求む:北米の都市に歩行者天国を

そこでは若者たちが集い、恋人たちがたたずみ、子供たちが戯れる。女性たちは新しい服を見せびらかし(そして通りすがりの人々を秘かに称賛し)、男性たちは通りすがりの人々を称賛し(そして新しい服を秘かに見せびらかす)。誰もがコミュニティーの一員であることを感じている。都市の公共空間がその魅力を最大限に発揮している場所だ。

北アメリカには歩行者天国がほとんど皆無であることに私は困惑している。楽しいブラブラ歩きや買い物やのんびりと時間を過ごすために作られた自動車の通行を禁止した公共空間は、ヨーロッパの都市の中心地では信号やマクドナルドと同じくらいよく見かけるものなのに、なぜ北アメリカにはほとんど存在しないのだろうか。

私は北アメリカではほんの数例しか歩行者天国を見たことがない。例えばボストンのダウンタウンの数ブロック、モントリオールのプランス・アルチュール通り、サンタモニカのサードストリート・プロムナード、そしてボルダー、イサカ、アイオワシティ、シャーロッツビル、バーモント州バーリントンといった大学都市のダウンタウンにある通りの狭い範囲だ。(ウィキペディアにはもう少し多くの例がリストアップされているが、例えばミネアポリスのニコレット・モールのように、リストに挙がった例の多くは厳密には自動車通行禁止地区ではない)

外国の状況はどうだろうか。ドイツ、イタリア、オランダ、北欧諸国、そしてますます多くの南アメリカの大都市のうち、大部分とは言わないまでも、多くの都市の中心には活気あふれる歩行者天国が存在する。そこでは若者たちが集い、恋人たちがたたずみ、子供たちが戯れる。女性たちは新しい服を見せびらかし(通りすがりの人々を秘かに称賛し)、男性たちは通りすがりの人々を称賛し(新しい服を秘かに見せびらかす)。そして誰もがコミュニティーの一員であることを感じている。都市の公共空間がその魅力を最大限に発揮している場所だ。

北アメリカで広く行われた街の活性化を目指す試みとして、60年代や70年代にダウンタウンに作られたトランジット・モール(歩行者と公共交通機関のみが通行できる商業空間)があるが、その多くは失敗に終わった。うまくいかなかった原因は、その試みのほとんどが、郊外のランドスケープに急増していたショッピングモールの競争力に押されて活気を失ったダウンタウンのショッピング街を何とか救おうとする窮余の策だったからだ。

トランジット・モールの急速な盛衰に関するもうひとつの要因は、そこが実際には歩行者専用ではなかったという点だ。大型バスが騒音とともに通りを行き来していたため、豊かなストリートライフを育む、自動車から解放された快適な雰囲気を壊してしまったのだ。

ところがうれしいことに、本物のヨーロッパ風の歩行者天国を、私は思いがけない場所で発見した。その場所とは、石油産業を主要経済とする不規則に広がる都市、アルバータ州カルガリーだ。ガラス張りの高層ビルや交通量の多い5車線の道路に囲まれたダウンタウンの中心で、スティーブン・アベニューの真ん中をブラブラと歩くことができる。歩道にはカフェやしゃれた店が並んでおり、遊び心にあふれた芸術作品や人で賑わう公共スペースがあり、自動車やトラックに妨げられることはない。あまりにもすばらしい場所で、現実とは思えなかった。

スティーブン・アベニューはある事実を証明してくれた。自動車を追い出せば、歩行者がやって来るという事実だ。

そしてやはり、現実ではなかった。夜10時過ぎまで明るい6月の青い空の下、私は夕暮れの散歩をしにスティーブン・アベニューに戻った。すると車が狭い車線を走っていたのだ。シンデレラの馬車がカボチャに戻ってしまうように、6時になると歩行者天国は幹線道路に変身してしまうのだ。しかもそれは無意味なことだ。なぜなら6時といえば、ちょうど自動車やトラックの交通量が減り始める時間帯だからだ。

