中村浩二博士は金沢大学の教授で学長補佐として地域連携を担当するほか、国連大学高等研究所では客員教授の任に就いている。生態学の専門家として、金沢大学の里山里海プロジェクトの代表およびJSSA科学評価パネルの共同議長を務めている。
時間を4,000年前に戻してみよう。全身を毛で覆われたマンモスが極地ツンドラを歩き回っている。ストーンヘンジは建設中だ。サハラは大方が草原で、サバンナらしいランドスケープが広がっている。世界の人口は総計でも2,700万人で、今日の東京都より少ない。そしてこの頃、ウルというシュメールの古代都市国家のどこかで、書記が一連の粘土板に楔形文字を彫り込んでいた。これが今日、わかっている限りでは世界最古の法典である。
ウル・ナンム法典 (2100–2050 BC)に記されている刑罰は、殺人、強盗、姦通などの重大な犯罪を含めて、想定される犯罪を広く網羅している。だが、その中で意外な項目が1つある。それによると、ある人が「耕作可能な土地を耕作用に賃貸しながら、小作人が耕作を行わずに荒廃地化させた場合」も罰金が科せられる。
チグリス川とユーフラテス川の間の「文明の揺籃」である古代メソポタミアを覗き見て、これはとても面白く、示唆に富む発見だった。持続可能な使用について書かれた今日の文書と語彙こそ違うが、この古代法典には間違いなく環境法と呼べるものが含まれている。これは古代シュメール人が耕作可能な土地から提供される生態系サービスの価値を実質的に理解し、その知識を共有していたことを示しているが、それだけではない。生産的なランドスケープを維持するにあたっては、人間と自然の相互作用が実際的に不可欠な要素であることを認識していた証とも解釈できる。
時間を4,000年早送りしよう。地球は今や70億人を超える人口を抱え、技術の進歩は前代未聞の発展を可能にした。だが、何億人もの人が地方のランドスケープから都市部に向かう、いわゆる「都市の世紀」 に入り、急速に進行する環境問題が克服不可能と思われる様相を呈するようになってきた一方で、今日の良くない傾向を逆転させるのに役立つ知識の源として、人間の農業遺産に寄せられる関心が着実に高まっている。
実際のところ、人間の集団農業の遺産は数千年にもわたって私たちを支えてきたが、今では、加速する世界の傾向に脅かされる一方である。たとえば過去50年において、世界の食料生産高は3倍に増加したが、その代償として世界の資源ベースは甚だしく損ねられた。灌漑に依存している地域では地下水面が急激に沈下している。また、地方部から都市部への未曾有の移住が世界規模で発生しているのに伴って、人間と自然の調和ある相互作用から何世代もかけて形成されてきたランドスケープが放棄されている。
2013年2月19~20日に開催された世界重要農業遺産システム (GIAHS)の第2回国際セミナーの参加者が重点を置いたのは、こういった事柄だった。グローバルGIAHSコーディネーターでセミナーの基調演説を行ったパルヴィス・クーハフカン博士によると、食料生産は地域の文化および伝統と密接に結びついていて、どちらかが欠けている例に出くわすことはまずない。現在、5つのカギとなる基準に基づいて、世界の19カ所がGIAHSサイトに認定されている。それらはいずれも豊かな生物多様性、地域の知識、文化の多様性、ランドスケープの多様性を特徴としている。
クーハフカン博士が石川県の能登半島でスピーチを行ったという事実には特別な意義があった。というのは、能登の里山里海 (石川県)は2011年6月、トキと共生する佐渡の里山(新潟県)と共に新たにGIAHSサイトに認定されたからだ。
さらに重要なのは、セミナーの2日目が終日、地域の若いステークホルダーとの対話にあてられていたことである。彼らこそ、能登のランドスケープを守る人々であり、地方の高齢化と人口減少傾向が特に深刻な日本では貴重な人材だ。その中でも、金沢大学が立ち上げた里山里海マイスタープログラムは、日本の伝統的なランドスケープである里山と里海について学べる環境を若い人たちに提供するものである。そして多くの場合、参加者には、都市部におけるキャリアから、自然資源の持続可能な利用に基づく地方の生活へ移行する道が開かれている。
