ソニア・アイエブ・カールソンは国連大学環境・人間の安全保障研究所(UNU-EHS)のシニアリサーチャーで、環境破壊や気候変動に関連した移動の決断、移住、健康、ウェルビーイングについて研究している。サセックス大学でグローバルヘルスの講師としても活動。
スーダンからシリア、さらにはバングラデシュに至るまで、気候変動は激しい紛争と大規模な移住を引き起こす強力かつ単純な根本的原因として語られることが多い。
このような関連付けには危険な側面もある。気候変動を、争いや大規模な移住の原因として直接結び付けてしまうと、環境問題の影響を受けやすい人々が人間らしく扱われず、主に豊かな国々が作り出した問題から逃れるための移住にも関わらず、安全保障上の脅威として捉えられてしまいかねないからだ。そうなれば、思いやりや援助よりも、恐怖や分離を促進してしまう。また、紛争を、気候変動によって生じる「自然」なものであるとみなし、多数の予防可能な原因を無視することにもなる。
地球温暖化が暴力や戦争、混沌をもたらすのは避けられないと言えるほど、真実は単純ではない。現場で影響を受けやすい人々の個人的な人生経験を明らかにした調査結果を見ると、気候と紛争の関連性は単純でも、直線的でもないことが分かる。気候が不安定化することは、単に、既存の多くの問題にさらなる負担が加わるにすぎない。
私がバングラデシュの調査で出会ったある男性(北東部の村バブプール(Babupur)出身で55歳のムザファールさん)の経験は、この複雑性をまさに物語っている。ムザファールさんと同じような立場に置かれた数限りない人々の未来を本当の意味で守るためにも、私たちは紛争の構造的・社会的要因を把握した上で取り組む必要がある。
ムザファールさんのストーリーは、ここで暮らす多くの人々と同様に、困難な過去から始まる。ムザファールさんは貧困のため、子どもの頃から働かざるを得ず、学校にもまったく通えなかった。自分の所帯を持った時も、一番大きな心配事は家族の食べ物を確保することだった。
当時、この地方では雨が少なく、食料不足が発生しており、気候が不安定化するにつれバブプール村は干ばつに見舞われることが多くなった。村で生計を立てることが難しくなったため、ムザファールさんは妻と8人の子供を残し、首都のダッカに移住することを決心した。
ダッカでは、日雇い労働者として港で働き、砂や石を頭に乗せて運んだ。家は借りられなかったため、蚊や蟻が湧いて出るトタン製の共同住宅で暮らした。
そこは酷かった。50人から60人が缶詰め状態だった。教育を受けていなかったので、転職することもキャリアを積むこともできなかった。ただ、家族が暮らせるようにだけはした。私が仕事を続けられた理由は、それだけだ。
故郷に帰ることを決めると、ムザファールさんは池の近くの公有地に引っ越した。行政がそこに住むことを保証したからだ。しかし、地方裁判所に土地の所有権を求めていた有力者たちがある日現われ、家の隣に木を植え始めた。この地方ではよくある土地収奪のやり方だ。ムザファールさんは、その時のことをこう語る。
その男に言ったんだ。裁判であなたが勝てば土地はあなたのものだが、今、私の土地に木を植えることを許すわけにはいかない。木を植えたいのなら、空いている土地に植えればよいと。彼らは私の話に耳を貸さず、木を植え続けた。
私はしばらくして、彼を説得しようと近寄り、手を掴んで止めようとした。彼は突然立ち上がると、持っていた鋤を私に振り下ろした。私は手で身を守ろうとしたが、鋤は私の手から顔にかけて当たり切断した。ちょうど、この目の脇のところだ。
ムザファールさんは頭に鋤の一撃を受けた直後に気絶した。土地を持たない先住民の隣人たちは、ムザファールさんを助け、タクシーに乗せて病院に連れて行こうとしたが、有力者たちは妨害してきた。やっとタクシーが出発できたのは、ムザファールさんの叔父が出てきて「こいつを死なせたいなら、この場で殺せ」と叫んだからだ。
事の成り行きを調査するため、警察が村にやってきたが、ムザファールさんは警察のサービスを受けるために慣習的に要求されている金銭、つまり賄賂を支払えなかった。警察に支払いができなかったために、この事件は数十年経った今も、地域の高等裁判所で係争中だ。ムザファールさんは「貧しい者は正義の代価を払えない」と語っていた。
幸いなことに、ムザファールさんの生活は好転した。裁判所で勝訴はできなかったが、数年前地元のNGO(非政府組織)からヤギ数頭と羊1頭、そしてバングラデシュ最大のNGOから牛1頭をもらったからだ。ムザファールさんは家畜を売り、その資金でさらに借り入れをして収穫用の機械を買い、小さな事業を立ち上げることにした。
現在は家畜を飼いながら、他人の畑で収穫作業を行ったり、自分の機械を貸したり、収穫物を共有したりしている。地主が自分の土地で耕作を認める代わりに、作物を共有するという集団的な営農形態だ。すでに借入金の返済も始まっている。前回私が訪問した時には、末娘が大学を卒業したという話をしてくれたが、その眼は実に誇らしげだった。
もちろん、こんな幸運に恵まれない人は多い。中には、借入金を返せなかったり、借金を返済するために土地や資産を売らなければならなかったりする人もいる。生計を立てる手段を失う、もしくは収監されることになる場合もある。
この地域では、気候変動によって天然資源が失われ、確かにムザファールさんが巻き込まれた紛争の一因にもなった。しかし、そこには土地政策や権力関係、社会的不名誉、差別、植民地主義の負の遺産などの要因もある。
ムザファールさんは貧しく、土地を持っていなかった。法律にも守られなかった。司法制度は権力者の味方をし、彼らが土地を奪うことに手を貸した。ムザファールさんを攻撃した男たちもまた、村の権力者とつながっていたからだ。
バングラデシュの内外を問わず、こうした権力関係の中には、植民地時代に下された決定に起因するものが多い。例えば、土地の分割を定めた植民地統治下の法律は、現在では適用されないにもかかわらず、資源を利用できる機会や権力の不平等を定着させそれが今も根強く残っており、自律的に発展していれば起こらなかったかもしれない紛争の原因となっている。
ムザファールさんは労働年齢にある男性だが、同じような状況に置かれていても、さらなる構造的障壁に直面する人々は多い。女性や高齢者、そして子どもは、紛争と気候変動の両方による大きな被害を受けている。こうした不平等の原因を作っている社会的な権力構造に取り組まなければ、不当な状況は今後も続くことになるだろう。
社会的、心理的、金銭的、地理的、政治的要因が紛争にどのように影響し、また、気候変動とどのような相互作用があるのかについて、私たちが持っている経験的証拠は驚くほど少ない。紛争と気候変動の両方から立場の弱い人々をどう守るべきかをより深く理解するためには、さらに多様で学際的研究が必要だ。
毎年開催されている国連の気候変動枠組条約締約国会議(COP)が第25回を迎えたが、こうした話し合いの場は、このような研究努力を前進させることができる。若者たちは問題の緊急性を認識し、科学に目を向けるよう私たちに求めている。今こそ、その声に耳を傾けるべきだ。
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この記事は、クリエイティブコモンズのライセンスの下、The Conversationから改めて発表されたものです。元の記事はこちら。