グレゴリ―・トレンチャー氏は、日本の企業に向けて気候変動に関する教育を行う環境ラーニング研究所(http://www.k-learning.jp)の創設者である。現在は、東京大学大学院博士後期課程で気候変動問題・持続可能性の危機に取り組む高等教育機関の可能性について研究している。将来の夢は、日本のアルゴアになり、もらった以上の恩を地球に返すことだ。
持続可能性の危機が学術界から予想外の画期的な反応を引き起こした。現在まで、高等教育機関は各自の領域内に限って持続可能性に注目する傾向があった。具体的には、持続可能性に関する教育や研究、グリーンなキャンパスやカーボン・ニュートラル・キャンパスの計画を通した取り組みが主流だった。
しかし、社会と学術界の境界線は消滅しつつある。世界中の多くの著名な大学はキャンパスの垣根を越えて、産業や政府や市民社会団体との野心的なパートナーシップを築こうとしている。こうした「共同的創造」という役割において、大学は社会を創造するために、社会と共に活動することによって持続可能な開発の実現を目指す。すなわち、大学は社会の多様な関係者たちと共同で活動し、特定の地域、街、あるいはコミュニティーの持続可能な変容を引き起こし、さらに促進することを目指す。
数多くの事例からいくつかを紹介してみよう。ストラスクライド大学はグラスゴー市と提携し、同地域を「10年以内にヨーロッパで最も持続可能性の高い街の1つ」にすることを目指している。さらに、スイス連邦工科大学の持続可能性に関するプログラムNovatlantisは公的機関や民間機関と協力して、バーゼル、チューリヒ、ジュネーブの各都市を持続可能性に関する革新的な実験都市として活用しようとしている。
一方、大西洋を越えた場所では、コーネル大学とオベリン大学が別々の野心的な提携活動に取り組んでいる。各大学は、かつて産業ブームに沸いた2つの街の低迷する経済を活性化し、他の場所でも適用できるようなグリーンで化石燃料に頼らない繁栄モデルに変容させようとしている。
研究機関として、大学は持続可能性に関して多少なりとも詳しいはずである。何と言っても、大学は1000年以上もの歴史を誇り、戦争や革命や、西洋社会の中核における劇的な過渡期を乗り越えてきたのだ。今日、大学は知識経済の中心に位置する高度に複雑で動的な研究機関として、その進化の頂点に立っている。この研究機関(今では国境を越えた活動を行い、科学、産業、政府、市民社会といった広大な領域と関連を持つ)から誕生する最先端の知識は、ゲータレードからグーグル、超伝導体から幹細胞研究まで、あらゆるものに生かされている。
こうした状況にもかかわらず、大学は大きな社会変革の促進にはあまり努めてこなかった。その代わりに、典型的には、世界の問題には超然とした態度を示し、過去の理想を維持することに身を捧げる、保守的で修道院のような組織であり続けた。コロンビア大学のマーク・テイラー氏が論じたように、今日の大学は時代遅れの「分業」モデルにいまだに固執している。そのモデルに従えば、相容れない別々の学問領域が世界の抱える問題への全体的な取り組みを抑制してしまう。学部間での競争が優先される結果、共同研究や学際的研究が犠牲となるのだ。
さらに、大学は時代や地域に関係なく普遍的真理を追究する組織として、場所を特定した問題解決や、地域コミュニティに関するの諸問題への具体的な解決法をさぐる研究に対して無関心であり続けた。
学術界による共同的創造を完全に新しいものと決めつけるのは、あまり正確ではない。何しろ、大学が現実の世界の問題に取り組み、「生きた実験室」として地域を活用するために外部のパートナーと手を組んだ歴史的な事例は、アメリカでランドグラント大学が創立された1862年にまでさかのぼることができる。より最近では、同様の共同的創造は大学と都市による取り組みに見ることができる。例えば、ペンシルバニア大学による取り組みは、近隣地域の荒廃や経済の衰退といった問題に対処している。しかし、過去の事例はいずれも、下記の表1に掲載されたような、都市の持続可能性の促進を目指す、部門を超えたパートナーシップに求められる野心や規模、目的を持つものはない。