若いステークホルダーとの対話に登場した6人は全員、金沢大学マイスタープログラムに在籍中もしくは最近修了した人たちで、伝統的な製炭、有機農法による米栽培、飲食業などにわたる分野ですでに共有すべき豊富な経験を積んでいる。国際会議といえば非常に概念的なプレゼンテーションが行われることが多いが、それとは対照的に彼らは具体的な経験や実際の課題、それに真の成功について話した。たとえば一人の若い米生産者は次のように述べた。「課題はたくさんありますが、私は家族と一緒に幸せに暮らしています」
数千年もの間、人間は農業体験を常に深めてきた。気候変動は世界のシステムにますます予想不可能な出来事をもたらすかもしれないが、世界のどこか、過去のどこかには、同じような問題に直面したコミュニティがあると思われる。ここできわめて重要なのは、そのような知識や経験を広く利用できるようにすること、そして正当に認知されるようにすることだ。
クーハフカン博士が2013年2月19日に触れたように、最適な条件下では、GIAHS認定は複数のレベルで有益である。まずグローバルなレベルでは、サイトに対する評価が生まれる。次に国内のレベルでは、政府に地域コミュニティの環境整備を促進させる触媒になる。最後に地域のレベルでは、自らの暮らしとその暮らしを営むランドスケープに誇りを持つように力づけることができる。
自分が生まれる前のことを知らなければ、いつまでも子どものままだ。(キケロ)
たしかに、人間の歴史全体に私たちを結びつけているものとして、農業との関わりほど堅固なものは、身近なところではほかにまずないだろう。この関係は大陸、世代、文明全体を超えて広がり、そこから得られた教訓は広く通用する価値を持つ。過疎化や高齢化など、日本の地方部は深刻な課題に直面しているが、能登や佐渡の里山と里海を持続可能な方法で管理することによって暮らしを成り立たせていくことに若い人たちが熱心に取り組んでいるということは、かつての世代の伝統がこれらの地域を引き続き支えているということかもしれない。ほかには、GIAHS認定による国際的な評価と金沢大学を含む主要なステークホルダーも、再興と持続可能性のこの均衡における重要な要素である。
なぜそういったことすべてが問題になるのか – ウル衰退の理由
過去から学ぶことの意義を強調するために、ここで今一度、古代シュメールの都市国家ウルに話を戻そう。ウル・ナンム法典では耕作可能な土地について注目するという先見の明が見られたにもかかわらず、この古代文明を発展させ、最終的に滅亡させたのは、これらの農地で育てられた作物にほかならなかった。
この乾燥地域で耕作が可能になったのは、高度な灌漑システムが構築されたからである。用水はユーフラテス川から引いていた。しかし、命の源のこの川の水は塩分を含んでおり、ウルの農地の塩分は季節がめぐってくるたびに増えていった。時間がたつにつれて、人々は食料にしていた作物を収穫できなくなり、生産者は塩分に耐性の高い作物への転換を余儀なくされた。しかし、やがてそれらの作物も収穫できなくなると、文明はまるごと、その歴史を共にしたランドスケープを去らざるを得なくなり、後には荒涼としたランドスケープが残った。
こういった歴史も人間の農業遺産に関する一要素で、文明が地球のランドスケープに完全に依存していることをあらためて示している。将来に目を向けると、まさに能登や佐渡の里山や里海で暮らす人々のような個人が、周囲の自然資源を持続可能な方法で利用することにかける精力や熱意や献身は、不確かな時代に生きるヒントになり、また希望を持つ理由にもなるものだ。
• • •
第2回GIAHS国際セミナーの報告書全文はこちらでお読みいただけます。
翻訳:ユニカルインターナショナル
数千年を超える価値を持つ農業遺産 by 中村 浩二 &ロバート・ブラジアック is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.