ヴラディミール・スマッティンは、国連大学水・環境・保健研究所(UNU-INWEH)所長。世界的・地域的な水不足と食料安全保障を中心に、幅広い水資源問題の研究者、管理者として30年の経験を有する。
水を中心とした研究、政策、開発組織やネットワークが、「水の安全な世界」という長期的ビジョンを宣言することは珍しいことではない。心地よく聞こえ、素晴らしいと思う。
そして、水の安全とは、すべての国で「水の安全保障」が確保される世界であることを直感的及び論理的に認識することである。
「水の安全保障」という概念は、主にこの20年間で、世界舞台に浮上してきた。その最も簡潔で的確な定義によれば、水の安全保障とは「社会の水に関する許容水準」である。
より包括的な定義に基づく水の安全保障の概念的枠組みは、飲料水、経済活動、生態系、危機からの回復力、ガバナンス、国境を越えた協力、資金調達、政治的安定などを網羅した様々な必要性と状況を考慮すべきである。
したがって、水の安全保障とは、その国の水資源量だけではなく、資源がいかに効率的に管理されているかも重要だ。
水の安全保障は、共通目標に向けた努力の統合を促進する統一概念と考えられている。しかし、この共通目標は未だ明確ではない。絶対的な水の安全保障は、どこにも存在しないし、今後も存在しないだろう。
答えは細部に隠れている。水の安全保障対策に関して通常伴う不確実性を反映した「許容範囲の」、「潤沢な 」、「容認できる」などの形容詞や変数をどのように定義するのか?
おそらく水の安全保障を判断する最も先進的な取り組みは、約10年前に始まり定期的に更新されている「アジア水開発展望」であろう。これは、前述した水の安全保障の概念的枠組みの原則に概ね準じており、様々な側面を評価するための50以上の指標を採用している。
最新の2020年版では、アジア太平洋地域で最も水の安全が確保されているのはニュージーランド、日本、オーストラリアであり、最も水の安全が確保されていないのはアフガニスタンである。
先進国であるほど、たとえ水資源が限られていても、水資源管理が効率的であり、水の安全保障の順位が高くなることは驚くにはあたらない。
また、このように地域を絞った評価は、 限られた国々を比較するものであり、国々のクローバル・スタンダードやマイルスストーンを達成度合いよりも、基本的には相対的地位を反映しているに過ぎない。
そのため、水の安全保障戦略をめぐる不確実性は高い。これら全ては、開発に密接に関わってくる。
明らかなことは、私たちが思い描く水の安全な世界は、幻想か「涅槃の概念」のどちらかであるということだ。前者は当てにならず、後者は達成不可能である。いずれにせよ、不正確さによって創造された焦点は、結果ではなくムーブメントであり、どこに向かって進んでいるのかわからないことを都合よく言い訳していたのだ。
例えば、水の安全保障は、持続可能な開発目標(SDG)6(完全に水に特化)やSDG連続体にも取り入れられている他の水関連目標を含む、持続可能な開発のためのグローバルな2030アジェンダの下支えを暗示していると主張できるだろう。
しかし、水の安全保障と同様に、SDGsのターゲットも「戦略的に曖昧」か、単に未定義。SDGsのターゲット6.1:普遍的な(例えば、すべての人々に)水の供給、6.2:普遍的な(例えば、すべての人々に)衛生、および6.3:未処理廃水の割合を世界的に半減(すなわち50%、国の特定なし)だけが明白に定量化されている。
しかし、2030年までの達成は、政治的な動機によるものか、科学的な動機によるものかは不明である。(世界水開発における科学の役割、あるいはその欠如については、また別の議論となる)。
このような観点から、2015年に設定された水に関するSDGsが、明らかに野心的な目標であることが判明したことは驚くべきことではない。実際、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的流行)が発生する以前でさえ、その軌道を外れていることが認識されていた。
今後は、世界的に受け入れられる水の安全保障の基準(例えば、発展的、機能的、最適、または同様のカテゴリー)を定義し、定量化することがより実用的となるかもしれない。
そうすれば、ある国の水の状態をそうした基準に照らして見ることができ、目に見える目標を持った行動計画を定義するのに役立つであろう。
さらに、専門家、政策決定者、政治家の後継世代に説明責任が及ばないように、可視化される期間は5年以内という短期であるべきだ。
水の安全保障の基準は、問題の数、種類、規模に直接関係するものでなければならない。ある基準から別の基準へ移行するためには、問題を単に軽減するだけでなく、根絶する必要がある。
それにより、水の安全保障の涅槃へと向かう「ムーブメント」は少なくともしっかり組織化されたものになるかもしれない。達成したことと残されたギャップが見えやすくなり、明確に示せるようになるはずだ。そして、その過程では、最終的に水の科学が中心的かつ実用的な役割を果たす可能性が高い。
さらに踏み込むと、よく知られた水問題の解決(すなわち根絶)に焦点を当て、短いステップと明確に測定可能な結果で設計されたプロセスで、あらゆる世代で実現されるべきであれば、水の安全保障の理念は全く必要ないかもしれない。
悲しいことに、過去の50年間を振り返ると、世界や地域の水問題で、実際に根絶されたものはひとつもない。それゆえ、現在、水の安全性を誇れる国は一つもない。
「水の安全が保障される世界」の実態とはこんなものだ。
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この記事は、最初に Inter Press Service News に掲載されました。元の記事はこちらからご覧ください