西欧と南半球の成長軌道の違い

2014年10月15日 ウラジミール・ポポフ 国連経済社会局

現代の経済成長は西欧で始まったが、その理由はさまざまな資本主義制度(農奴制の廃止、自由都市、大学)が効率的だったからではない。貯蓄と投資を生んだのは、富と所得の再配分(イギリスにおける囲い込み)だったのであり、そのおかげで生産性の向上が加速された。西欧が生産性の向上を加速できたのは、競争や起業家精神、あるいは技術革新の発想が豊かだったからではない。

そうではなく、何よりも、資本労働比率の増加を可能にした所得格差の拡大が豊かな貯蓄と投資につながったこと、そして新しい製品や技術のアイデアを強固にしたことだ。別の言い方をするなら、西欧が豊かになったのは、その独創性や起業家精神によるのではなく、それまでは最も貧しい人々に社会的保障を与えていた農民共同体を容赦なく解体したためである。

西欧のたどったルートを模倣した一部の開発途上諸国(例えばラテンアメリカやロシア)では、経済成長は16世紀から加速したが、西欧で加速したほどの勢いではなかったため、まだ後れをとっていた。その他の開発途上諸国(東アジア、南アジア、中東、北アフリカ)では、経済成長は20世紀中盤まで本格的にはスタートしなかった。しかし実際に成長し始めると、先行の第1グループに急速に追いつき、西欧との隔たりを埋め続けていった(表1)。この違いはなぜ生じたのだろうか?

表1:国民1人あたりのGDPでの購買力平価

注:ULレベルの%は1990年ゲアリー・ケイミス国際ドル換算 出典:マディソン(2010年)、Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2008 AD(1~2008年の世界人口、GDP、国民1人あたりのGDPに関する統計)

注:ULレベルの%は1990年ゲアリー・ケイミス国際ドル換算
出典: マディソン (2010年)、Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2008 AD(1~2008年の世界人口、GDP、国民1人あたりのGDPに関する統計)

 

第2グループ(東アジア、南アジア、中東、北アフリカ)は、植民地主義による影響が少なく、独自の伝統的共同体(集産主義)の制度を保持することができたため、所得と富の格差が広がらなかった。このことが経済成長の出発点を20世紀中盤まで遅らせたのだが、同時に、小さな格差と強い社会制度を存続させることができた。こうした状況は将来の経済成長にとって有利な開始条件だ。

表2:マルサス期から抜け出す3つの流れ

popov figure 2

 

このような開発途上諸国の2グループは所得格差や国家機関の能力という点で非常に異なることが、客観的指標による評価で証明されている。例えば殺人率(暴力を占有的に取り締まる国家への侵害)や影の経済だ。非西欧諸国が開発を追い上げる2つの軌跡をより深く考察するために、私は中国とロシアの制度および経済の開発を、長期的に(社会主義の時代とそれ以前)、また短期的に(市場改革以降)、詳細にわたって検討する。

成長のパターン:中国とロシア

1949年の中国の解放は、1917年のロシア革命に似ている。両国とも共産主義が権力を掌握したばかりではなく、それまで西欧化によって損なわれていた伝統的な集産主義的制度が再び確立され、強化されたからだ。しかしロシアでは、1917年から1991年まで続いた共産主義政権は、少なくとも17世紀から続いていた西欧的制度の導入プロセスを中断しただけだった。一方、中国は、1949年の解放を機に、第一次および第二次アヘン戦争終了後に一時的に(また部分的に)中断されていた長期的な制度的軌道に回帰した。

別の言い方をするならば、ロシアは1917年以前にすでに西欧化しており、革命によって導入された集産主義的制度は、それまでの長期的な制度的開発にほとんど適合しなくなっていた。一方、中国は、失敗に終わった西欧化の試み(1840年代~1949年)を捨て去り、集産主義的制度(アジア的な価値観)に回帰した。一過性の出来事で、ロシアの傾向から逸脱していたのは、中国の主流開発への回帰と長期的傾向の復興だった。したがって、中国の1979年以降の経済自由化は(所得格差の拡大や、犯罪および殺人率の増加を伴うものではあったにせよ)、制度崩壊にはつながらなかった。

両国において、社会主義が集産主義的制度の復興に貢献し、所得格差の縮小と国家の制度的能力の向上につながった。しかし、30年間の社会主義時代の後に中国で修復され得たものは、70年におよぶ社会主義と60年におよぶ中央計画経済(1929年以降)を経たにもかかわらずロシアでは修復され得なかった。ロシアにおける300年の西欧化の遺産は、1990年代に市場改革が実施された途端に反動となった。70年間の社会主義時代が終わると、汚職、犯罪、影の経済と同様に、格差が大きく広がったのだ。

結論

中国とロシアの中央集権下での経済動向(中国1949~1979年、ロシア1917年、1929~1991年)を比較するにせよ、あるいは中国の市場改革(1979年)およびロシアの市場改革(1989年)以降の最近の経済動向を比較するにせよ、さまざまな制度開発の軌道が決定的要因になる。だからといって、こうした軌道がすべての経済的結果を完全に決定づけるというわけではない。その他の要因、例えば政策の良しあしも、確実に役割を果たす。しかし、よく言われるように、政府の政策ほど内因的なものはない。つまり、悪い制度の下で良い政策を実施することは容易ではない。

翻訳:髙﨑文子

Creative Commons License
西欧と南半球の成長軌道の違い by ウラジミール・ポポフ is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivatives 4.0 International License.

著者

ウラジミール・ポポフ

国連経済社会局

ウラジミール・ポポフ氏は国連経済社会局の顧問であり、モスクワのニュー・エコノミック・スクールの名誉教授である。著書に『Mixed Fortunes: An Economic History of China, Russia, and the West(複合的な幸運:中国、ロシア、西欧の経済史)』(オックスフォード大学出版局、2014年)がある。彼は1996~1998年、国連大学世界開発経済研究所の上級リサーチフェローであり、2000~2010年には同研究所の理事会委員を務めた。