討論会2.0:気候変動は恐ろしい?

昨今、気候変動に関する議論には不安をあおる要素が蔓延しているようである。その理由に、実際に地球温暖化は恐ろしいからだと言う人もいるだろう。また、子供たちを引き合いに出す点を指して、環境活動の過激派がずる賢くあみ出した汚い戦術だと非難する人もいる。

おそらくこの流れは、アル・ゴアの映画「不都合な真実」から始まった。学校で教えるべきか否かという議論をアメリカで引き起こしたのだ。また、先月イギリスのエネルギー・気候変動省は、Act on CO2キャンペーンのテレビコマーシャルを開始した。これは、父親が目を丸くする娘に寝物語として気候変動の話を読んで聞かせているというものである。

この60秒コマーシャルはすぐに物議をかもし、イギリスの広告基準協議会(Advertising Standards Authority)は、このCMが”人を不安に陥れ、世間を誤った方向へ導くデマ”だとする非難の妥当性を調査中だ。

気候変動に取り組む上で、人々の行動の変化は重要な役割を担っており、恐怖が行動変化の強いモチベーションになる得ることを心理学者たちはわかっているのだ。

しかし、心理学研究によれば、漠然とし抽象的で視覚化が困難な気候変動に対し、個人的な恐怖心を抱く人は少ないと言う。自分が生きている間は大丈夫と考える傾向が、世界中に蔓延しているのかもしれない。

この広告は、子供の姿を通して人々に弱者の念を抱かせるため、視聴者の神経に障ったのかもしれない。未来の気候の窮状は、タイムカプセルに入ったママとパパからのサプライズ・プレゼントで、大人たちの怠慢により子供たちが将来生存できなくなるかもしれないという考えは、どうやらとても不快なようだ。

このような広告手法は合法なのだろうか?そして、誠実と言えるのだろうか?たくさんの夢や希望や架空の選択肢(この車かあの車か、どちらのホリデーがいいのか、この家がいいのか、あの家なのかなど)を提供する他の広告より悪質とは言えないだろうか?

広告とは本質的に、個人をさまざまな問題から逃避させ、現状維持の自動操縦を続けさせる断絶ツールなのだという人もいるだろう。(キース・ファーニッシュ著「A Matter of Scale」の第13章をご覧いただきたい) そして、「それの何が悪いのか?」と言う人もまたいるだろう。

さて、あなたの考えはどうだろう?気候変動を語る際、“恐怖心”は必要かつ効果的だと思うだろうか?それとも、行き過ぎで逆効果を招いていると思うだろうか?

翻訳:上杉 牧

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著者

キャロル・スミスは環境保護に強い関心を寄せるジャーナリスト。グローバル規模の問題に公平かつ持続可能なソリューションを探るうえでより多くの人たちに参加してもらうには、入手しやすい方法で前向きに情報を示すことがカギになると考えている。カナダ、モントリオール出身のキャロルは東京在住中の2008年に国連大学メディアセンターの一員となり、現在はカナダのバンクーバーから引き続き同センターの業務に協力している。