針となっている。

「私は、マズローの欲求段階説的な観点からこの問題を考えています」とエリは言う。「私たちが必要としている基本的な要素は何でしょうか? それは、水、食料、住居、エネルギーです。その中でも不可欠なものは水です。私たちは自分たちや将来の世代のためのきれいな飲用水源を必要としており、水は私たちの伝統的テリトリーに豊富に存在する主要資源の一つです。ですから私たちは、この資源を今のまま維持したいと考えています。

経済面に関しては、収益を生むビジネスの開発を計画しており、お土産にもなるガラス製ボトル入りの水を作ろうと考えています。『ミアーズ島トライバル公園の水』、『トライバル公園の水』、『原生林の水』といった名前で売り出すのです。私たちのテリトリーにやってきた観光客が地元の水を買ってくれるよう、トフィーノ市と協力してペットボトル入りの水の輸入を禁止するには、政治的に見ても今が好機でしょう」

「また、地元の養殖団体Creative Salmonとの話し合いも開始しました。ノルウェーのタイセイヨウサケ養殖業者とは異なり、この団体はタイヘイヨウサケを育てています。Ty-histanisにアクアポニックス・システム(閉鎖的環境での魚の養殖システム)を構築する良い機会となるかもしれません。これは魚の養殖と農業を組み合わせたシステムで、開放水域ではなく、陸上の閉鎖的な環境で養殖を行うものです。そこから出る排水は、温室や地域の農園システムに還元され、そのための電力は地熱発電所で生み出されます」

Totem pole

トーテムポールの一番上の紋章は、必ず太陽か月を表している。私たちは、毎日、毎年の私たちの生活をつかさどっている太陽と月のサイクルを知り、適切に行動しなければならない。

「最後に、私たちはエネルギー安全保障の確保に力を入れています。私たちが立ち上げたカヌークリーク水流発電プロジェクトは、川をダムでせき止める必要がないため、環境に優しいプロジェクトです。このプロジェクトの所有権の75%は私たちにあり、残りの25%はテリトリー内に暮らす20年以上前からの私たちの知人2人が所有しています。私たちはBC Hydroと25年間の電力購入契約を結んでおり、同社の送電線をすぐに利用することができます。カヌークリークプロジェクトの発電量は5.5メガワットで、数百世帯に電力を供給することができます。他にも開発段階の異なる2、3の似たような水力発電プロジェクトをテリトリーの各地で進めています」

「私は個人的に、西洋の経済システムは地球の法則に従っていないため、根本的な欠陥を抱えており最終的には破たんする運命にあると考えています。現在私たちが気候変動対応策として行っていることは、要するに大恐慌への備え、すなわち深刻化する気候変動の影響によって世界市場が崩壊するといった事態への備えです。もちろん大恐慌が起こらなければ、それでいいのです。なぜならこれはどちらにせよすべきことだからです。人々は地元での雇用を必要としているし、地域の食料安全保障も、より健全な食料も必要です。ですから私たちは、長期的に見てより良い形で物事を行う方法を生み出しているだけなのです」

クラクワット・サウンドへの私の旅の終わりに、エリは私をWah-nah-jus(ローンコーン山)の頂に連れて行ってくれた。はるか昔、クラクワット族の捕鯨者たちはこの山の頂上で何日もあるいは何週間も断食をして、次の漁に向かうための精神的な強さを養い、導きを求めた。

今ではエコツーリズムの散策路がOpitsahtの埠頭からローンコーン山の頂上まで伸びている。このよく目立つ散策路は、ミアーズ島の低地の茂みの中を曲がりくねって進んだ後、ローンコーン山の急斜面を少しずつ上り始め、杉の巨木から高くそびえるアメリカツガの木に向かってジグザグに続く。3時間の険しい道のりだが、毎年何度かローンコーン山に登るエリの慣れた足取りは軽く、歩幅は広い。最後の4分の1では斜面がほとんど垂直になっている場所もあり、私はカメラの入ったバックパックの重みに耐えながら四つん這いでよじ登らなければならず、大きな岩や倒木をいとも簡単に乗り越えていくエリから大きく後れを取った。その日の朝、トフィーノで会合がいくつかあったため、私たちが埠頭からOpitsahtまで水上タクシーに乗れたのは、午後遅くなってからで、頂上の岩だらけの小さな広場でエリにやっと追いついた頃には、あたりの景色は琥珀色の夕日に包まれていた。

私たちはクラクワット・サウンドを見下ろす断崖のへりに立った。風はなく、木々の枝もそよがず、眼下に広がる大地と海を夕闇が少しずつ覆っていくなか、ただブーンという蚊の羽音だけが強さを増していく。私たちは水のボトルを取り出してのどの渇きをいやし、水上タクシーの運行が終わる日暮れ前にOpitsaht埠頭に着けるようまた山道を下り始めるまでの数分間、しばし休息をとった。エリは先祖から伝わる土地を見下ろした。はるか眼下に、Opitsahtとトフィーノを結ぶ水路を行き交うモーターボートの航跡が見える。それらはまるで、クラクワット・サウンドの小さな島々が点在する水面に浮かぶ火の鳥の羽のように、黄金色に輝いている。

「ヌーチャヌルス族の誰もが知っている最も重要な教えがあります」と、夕日に輝くHa-huulthiiから目をそらさずエリが言う。「それは恐怖についての教えです。叔父のジョーがいつも言うんです。もし恐れを感じながら何かを学びたいと思うなら、これくらいのことを学ぶだろう」と、エリは手を肩幅に広げる。「でももし恐れなければ、どんなことでも学べるのだ!」そう言って、彼は目の前に広がるHa’huulthiiを抱え込むかのように腕を大きく広げた。「これは、コミュニティの中で私たち人間がお互いに対して、また他の生き物に対して負うべき役割と責任についての教えです。私たちは皆、自然の法則を担う者であり、『将来の先祖』に対して責任を負っているのです」

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本稿は、気候変動に関する先住民の声を世界に届けることを目的としたマルチメディア・プラットフォームであるConversations with the EarthCWE)イニシアチブのHealing the Earthプロジェクトの一環として寄稿され、Land is Lifeの支援を受けています。CWEの活動については、FacebookTwitter @ConversEarthでもご確認いただけます。

翻訳:日本コンベンションサービス

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The Tla-o-qui-aht People and Climate Change: Chapter 8 by グレブ・レイゴロデッツキー is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License. Photos: © Gleb Raygorodetsky.

著者

グレブ・レイゴロデッツキー氏は国連大学高等研究所(UNU-IAS)の伝統的知識イニシアチブのリサーチフェローであり、また、ビクトリア大学(カナダ)のグローバル研究センターにおけるエコロジカル・ガバナンスでのPOLISプロジェクトでのリサーチ・アフィリエイトとの兼任リサーチフェローである。 UNU-IASに参加する前は、生物文化の多様性と回復力に関するクリステンセン基金のための新しい世界助成金戦略の開発を主導していた。 生物文化の多様性の分野では、参加型調査とコミュニケーション、先住権、気候変動による移住と適応、神聖な自然遺産に重点を置いて研究している。 国際民俗学生物学会(ISE)における民俗学のプログラムで共同議長を務め、また、国際自然保護連合(IUCN)保護地域の文化的・精神的な価値(CSVPA)の専門家グループの活動メンバーでもある。 彼は、Cultural Survival,、Alternatives、 Wildlife Conservation、National Geographicなどの誌面に気候変動、伝統的な知識、先住民などについて執筆している。