健康は身体だけでは語れない

テッド・シェトラー博士と話をすると、普通の医師との会話ではまずありえない話題が飛び出してくる。ためしに乳がんや糖尿病、認知症などのトピックを持ち出してみるといい。シェトラー博士は所得格差や産業型農業、選挙資金法改正について話し始めるだろう。

シェトラー博士はハーバード大学で学んだ医師で、病気との闘いにおける科学の限界にフラストレーションを覚えている。彼は、この時代の医学の根源的な課題(今の医療システムを崩壊の危機に向かわせている状況)に答えを出すためには、人間の身体をシステムとして捉えることが必要だと考えている。そして、その身体というシステムは、より大きな一連のシステム、すなわち、家族、コミュニティ、環境、文化、社会経済階級などに取り込まれていて、互いに影響を及ぼしている。

これは複雑で、気が遠くなるような考え方だ。それにしたがって問題を解決するには、一体どこから手をつければいいのだろうか?

シェトラー博士はきわだって論理的な思考の持ち主で、より進化した医療に向けた彼のビジョンは、1980年代にメイン州のセントジョージ川で、貝類が生息する平瀬の清掃を手伝った自らの体験が原点になっている。

「私は海岸沿いに住んで、診療所を開きながら、地域の団体と一緒に川の清掃を行っていました。平瀬には貝がたくさん生息していたのですが、時折、大腸菌が急増するため、何年もの間、封鎖されていました。貝を食べると、ひどい症状を引き起こしていたはずです」

一方、製紙工場は近隣の他の川に廃棄物を投棄して、ダイオキシンを発生させていた。シェトラー博士は、これらの川の魚が都市部の湾の魚よりも多くの化学物質を含んでいることを知る。しかし工場の経営陣は、廃棄物に規制をかけるとコミュニティの雇用に関わり、そうなると工場で働いている若者の多くが抵抗するだろうと主張した。

シェトラー博士は、自然環境の悪化、不安定な地元経済、常に病気を抱えている人々の相互関係を無視できなかった。

シェトラー博士は、専ら従来型の医学に沿って診療を行いながらも、自然環境の悪化、不安定な地元経済、常に病気を抱えている人々の相互関係を無視できなかった。シェトラー博士は次のように語った。「環境が人々の健康に及ぼす影響といった問題が、医学会議で話し合われることは一切ありませんでした。そこで私は根本的な見直しが必要だと思うようになったのです」

シェトラー博士は再び学校に戻り、公衆衛生を学んで修士号を取得、科学者としての厳格な視点を興味のある対象に幅広く適用して考えるようになった。それ以来、彼は貧困と鉄分不足と鉛中毒、殺虫剤の使用とパーキンソン病とアルツハイマー病、所得格差とぜんそくの関係について研究を行ってきた。

彼はこの新しい医学のアプローチを「健康の生態学的パラダイム」と称している。

シェトラー博士はあるインタビューで次のように語っている。「急進的な環境保護論者めいた響きがあるかもしれませんが、『生態学的』という言葉は、これらの複数のシステムが入れ子構造で存在するという意味で使っています。たとえば、家族はコミュニティの中、社会の中、そして文化の中に存在します。生態学者が生態系についてよく語るのと同じです。この考え方は、人間が環境から切り離されて存在しているのではないことを率直に受け入れるものです。私たちは蚊や魚、木、バクテリアと並ぶ主たる種なのです。そしてこれらの間には、驚くべき相互関係が成り立っているのです」

私たちの健康と生態系の健全性

ライム病を克服しようとしている現在の状況について、シェトラー博士は、この問題は30年前にはまったく注目されていなかったと言う。西ナイル熱も同様だ。そしてデング熱については、最初に発見されたのは18世紀の後半だが、1960年代から急増し、今では世界で年間1億人が感染している。

シェトラー博士は次のように語った。「私たちは生態系に多大な影響を及ぼしています。それなら、その生態系から人間の健康が多大な影響を受けていることに、疑いの余地があるでしょうか。結局は1つの世界なのです。私たちは人間を含めずに自然界を思い描く傾向がありますが、それもまた問題です」

このように人間の健康を総合的にとらえるアプローチは、従来の医学においてはしばしば異端と見なされるが、シェトラー博士は決して独り相撲をとっているわけではない。彼は米国上院議会でパーキンソン病と殺虫剤の使用の関係について証言したことがある。公共のラジオ放送のインタビューにも登場しているし、頻繁に引用されている共著書も2冊ある(「胎児の危機——化学物質汚染から救うために」および「In Harm’s Way: Toxic Threats to Child Development(危険な道——子どもの成長に及ぶ有害物質の脅威)」)。いずれも、学習障害からがんまで、一連の病気の根源には環境が関わっているというシェトラー博士の見解を掘り下げるものである。また、これらの本では、明快な原因を突き止め、効果的な治療法を発見するのに、欧米の医学では限界があることも述べられている。

