カンクン合意は豚の耳?

先週の金曜日の遅く、私はカンクンのホテルの1室で2人のジャーナリスト仲間と一緒に、世界中から集まった代表者たちが2週間におよぶ国連の気候会議を締めくくる様子に耳を傾けていた。

私たちが一心に見ていた断片的な映像では、ほぼすべての交渉団のリーダーたちが次々に、約20年もかけて作成された気候に関する世界的合意の最新版を承諾していた。「イエス」という声が鳴り響く総会は高揚感にあふれ、COP16の議長を務めたメキシコ外務大臣、パトリシア・エスピノサ氏に対し(そして気候変動に関する国際連合枠組条約(UNFCCC)のプロセスが無事に進行したことに対し)拍手喝采が起こるたびに、ショーは何度も中断された。

政府関係者や政策立案者、ジャーナリスト、そして多くの環境活動家たちは、カンクン会議は成功したという意見でおおよそ一致している。エスピノサ氏は土曜日の午前3時に小槌を叩いた後、私たちが「気候変動に関する国際協力の新たな時代」の始まりを目撃したのだと世界に向かって断言した。グリーンピースの国際気候政策担当者のウェンデル・トリオ氏も、エスピノサ氏が抱いた国連交渉への新たな信頼に共感し、次のように語った。「会議の成り行きに不満を持つ者もいましたが、各国政府が協力し世界的な合意に向かって前進できるということは明らかになりました」

気候問題に関するベテラン記者でニューヨーク・タイムズ紙の寄稿者であるアンドリュー・レブキン氏は会議期間のほとんどをメキシコで過ごし、土曜日の早朝、今年の12月のフィナーレは昨年のコペンハーゲンでのフィナーレとは程遠いと記した。コペンハーゲン会議は「騒々しさから一変、自信喪失と断裂で終幕し、結果的に合意は示されたものの正式に快諾されたものではない」としている。

レブキン氏は正しい。カンクンでの歓喜と、コペンハーゲンでの冷酷で非情な絶望感には、間違いようのない隔たりがある。しかし金曜の夜、ホテルの部屋で会議のストリーム映像と衝撃的なツイッター界の間を行ったり来たりしていた私は、多くの同僚の心を動かした希望や信頼や達成感という感覚をどうしても持つことができなかったのだ。

その理由をお話ししよう。

人類への同情にかき立てられた気候ジャーナリストは、複雑な地雷原を歩まなければならない。私たちの物語は、ほとんどすべての主要テーマを中心に展開される。すなわち科学、経済学、政治、健康、ビジネス、産業、そして人間というテーマだ。この分野で記者になろうとする者は、事実を提示しなければならない。記者以上の何か(例えばアナリスト)になりたい者は、その事実の意味を人々に説明する公僕としての義務を負う。

地球の気候変動に関して意義深い記事を書くには、政治や経済学だけでなく科学の基本的な専門知識が必要である。複雑なデータや目的が相互に関係する分野なので、ジャーナリストには事実を正しく伝える技能だけでなく、その関連性や数多くの起こりえる結果を説明する能力が要求される。

私は自分が望むほどの知識をまだ身につけていないのだが、気候科学についてわりと詳しい人なら、COP16の合意内容が強力とは言えないことを知っている。

メキシコでの排出量削減の誓約(法的拘束力はない)によって、地球は気温が3.2度上昇する方向に向けられた。この気温上昇のレベルを壊滅的だとする見方がほとんどだが、カオス理論の基本的原理から言えば、そのような予測や全体的な影響は確実でははないことが分かっている。地球の気候のような複雑系の主要な部分は、鍵となるティッピング・ポイントを超えると逆行不可能なプロセスやフィードバックに突入し、全体に不調を引き起こす確率は予測できないほど増進していくのだ。

こういった流れはすべて、ますます不確実になっていくため、結局のところ未来に備えることは基本的に不可能だ。にもかかわらず、責任ある立場に置かれた大人たちは気候変動を回避することよりも、その準備と適応策について議論している。この状況に、私は簡単に気が滅入ってしまうのだ。