大学がこうした持続可能性を促進するという前例のない役割を引き受ける場合、「起業家的大学」という主流モデルから逸脱する。起業家的大学では、社会への貢献という概念が技術移転や研究成果の商業化による経済への貢献と同義である。そのモデルから逸脱する一方で、大学はより壮大で非常に具体的な役割を取り入れる。すなわち、持続可能性の危機に対応し、環境的に持続可能でレジリエンスの強い街や都市への移行を促進するという役割である。
Novatlantisとスイス連邦工科大学(ETH)は、持続可能な都市への変容を促進する共同的創造のベテランだ。2000ワット社会という構想は、スイスが低炭素社会となるためにETHが1998年に描いた青写真である。この構想に導かれて、交通、建築、都市計画といった分野で、官民の間で数多くの提携が築かれた。
バーゼル・シュタット準州での最初の取り組みの後、Novatlantisがきっかけを作った脱炭素化への競争はジュネーブとチューリヒにも広がった。これらの3都市は現在、スイスの都市部が持続可能な変容を早急に遂げるために必要な様々な要素を示し、それを普及させようと競っている。
10年間の共同的創造がついに実を結びつつある。バーゼルは個人用の持続可能な交通分野で革新的な存在となった。2002年以来、実験的空間移動プロジェクトが自動車メーカーや交通機関、主要なステークホルダーを巻き込み、短期の解決法(天然ガス)、中期の解決法(バイオガス)、長期の解決法(液体水素燃料電池)の開発と実証を行っている。最近の成果としては、下記の写真のような水素駆動型の街路清掃車の試験利用がある。
持続可能な建設を促進するために、Novatlantisは大規模な都市開発プロジェクトを企画し監督している。そのようなプロジェクトは、ミネルギーの性能基準を統合し、2000ワット社会の基本原則を順守するために必要だ。やはりバーゼルの例だが、Gundeldinger Feld(グンデルディンガー・フェルト)という興味深いプロジェクトが最近完成した。このプロジェクトでは、元々産業用地だった場所がおしゃれな商業的文化地区に転換された。さらに鉄道貨物の置き場だったErlenmatt(エーレンマット)の再開発も進行中で、商業施設や住居用建築、ショッピング施設、レストラン、学校、公園などを含む多目的な地域への転換を目指している。
注目に値するもう1つの共同活動が、オハイオ州の小さな「さびついた街」、オベリンで展開されているオベリン・プロジェクトである。アメリカ北西部にはオベリンのように、かつての経済的繁栄を失った街があちこちに点在しており、地域的な重工業の衰退と共に、街は生き残るために必死だ。
こうした状況の中、オベリン大学とデヴィッド・オール氏(学術界での持続可能性運動の先人の1人)は、地方自治体や民間企業、投資家、地域市民との野心的なパートナーシップを先導し、「さび」や絶望感から、化石燃料に頼らない繁栄、レジリエンスや持続可能性といったモデルへの飛躍を目指している。
このプロジェクトは、オベリン市とオベリン大学をカーボン・ポジティブ(つまりカーボン・ニュートラルであるばかりか、排出する以上に炭素を吸収できる)にし、2050年までに資源を自給できるようにすることを目指す。同プロジェクトは気候変動とピークオイルという差し迫った二重の危機に対する「全領域的な持続可能性」の対応として構想された。具体的には、エネルギー効率を劇的に改善することで排出量を削減し、市内のエネルギー供給はすべて再生可能エネルギー(バイオガスと太陽エネルギー)に転換する。また、荒廃した街区を芸術や持続可能なビジネスのためのグリーンな建物がある地区に変える。さらに食料や木材の供給と炭素隔離のために、8093ヘクタールの森林農業地帯を作る。