乳がんは最も重要な例である。原因解明の研究に不満を感じたシェトラー博士は、胸部のがん組織にある化学物質が、実際にはがんの進行を早めているのではないかという疑問を抱き始めた。そして、14歳になるまでのDDT(有機塩素殺虫剤)曝露と後年の乳がんの発症に相関性があることを明らかにした。シェトラー博士は次のように語った。「成人ばかりに注目していると、重要な手がかりを見落としてしまいます。しかし、医学ではそこには目を向けません。病気に対処するだけです。私が関心を持っているのは、その根源です」

食品もまた、対立を浮き彫りにするお決まりの問題で、糖尿病などの病気を農業政策に絡めて追求する時によく引き合いに出される。シェトラー博士は、現代の米国で子どもの肥満や糖尿病が蔓延していることに気づき、子どもだけの血糖値だけではなく、子どもたちが暮らしている近所の状況も調べ始めた。その結果わかったのは、多くの場合、野菜や果物を売っている食料品店が一軒もないことだった。

そこで、シェトラー博士はさらに考えを深めて、食品が店頭に並ぶまでの農業政策について調べることにした。そこで、おのずと農業従事者の健康状態を調査することになり、その結果、がんの罹患率が非常に高いことがわかったのだ。

シェトラー博士の分析によると、これらの各要因、すなわち、加工食品の大量生産、野菜や果物の入手が困難であること、そして農業従事者の健康状態は互いに結びついている。「食事上のアドバイスをして、もっと運動をするように言うのはいいことです。この国では、ずいぶん長い間、どのように自分自身の生活を変えるかを説いてきました。しかし、個人の選択が間違っているというだけではないのです。問題は、私たちのシステムが個人に与えているものにあり、だからこそシステムのレベルで変革を起こすことが必要なのです。糖尿病や肥満といった問題は連邦予算にとっても重大な意味を持っています」

そのように考えれば、化学物質を使って生産される食品に連邦政府が農業補助金を出していることについて、シェトラー博士が議論を始めるのは、ごく自然な流れである。あるいは、さらに個人的なレベルで、学校で提供される食べ物の見直しを提案しない同僚の医療従事者に疑問を投げかけるのも無理はない。

食品もまた、対立を浮き彫りにするお決まりの問題で、糖尿病などの病気を農業政策に絡めて追求する時によく引き合いに出される。

シェトラー博士のアプローチはすべての人に関係する。予算が厳しくなった途端、体育の授業を減らした地域に彼は疑問を投げかける、「私たちは子どもたちに何を言っていることになるのでしょうか?これは大問題です。私たちは肥満と糖尿病の蔓延という問題に直面していて、その問題は私たちの医療システムに重い負担となってのしかかっています。私たちがやらなければならないことが1つあるとすれば、それは若い人たちに対して、食事と運動の重要性を強調することです」

シェトラー博士のように聖域に斬り込むのを恐れない医師は、批判の的になるのではないかと思うかもしれない。実際に1999年、米国保健科学協議会はシェトラー博士を激しく非難した。というのは、同協会がフタル酸エステル類について発表したレポート(元公衆衛生局長官C・エヴェレット・コープ博士との共著)に、彼が反論を唱えたからだ。

同協議会の声明文は次のようなものだった。「米国保健科学協議会は、国内外で高い名声を博している科学者および医療の専門家から成る委員会の信用を傷つけようと、アクティビストが常に試みることに驚きはしないものの、失望はしています。このたびも、健全な科学ではなく不確かな解釈に人々の関心を向けさせようとする動きがありました」

だが、シェトラー博士に公に批判が浴びせられたのは実質的にこの時だけだ。この騒ぎに際しても、シェトラー博士は毅然としていた。

彼は言う。「化学界の中には私を『環境フリーク』と呼ぶ人たちもいます。でも、それだけです。それよりも議論しなければならないのは、私たちの仕事は病気を診断して、治療するだけなのか、あるいは公共政策に提言を行うのも私たちの役割なのかということです」

明らかにシェトラー博士は決意を固めている。「まさに政治の泥臭いところまで入っていかなければなりません。ここですべての結果が出るのです」

不平等が病をもたらす

シェトラー博士が着目し、病気の根源まで突き止めようとすると、必ず社会問題に直面する。その中でも真っ先に挙げられるのは経済面の不平等だ。

鉛中毒を例に挙げよう。低所得家庭の子どもたちは、食事が良くないために鉄分不足になりやすい。食事で鉄分が不足すると、腸管に吸収される鉛の量が増え、さらにそれが脳に運ばれると神経症状を引き起こす。その状況にその子どもたちの家族は到底対処できない。

シェトラー博士は語る。「鉛だけに注目して、食事や社会環境に目を向けないでいると、たいしたことはできません。ですから、子どもたちが過剰な量の鉛や神経毒素に暴露されていないかを確かめることが重要です。この仕事は継続的に行う必要があります。また、住宅事情、所得格差、食料システム、エネルギー生産などにも留意しなければなりません。これらは、さらに広範な一連の条件や病気に、より大きな影響を及ぼすと思われます」

手短に言えば、貧困が曝露を増やし、それに、脆弱性が高まったこと(この場合は鉄分不足の食事)と対処能力がないことが拍車をかける。シェトラー博士はこれを「3大害悪」と呼ぶ。

