カンクン会議と新たな気候経済学

昨年のコペンハーゲンでの期待外れの交渉結果に引き続き、アメリカの気候変動対策法案の可決が難しくなった現状は、今週開催されるカンクンでの気候会議に暗影を投げかけている。世界的な不況による予算削減が相次ぐ危機的状況の今、新たな気候会議を開催するには最悪のタイミングのようにも思われる。ただし残念ながら、私たちには行動を先送りにする余裕はない。アメリカ上院議会で60票が集まらなかったとしても、物理学の法則から言えば、地球環境は引き続き、ますます住みにくくなるのだ。

気候変動をめぐって2つの戦いが繰り広げられている。メディアでは気候科学の正当性に疑問が寄せられている。しかし度重なる調査の結果、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書やその他の評価には、ところどころ表記の間違いが見られただけだった。さらに昨年、気候科学者から電子メールが盗まれるという衝撃的な事件があった。しかし、この事件によって明らかになったのは、トップクラスの研究者たちが時として下品で競争心をむき出しにするのだということくらいだ。科学を否定する人々がアメリカの政界で勢力を誇り続けている間に、世界の多くの国は次の段階へ進んでしまったのだ。

しかし議論を続けていくうちに、人々は気候対策のコストに関する懸念に行き着いた。気候問題の懐疑論者として代表的な人物であるビョルン・ロンボルグ氏は、今では科学を攻撃していない。その代わりに、気候変動によるダメージは小さいのに、その対策費は甚大になるのだと主張している。この新たなロンボルグ説(「懐疑論2.0」)の論拠は、数人の保守派経済学者に拠るところが大きい。中でも著名なのはリチャード・トル氏とウィリアム・ノードハウス氏で、根本的な気候対策は経済的に不可能だと示唆している。

私たちには行動を先送りにする余裕はない。アメリカ上院議会で60票が集まらなかったとしても、物理学の法則から言えば、地球環境は引き続き、ますます住みにくくなるのだ。

トル氏とノードハウス氏は専門的な立場から発言している。2人ともよく知られた経済学者で、他の経済学者による査読済みの論文を発表している人々だ。しかし彼らの研究から明らかになったのは、経済学者と科学者では気候変動の見方がしばしば異なるということだ。気候科学は、取り返しのつかない数々のダメージを警告している。そのようなダメージは、気温が2度以上上昇した場合、とても避けられるものではない。実際、気温上昇を2度以内に抑えようとする目標は、危険な気候変動を避けるために不可欠であると広く認められている(経済学の世界以外では)。

経済学では、温暖化の第1段階は無害であるような主張が多い。トル氏は、気温が3度上昇するまでの第1段階で地球環境はむしろ良好になると予測している。彼の見解によれば、3度を大きく超えない限り、大きなダメージはないという。ノードハウス氏は、2度の気温上昇なら、GDPのおよそ1%しか損害はないと予測する。いずれの予測(気温が2度上昇することで結果的にメリットが生ずるにせよ、わずかな損失しかないにせよ)も、それが危険な変化への限界点だというニュアンスはない。

真新しい展望

経済学界には他の意見も見られる。例えば気候変動の影響を新たな切り口で検討したスターン・レビューだ。この報告書は、気候対策を講じなかった場合、気候変動による損害額はGDPの5%、あるいはそれ以上に達するが、GDPの1%を温暖化ガスの排出削減に費やせば損害のほとんどは避けられると結論づけた。スターン氏が強調したのは将来の世代の権利(経済学の代数で言うならば、低い割引率)や、貧困国が気候変動の影響を真っ先に最も強く受けるという地域的な格差の問題だ。

ハーバード大学の経済学者、マーチン・ワイツマン氏は、さらに突っ込んだ議論を展開し、気候科学は不確実性を免れないため破滅的な経済損失の可能性は否定できないと示した。したがって、最も起こりえる状況のリスクではなく、最悪の状況がもたらすリスクを最小限に抑えることを基準に政策を作成すべきなのだ。それはちょうど、人々が平均的な被害ではなく最悪の被害を想定して火災保険に加入するのと同じだ。

新たな気候変動の経済学は、ノードハウス氏とトル氏の説を正統とする考え方の枠を超えて、広まり続けている。アメリカの環境経済学者のネットワーク、Economics for Equity and Environment(公平性と環境のための経済学)には、新しい研究の多くが紹介されている。同ネットワークの最近の研究には、大気中の二酸化炭素濃度350ppmを達成するための(わりと手頃な)コストの検討や、アメリカ各州における温暖化ガス排出量の大幅な違いに関する調査などがある。

では、こういった議論を一般の政策立案者たちはどう見ているのか。

気候科学において、査読済みの研究が持つ圧倒的な重みを取るか、アメリカの無知な政治家たちの主張を取るかは、簡単な選択である。ところが気候経済学では選択にもっと鋭い鑑識眼が必要とされる。つまり、査読済みの経済論であっても、そこにはライバル同士の見解の違いがあるのだ。しかし、気温がほんの数度上昇すれば、環境にリスクが生じるのだとする科学者たちの主張が正しいのなら、数度の気温上昇を些細な問題と片付ける経済モデルは間違えているに違いないのだ。

こういった問題を私たちが解決するまで、現実の世界は待ってくれない。気候科学に準じた新たな経済学と共に歩もう。カンクン会議で、あるいはその後すぐに、行動を起こす同意が成立しなければ、地球の気候が耐えられないほど悪化する状況は避けられない。気候変動対策にはコストが生じる。しかし、そのコストは対策を講じない代償よりはずっと少ないのだ。

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この評論は2010年11月30日にguardian.co.ukに掲載されたものです。

翻訳:髙﨑文子

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著者

ケヴィン・ ギャラガー

ボストン大学

ケヴィン・ギャラガー氏はボストン大学の国際関係学教授で、地球開発環境研究所の研究フェローである。

フランク・アッカーマン氏はストックホルム環境研究所の気候経済学グループのディレクターである。