地域消費とグリーン経済に弾みをつけることで回復力を増進し、持続可能な農業を促進して市内のレストランやホテルに食料を提供する。地域の学校や大学の教育提携を通じて、住民と学生は現実の世界における持続可能性の実験に参加する。そして最後に、全国的ネットワークを整えて、このような変容モデルを他の地域にも転用する。こうした状況を実現するために、当初の設計と建設にかかる経費は、1億4000万USドルと試算されており、第1段階だけで5500万USドルとされている。不況に置かれた、小さなさびついた街にとって、これは途方もない金額である。
それでもなお、事態は急速に展開している。このプロジェクトはクリントン財団による気候ポジティブ開発プログラムの16都市の1つに選ばれ、軍事や国家安全保障の専門家や、ニューアメリカ財団のようなシンクタンクの関心を集めている。
オベリン大学が2012年に力を入れている活動は、5ヘクタールの「Green Arts Block(グリーン芸術地区)」の建設である。この地区の特色は、講堂、劇場、学生向けの住居、ホテル、レストラン、ビジネス施設など、エネルギーと環境に配慮したデザインにおけるリーダーシップ(LEED)のプラチナ認証を取得した建築物だ。同プロジェクトのその他の計画や、繁栄し自給的でカーボン・ポジティブな街の実現という究極の目標を達成するまでには、脱中心構造的な方法によって長い年月、ひょっとしたら数十年もかかるかもしれない。
現代という慢性的疾患は「邪悪」であり、持続可能性の話題でよく使われる言葉を借りて言うなら「始末に負えない」。エネルギー、交通、農業、経済といった 私たちのシステムすべてが持続不可能である理由は、社会や経済、技術、政治、文化といった私たちを取り巻く複雑で多様な領域に原因がある。こうした領域で パートナーシップを築くにあたり、大学が持続可能性の問題に取り組む際には、問題の背景にあるこのような多様な要素や原因に同時に取り組む必要があり、必要な組織、知識、資源の全てを1つの包括的な骨組みに動員することだと大学は気づき始めている。持続可能性のための共同的創造が持つ真の重要性は、まさにそこにあるのだ。
だからこそ、持続可能性への転換を目指す、革新をバネにした部門横断的なパートナーシップが、国際連合大学(UNU)における学際的研究のテーマと関連が非常に強いのだ。その一例が高等研究所の持続可能な都市の未来プログラムだ。学術機関、地方政府や中央政府、そして国際組織との双方向のネットワークを持つUNUは、世界や地域レベルでの対話と、持続可能性に関する創造的で新しいアイデアの基盤として役立つことを目指し、特に開発途上諸国における能力開発活動に貢献している。
しかし、より多くの大学や教員を都市の持続可能性への転換に関する提携活動に参加させようとするなら、幾つかの障壁を克服する必要がある。例えば、資金調達の難しさ、教員の時間的な制約、多数の提携先やステークホルダーを含むネットワーク内でのコミュニケーションの問題、さらに学術界の内部から生じる組織的抵抗などだ。現実には、ほとんどの大学は、都市の持続可能性を押し進めるための、専門領域の内外との共同活動や、場所を特定した行動研究を促進する本当のインセンティブをまだ提供できていない。
しかし、Novatlantisの2000ワット社会構想やオベリン・プロジェクトが築いた提携関係は、こうした課題が克服できないわけではないことを実証している。都市の持続可能な変容を目指す大学主導型の共同活動は他にも多数ある。そして世界中で同時に展開中であり、それらの活動が完了するまでに長い年月がかかる。つまり、持続可能性のための共同的創造における大学の役割は、まだ始まったばかりと考えられる。
また、新たな開発とは、すでに完了した過去の成功例があったとしても非常に少数であり、私たちが学べる事例が少ないということを意味する。本稿で紹介した野心的な共同活動の今後の進展はぜひ注目していきたいが、それらの活動が最終目標を本当に達成できるかどうかは現時点では不明である。
とはいえ、私たちの予測は希望にあふれている。つまり、共同的創造における大学の役割は進化し続け、世界中で都市が持続可能性への転換を図る重要な鍵になると予測しているのだ。
翻訳:髙﨑文子
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