私は政治的プロセスを信じたい。政治のシステムを信頼したい。ガーディアン紙のマイケル・ジェイコブス氏が示唆したように、期待が薄かったのに「信頼が勝った」カンクン会議が政治家や産業界のリーダーたちを鼓舞してくれるのだと私は信じたい。そして気候が私たちの手に負えなくなる前に、貴重で少ない時間内で私たちの命を救うために、彼らが市場をうまく調整してくれるのだと信じたい。
しかし私には信じられないのだ。なぜなら過去2世紀の間にますます野放図になった資本主義が、にわか景気と不況を予想どおり繰り返し(私の故郷での約50回の不況や、最近の世界的不況がその例だ)、その結果、甚大な人的被害を及ぼしてきたという歴史があるからだ。アメリカの気候変動担当特使のトッド・スターン氏が1週間ほど前の記者会見で私に話したように、市場を信頼し最低限の規制しかしない、あるいは無規制とするイデオロギーと全く同じものが、世界中の多くのリーダーたちが考える、悪化し続ける破壊的状況への対処策の基盤にあるからだ。

ウィキリークスから流出した証拠によって、「達成された」課題のほとんどは威圧とウソの上に成り立っていたことが明らかになった今、「国際協力」への信頼回復という点でカンクン合意を称賛すること(すなわちCOP議長のパトリシア・エスピノサ氏にもう一度同調すること)は不誠実だ。

なぜなら、世間で耳にしがちな論調とは反対に、ボリビアのエボ・モラレス大統領やボリビアの主席交渉官パブロ・ソロン氏のように、合意は科学を反映し人類が住める地球を確保するものであるべきだと要求し、今年のUNFCCCの交渉の価値を損なわなかった人物もいたのだ。

私たちは今年の会議は失敗に終わったのだと認識すべきだ。なぜなら私たちのリーダーたちは、奉仕すべき国民の幸せよりも、自分たちのポストや経済や政治的権力の温存をまたもや優先したからだ。そしてメディアや知識人たちがそれを許したのだ。そんなナンセンスを鵜呑みにすることを私たちが拒否しない限り、(古いことわざを少しひねって言えば)リーダーたちは豚の耳を絹の財布だと言い張って、利益を手にし続けることだろう。

翻訳:髙﨑文子

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カンクン合意は豚の耳? by アレックス・ケリー is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

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著者

ジャーナリストのアレクサンダー・ケリー氏は、Earth Journalism Network(ジャーナリストを支援する団体)のフェローシップ・プログラムを通じて、カンクンでの国際連合気候変動会議を取材した。昨年、彼と記者団はInvestigate West(調査報道のためのNPO)のためにコペンハーゲン気候会議を取材し、受賞した。彼はReporting for Dutyというブログを書いており、1月には「ハーパーズ」誌でインターンシップを開始する予定である。

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  • Yo Hazuma

    先日幕を下ろしたCOP16カンクン会議について、各種メディアは気候変動対策への大きな前進となる合意がなされたと報道した。しかし、筆者は達成感を得ることができなかったという。これまでの政治プロセスをみても世界のリーダーたちは各々の利益を求め続けていることがわかる。
     私は今回のCOP16についての報道に、筆者と同様に共感や達成感を得ることができなかった。前回のコペンハーゲン合意に比べると気候変動対策にむけて前進したことは確かである。しかし、全ての国を対象とした温室効果ガス削減は合意されておらず、排出量が多い国であるにもかかわらず排出規制を受けていない国もある。また資金メカニズムへの拠出に非積極的な国も多い。筆者が述べているように、リーダーたちは自分たちのポストや政治的権力の温存を優先したために、今回の会議も大きな前進がないまま終わってしまったと言えるのかもしれない。
     メディアや環境活動家たちが、カンクン会議は成功したという見解を示したことを私たちは鵜呑みにしてはならない。世界のリーダーたちに対して、自分たちのポストや政治的権力の温存を優先することを私たちは許さない、ということを発信するべきなのではないか。