スベンドリニ・カクチ氏はスリランカ出身のジャーナリストでインタープレスサービスの特派員。また、日本の出版物やテレビでアジアの問題について定期的にコメントしている。ハーバード大学ニーマンフェロー特別研究員であり、フォーリン・プレスセンターが南アジア記者を対象に提供するフェローシップ・プログラムの招聘も受けている。
長年、会社員のサクライ・マサヨシ氏と子供たちは、東京の自宅の誰もいない部屋に電気がついていても気にも留めなかったが、今ではこまめに消している。
サクライ氏は次のように説明した。「妻は以前から電気を消すように口うるさく言っていましたが、それは電気代を気にしていたからでした。でも、私たちは今では全員、節電に心がけています。エアコンの使用を控えたり、パソコンなどの電源をオフにしたりしています」
日本では、サクライ氏のような行動を取る人が急速に増えている。きっかけは、メディアがこぞって繰り広げた「節電」キャンペーンだ。
再生可能エネルギーの普及拡大を目指して活動するNPO(特定非営利活動法人)、ソフトエネルギープロジェクトの佐藤一子氏は次のように述べた。「一般市民は節電にとても協力的です。というのは、福島の壊滅的な原発事故を背景に実施されたような停電が心配だからです」
原子力依存を減らし、再生可能で安全なエネルギーを中心にするには、現在、広がっている節電ムードを持続させることが重要です。私が危惧するのは、人々の協力が一過性のもので終わることです。
佐藤氏はインタープレスサービス(IPS)に、日本中を巻き込む節電ムードは今や新しい機運となって、原子力を推進する国のエネルギー政策よりもクリーンエネルギーを選択肢の上位に押し上げる機会になっている、と語った。
佐藤氏の説明によると、環境保護活動家が直面している課題は、節電ムードを反原発につなげることだ。
「原子力依存を減らし、再生可能で安全なエネルギーを中心にするには、現在、広がっている節電ムードを持続させることが重要です。私が危惧するのは、人々の協力が一過性のもので終わることです」
日本では、太陽光や風力のような再生可能エネルギーが総電力消費量に占める割合は2%にも満たない。
まぶしいネオンが有名だった喧噪の首都、東京の姿は今や一変し、ビルは薄暗く、電車は速度を落として運行している。大きな交差点の電光掲示板に映し出されるのはその日の電力使用率で、これは停電を起こさないように十分な節電ができているかどうかを示すものだ。
有数の環境保護団体、グリーンピース・ジャパンのエネルギー専門家、高田久代氏は、これらの前向きな変化は重要だが、必ずしも原発に対する怒りには直結しない、と言う。
高田氏はIPSに次のように話した。「一般に広がっている節電気分は単なる象徴です。皆と同じようにすることで、苦しい時代に一丸となっていることを示そうとしているのです。それよりも重要なことは、危険な原発にもっと切実に立ち向かう気持ちを育てることです」
2011年3月11日の巨大地震と津波は、福島にある日本最大規模の原子力発電所を破壊し、政府は国の原子力政策を見直すことを余儀なくされた。ちなみに現在、日本の電力需要の30%は原子力によるものだ。
日本には54基の原子炉があるが、現在稼働しているのは15基のみである。そのなかでも数基は福島の事故を受け、安全対策としてストレステストを実施する予定がすでに決まっている。
その結果、電気事業連合会によると、7月の主要電力会社10社の総電力供給量は、対2010年比で約9%にあたる830億キロワット時減少した。
日本の著名な作家、半藤一利氏はテレビのインタビューで、現代の節電努力を1945年の戦後の日本、人々が国の復興のために必死に働いた時代になぞらえた。
「節電という形で国が一致団結する姿は、戦後間もない頃に日本人が国を復興しようと、心をひとつにして勤勉に働いた時代を彷彿とさせる」
「日本史上最悪の原発事故から新たなアイデアや努力が生まれている」と半藤氏は話した。
菅直人首相は、電力の20%を太陽光や風力といった代替エネルギーで賄うようにするという国の目標を推し進めている。政府は法制化により、これらの自然エネルギーによる電力を政府が設定した価格で買い取るように、電力会社に義務づける予定だ。
そのような措置はもっと前に取られるべきだったと環境保護論者は言う。一方、電機メーカーの間では、省エネ製品の開発に対する関心が高まっている。
東芝や三菱電機といった大手各社は先月、太陽光パネルや家電をコンピュータネットワークに接続して電力を節約する、次世代型の省エネ住宅を共同推進すると発表した。
福島の事故による放射能汚染が大規模に広がりそうだという恐怖から、日本では原発に反対する声が高まっている。福島原子力発電所の事業者である東京電力は巨額な補償金の支払いと格闘している。
佐藤氏は次のように語った。「私たちが今日直面している困難な時期は、決して逃してはならない機会でもあります。震災後の日本は変わらなければなりません。そのためには、長期的なアプローチで、より安全な日本を築き上げていくしかないのです」
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この記事は、開発、環境、人権、市民社会などの諸問題を網羅する独立系通信社、インタープレスサービスの許可を得て掲載しています。
翻訳:ユニカルインターナショナル
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