ニーナ・シュワルベ
国連大学ニーナ・シュワルベは、国連大学グローバルヘルス研究所(UNU-IIGH)の主席客員フェロー。
公衆衛生疫学は、疾病予防と健康増進を目的とする統計科学である。私たちは、特定の病気の新規症例数を集計したものを発生率(罹患率)という。その上で、病気が母集団(統計調査の対象となる集団)の中でどれだけ蔓延しているかを集計したものを有病率という。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の場合、統計には様々な問題がある。報道記事でどれだけ取り上げられていても、この新しい病気の発生率と有病率についてはほとんど分かっていない。いつものことだが、情報不足は不安を煽る。私が暮らすニューヨーク市でも、その他の場所でも、ほとんどの人が不安に思っていることが一つある。それは、ニューヨークでの死亡率が、他の地域と比べると大幅に高く見えることである。
しかし、本当に高いのだろうか?中国の患者データを基に、公衆衛生当局は当初、COVID-19感染者の80%は無症状か軽症だと推定していた。病床数や医療従事者、検査キットがいずれも不足しているため、重症者だけが病院に行くよう指示されている。米国をはじめ、多くの国では、検査を十分に実施できないため、入院患者だけが感染者としてカウントされている。重症者以外は自宅療養し、ひそかに回復するため、症例に含まれることがない。こうした人々が正式な統計に含まれていないという点は重要だ。
例えば、ニューヨークで暮らす高齢の女性に軽い症状が出た場合はどうなるだろうか。かかりつけ医に電話をかけると、医師は検査をすることなく、その症状だけでCOVID-19の疑いがあると診断するが、軽症であるため、自宅療養を指示する。この医師が診断の内容を当局に報告する仕組みはないため、回復しても症例数にはカウントされない。COVID-19感染者としてカウントされるのは、重症になって入院した時だけだ。そして、彼女が死亡すれば、死因はCOVID-19とされる。
自宅学習を経験している人も多い中、ここで数学の授業をおさらいしてみるのもいいかもしれない。感染者数が判明すれば、その数字は公衆衛生上の計算で分母となる。そして分子となるのは死亡者の数である。
分子(死亡者数)/分母(感染者数)×100=感染による死亡率
このウイルスが母集団に侵入すると、急激に蔓延することは分かっている。つまり、私たち一般市民の多くは、症状があるかないかに関係なく、現時点で、または過去にこのウイルスに感染しているということになる。
しかし、米国を含む多くの国では、無症状の人を含めた全員を分母とするのではなく、入院した重症患者のみを分母として数えている。入院するほど重症化した患者は、救命救急治療を必要とする可能性が高く、危篤状態に陥った患者は軽症の患者よりも死亡する可能性が高い。つまり、死亡率は実際よりも高く見積もられているということである。
さらに、検査を行っている場合でも、検査の種類によっては現在感染している人だけが集計され、これまでに感染して免疫を持っている人は含まれていない可能性もある。これも分母の過小評価につながる。
つまり、分母(感染者数)が本来よりも小さいため、分子(死亡者数)の割合が大きくなり、死亡率(分子を分母で割った数)が本来の数値よりも高くなってしまう。言い換えれば、病院での治療を必要としない人を集計しないことにより、私たちはCOVID-19で死亡する感染者の割合を大幅に高く見積もっている。分母を間違えることにより、不安を掻き立てる危険なメッセージが生まれている。
今後は、病院がますます混雑し、十分な治療も行えなくなるにつれ、死亡率はさらに高く見えるようになる。実際よりも高い割合で、COVID-19感染者が死亡しているように感じるだろう。他の病気と異なり、十分かつ適切な検査が存在しないことから、どれだけの人がすでに感染し、免疫を持っているのかを判断することは不可能だ。大多数の人が感染し、回復し、そしてウィルスを運んでいたかどうかや感染力を持っていたかどうかにも気づかないため、知らず知らずに友人や家族にうつしてしまうこともあるだろう。
全米および各国から、死亡者の年齢や基礎疾患の有無、死亡時の投薬状況、その他の要因別にデータを得られれば、COVID-19の感染力を母集団レベルと個人レベルで理解するための参考になるかもしれない。それまでは、正式な母集団レベルの推計症例数を調整するか、少なくともデータの共有・報告システムを改善する必要がある。
いずれ私たちは今までの日常生活に戻り、生活を立て直すことになるが、何週間にもわたる恐怖や孤立、不安によって生じた精神面の健康問題への対応も加わるだろう。しかし分母を正確かつ明確に定義することで、このような事態の多くは避けられるかもしれない。
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本文の内容は著者の個人的な見解であり、必ずしも国連大学の見解を代表するものではありません。
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