経済格差がここまで広がると、人々の健康にも悪影響が及ぶのです。

社会経済的な状態と不健康の関係は広く認識されている。しかし、それほど明白にされていないのは、コミュニティ内の所得格差もまた悪影響を及ぼすらしいということだ。その結果として、同じ地域に住んでいながら、高所得の家庭では免れる病気でも、そうでない家庭では発症しやすいことがある。

その証拠として、シェトラー博士は、子どもたちのぜんそくに関する研究結果を挙げる。それによると、貧困層の子どもたちは、症状が出ていなくても、同じ地域に住む富裕な家庭の子どもたちより血中の炎症マーカーのレベルが高い。つまり、貧困層の子どもたちは少ない刺激でも発症する危険性が高いということだ。一度発症すると、富裕層の子どもたちより抵抗力が弱いため、迅速な回復は望めなくなる。その背景には、自宅で看護が十分にできないことや、医師の診察を受けられないことがある。

「同じコミュニティでも所得が高いと守られるのです。だからこそ、米国で今、このような所得格差があることが懸念されるのです。人々の健康に悪影響を及ぼすお膳立てをしているようなものです。これは階級戦争ではないでしょうか。そう言えるでしょう。経済格差がここまで広がると、人々の健康にも悪影響が及ぶのです。資料を見れば明らかです。それを口にすることを恥ずかしがっている場合ではありません」

目に見える進歩

30年間を救急医として過ごした後、シェトラー博士は現在、Science and Environmental Health Network(科学・環境健康ネットワーク)とCollaborative on Health and the Environment(健康と環境における協業)という2つの組織のサイエンスディレクターを務めている。後者は約4千人の開業医と科学者が参加するパートナーシップで、環境と学習障害、先天異常、不妊症、小児白血病、子宮内膜症、さまざまながんとの関係について、議論を深めることに尽力している。

先の見通しは決して明るくはない。何しろ、社会、医療、政治の問題はこれほどまでに複雑に絡み合っているのだ。これを見ると、シェトラー博士は希望を失って打ちひしがれるのではないかと思うかもしれない。だが、そんなことはない。

「実際、世界は今、重要な時代を迎えていると思います。すべての人にすべきことがあります」

彼は医療業界そのものですでに進行中の重大な変化を指摘する。シェトラー博士いわく、医療業界では、医療廃棄物の焼却が長い間、ダイオキシン発生の一大要因になっていた。病院の食事についても、かつてはグリルしたチーズにバーガー、フライドポテト、ミルクシェークなどの脂肪分の高い料理が順番に出され、ほとんど「ジョーク」だったとシェトラー博士は言う。

しかし、国際的な協同組織、Health Care Without Harm(痛みのない医療)は、1966年の設立以来、これらの問題を少しずつ解決してきた。その結果、これまでに数千基の医療廃棄物焼却炉が廃炉になっている。同組織はまた、エネルギー効率の良い医療センターを作るために「グリーンビルディング」プログラムにも着手した。そして、膨大な購買力を持つ病院の食品購入の方法も変えようとしている。これは、地産池消と持続可能な農業手法を促進するためだ。

同団体にアドバイスをしているシェトラー博士は次のように語った。「医療業界そのものが大幅な改善を目指すのに最適な場でした。特に医療はGDPの約20%を占めているのですから」

1950年代、シェトラー博士はオハイオ州で高校時代を過ごし、見た目は穏やかながら、強いリーダーシップを発揮した(彼の卒業アルバムには「テッドは仲間をまとめるのに長けていたため、最終学年ではリーダーの役割を担った。誠実で楽しい性格はこれからも友人を惹き付けるだろう」と書かれている)。今日、シェトラー博士は、多数の学生、研究者、政策決定者の前でこれらのスキルを用いている。しかし、どんな会話も同じ質問に戻ってくる。それは、シェトラー博士のビジョンに出会ったところで、何に変化をもたらせばいいのだろうか、ということだ。

シェトラー氏は勇気づけるように言う。「皆さんにわかっていただきたいのは、皆さんも、他の人たちも、共通の要因について努力しているということです。多くの人たちは共通のメッセージを持っています。入口は違っても」

例として、シェトラー博士は都市の荒廃、根深い辛苦、社会の失敗の隠喩として長く引き合いに出されてきたデトロイトを挙げた。市内には、普通はどこにでもあるようなチェーンのスーパーすら一軒もないが、シェトラー博士は壊れたアスファルトの間に都市菜園が作られ、野菜が植えられていることに注目している。「人々は自分たちのために、身体に良い作物を育て始めているのです!素晴らしいことが起きているではありませんか!」

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本記事はYES! Magazineのご厚意により転載させていただいています。

翻訳:ユニカルインターナショナル

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Based on a work at http://www.yesmagazine.org/issues/its-your-body.

著者

クラウディア・ロウ氏は、20年以上にわたって社会問題を扱うジャーナリストで、受賞歴もある。マザージョーンズ、ニューヨークタイムズ、シアトルタイムズ、シアトルポストインテリジェンサーに記事を寄稿している。