差し迫った必要もないのに、なぜ快適な歩行者のオアシスを自動車に譲ってしまうのだろうか。私に思いつく唯一の理由は、道路にまつわる原則だ。つまり北アメリカでは、道路に与えられた正当な役割とは車を走らせることであるため、たとえ日中は買い物客や正午に昼食を求めて集まる人々のために数ブロックを歩行者専用にしたとしても、夕方以降はトヨタ車やリンカーン車を再び迎え入れなければならないのだ。地元のデザイナーによると、以前は24時間、歩行者専用だったのだが、寒さの厳しい長い冬の間は利用者が減るため、夕方以降の車両通行を認めたのだという。

とはいえ、スティーブン・アベニューはある事実を証明してくれた。自動車を追い出せば、歩行者がやって来るという事実だ。

自動車は道路の王様だという考え方は比較的最近の発想だ。人類の歴史上ほとんどの時期を通して、街の道路はすべてを迎え入れる活気に満ちた共有地として機能してきた。道路は馬車や路面電車が行き交う場所だっただけでなく、子供たちが遊び、ティーンエージャーがデートをし、犬が居眠りをし、人々が友人とおしゃべりをする場所だった。その光景がすっかり変わってしまったのは、地域によって異なるが1920年代から1970年代の間に、自動車がこの共有地を独占的に利用し始めてからだ。この変化によって、今日の私たちは以前よりも豊かではなくなったし、場合によっては経済的にも貧しくなった。なぜなら街をぶらつくという本能的な楽しみを味わうために、どこか遠くの場所まで行かなくてはならないからだ。

しかし私は、こうした自動車優先主義が北アメリカでさえ衰退しつつある兆候に気づいている。交通量の増加は落ち着いており、自転車専用車線の登場によって自動車の運転者は道路を共有する術を学びつつある。

そして私たちの多くは、小規模の歩行者向けプロジェクトのおかげで再び街に足を踏み入れるようになった。例えばミネソタ州ロチェスター、テネシー州ノックスビル、そしてカナダのシャーロットタウンやプリンスエドワード島などで、1ブロックや半ブロック程度の歩行者専用地区が生まれている。

たとえ狭い範囲であっても道路を自動車通行禁止にすれば、歩行者は道路が自分たちの物でもあることに気づく。

こうした小さな試みから生まれる変化を過小評価してはいけない。たとえ狭い範囲であっても道路を自動車通行禁止にすれば、歩行者は道路が自分たちの物でもあることに気づく。影響力を持つデンマークの都市デザイナー、ヤン・ゲール氏は、コペンハーゲンの有名な歩行者専用区域を作った際に学んだ教訓を世界中の都市に応用し、まずは小規模から始めて、年月をかけて少しずつ規模を広げていくことを人々に助言している。

もうひとつの希望が持てる傾向として、シクロヴィアの誕生がある。シクロヴィアとは、人々が道路で楽しく過ごせるように、自動車の通行を数時間止める規制のことだ。この秀逸なアイデアはコロンビアで始まった。同地では、ほとんどの日曜日の午前中、街の道路網は車両進入禁止となり、天気のよい日には100万人もの人々がボゴタの道路にあふれかえる。この習慣は今、北米にも波及しつつあり、テキサス州エルパソ、ニューメキシコ州ラス・クルーセス、マサチューセッツ州ケンブリッジ、オンタリオ州オタワなどで定期的にイベントが開かれている。ミネアポリスでは今年6月、初めてシクロヴィアが開催された。私は、いつもなら渋滞している道路の真ん中を歩いたり自転車に乗ったりして、言葉にできないほど楽しい時間を過ごした。

この記事はOn the Commonsに掲載されたものです。

翻訳:髙﨑文子

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著者

ジェイ・ウォールジャスパー氏は人気のある講演家、経験豊かなコミュニケーション戦略専門家、受賞歴を持つ作家であり、より快適で楽しい未来への指針となる世界中の出来事を記事にしている。OnTheCommons.orgの共同編集者で、非営利団体のプロジェクト・フォー・パブリック・スペースの上級研究員であり、『ナショナル ジオグラフィック トラベラー』誌の寄稿編集者でもある。