早朝、Markku Tervonen(左)と、Asko Karjalainen(右)フィンランドの北カレリアにあるプルヴェシ湖にて、シロマス用の大きな網を引く。
以前、さほど大昔ではない頃に、Olli Klemola(オリー・クレモラ)氏は、あるビジョンを描いた。フィンランド人のプロの漁師で、自国の伝統の守り手である彼は、北極地方各地の先住民族や地域社会の漁師たちが一堂に会し、彼らの生存にとって極めて重要な問題を話し合うという祭典を構想した。そうした問題は北極に関する多くの議論や話し合いや集会ではほとんど扱われない。この集会は、フィンランドやサーミ人の居住地域やシベリアに暮らすフィン・ウゴル語系民族にとって重要な問題に重点を置く。集会に派遣された代表者たちは、漁業に関する伝統的知識を共有し、歌や手工芸品を褒めたたえ、漁法を実演すると同時に、流域の復元活動の実績について議論するのだ。
ロシアとウクライナ間の紛争が激しさを増すなか、ユーラシア、とりわけロシアの先住民族に対して圧力が高まっており、土地と水を頼りに生計を立てる平和な伝統について話し合う機会が減少している。対立する双方の地域社会や先住民族にとって、地域に根ざした伝統的知識や慣習や知恵をよみがえらせ、維持するノウハウを共有することは、ますます困難になっている。
だからこそスノーチェンジ協同組合 (非営利NGOで、国連大学の伝統的知識イニシアチブの長年のパートナー)が今秋、地元のパートナーであるSaa’mi Nue’tt(サーミ・ヌエット)と提携してクレモラ氏の構想を実現し始めたのは、実にタイミングがよい。難しい地政学的条件にもかかわらず、Festival of Northern Fishing Traditions(北の漁業に関する伝統の祭典)は9月中旬に開催され、先住民族のスコルト・サーミ人、コラ・サーミ人、スウェーデンのサーミ人と、シベリアのハンティ族やフィンランドの伝統的な漁師たちが一堂に会した。
このユニークな集会は、北ユーラシアのすべての人々が直面する環境や文化の劣化と気候変動の問題への、地域社会を基盤とする対応策の情報交換を徹底的に行う機会となった。
祭典への参加者たちがNäätämö(ナータモ)川の共同管理対策を再検討した。(左から右:フィンランドのスコルト・サーミ人で漁師およびトナカイ放牧業者であるヨウコ・モシュニコフ氏。ロシアのハンティ・マンシ自治管区のハンティ族の漁師およびトナカイ放牧業者であるStepan Kechimov(ステパン・ケチモフ)氏。ハンティ・マンシ自治管区の天然資源に関する地方行政スペシャリストであるAleksandr Komissarov(アレクサンドル・コミッサロフ)氏。フィンランド人の漁師でありスノーチェンジ協同組合の組合長テロ・ムストネン博士。ハンティ・マンシ自治管区の魚加工工場オーナーのSergey Andreichenko(セルゲイ・アンドレイチェンコ)氏。前列でひざまずいているのは、ハンティ・マンシ自治管区の国際関係学スペシャリストのIvan Kalinin(イワン・カリーニン)氏。写真:© Chris McNeave(クリス・マクニーヴ)氏、2014年。
このような集会の開催場所として、北ヨーロッパで有数の自然のままのこの湖以上にふさわしい場所があるだろうか?フィンランドの北カレリアにあるLake Puruvesi(プルヴェシ湖)は、透明度が12メートルの湖で、現地ではヨーロピアン・シスコ(Coregenus albula)と呼ばれるサケ科の魚の持続可能な漁場としてEUに認定されている。プルヴェシ湖とその近隣のサイマー湖は、その生物多様性で世界的に知られている。この水系には、現在では絶滅の危険が極めて高い、湖を出ることがないタイセイヨウサケ(Salmo salar m. saimensis)や、個体数がわずか数百頭しかいない、この地に固有のサイマーワモンアザラシ(Pusa hispida saimensis)が生息している。
スノーチェンジ協同組合がシベリアの先住民族や漁業関連の政府関係者からなる大派遣団を集めたのは、プルヴェシ湖だった。そこで彼らは4日間にわたって、引き網やトラップを使うフィンランドの伝統的漁業を体験した。現代の引き網漁は、昔ながらの伝統に深く根付いた独特な湖での漁法である。世界で最も古い漁網はプルヴェシ湖から約300キロ離れた場所で発見され、1万年以上前のものだった。数千年もの間、こうした伝統的漁法は健全な魚種資源を維持してきたのだ。
祭典の第1部がプルヴェシ湖で終了した後、シベリアのハンティ族の派遣団とフィンランドの漁師たちは、北欧の先住民族であるスコルト・サーミ人が暮らす Sevettijärvi(セヴェッティヤールヴィ)村に移動した。スコルト・サーミ人の伝統的領地は歴史的に、イナリ湖東岸から、現在はロシア領である コラ半島の西部まで広がっている。地元のスコルト・サーミ人のリーダーであるVeikko Feodoroff(ヴェイッコ・フェオドロフ)村長は派遣団を歓迎し、この村が、消滅しつつあるスコルト・サーミ語がまだ話されている最後の村であることを強調した。複数回の移住、何度かの戦争、フィンランド人移住者による植民地的な占有、文化と言語の消滅を生き抜いてきたスコルト・サーミ人は、見事な復活を遂げつつある。彼らは独自の伝統的な土地利用と管理の制度を再建し、文化や土地を基盤とした慣習をよみがえらせ、革新的な方法で気候変動の影響に対処している。
祭典の参加者たちはナータモ川を20キロ以上、船で移動し、サーミ人の伝統的知識と知恵を再認識するフィンランド初の共同管理プロジェクトについて学んだ。写真手前、テロ・ムストネン博士がスウェーデンのサーミ議会総裁でトナカイ放牧業者であるステファン・ミカエルソン氏 (右)と語っている。フィンランドのスコルト・サーミ人の伝統的領地にあるOpukasjärvi(オプカスヤールヴィ)湖畔。写真:© Virve Sallisalmi(ヴィルヴェ・サーリサルミ)氏、2014年。
祭典の第2部は、スコルト・サーミ人の生活圏の中心的な水路である ナータモ川への往復24キロのハイキングで始まった。さらに多くの参加者がフィンランドやそのほかの国から到着した。その中にはスウェーデンのサーミ議会の総裁を務めるステファン・ミカエルソン氏や、ロシアのムルマンスク地域のコラ・サーミ人の代表者たちがいた。
ナータモ川への訪問によって、参加者たちは伝統的知識や土地に根付く慣習に頼る地域社会の体験を共有できた。例えば強制移住、言語の消滅、世代間での知識継承の減少、気候変動の影響といった、昔ながらの社会や文化や環境の崩壊という負の遺産を乗り越えるための体験だ。
ナータモ川の流域はフィンランドで 初の共同管理計画の対象地区である。この計画は、文化団体であるサーミ・ヌエットが調整役を担い、スノーチェンジ協同組合が提携し、国連大学と北欧閣僚会議が後援している。同地区の環境観察や歴史的な土地利用の記録に加えて、ナータモ川のサケ漁の共同管理計画は、スコルト・サーミ人の伝統的知識を、タイセイヨウサケの産卵場所である川の管理に取り入れることを目指す。この管理には、タイセイヨウサケの産卵場所の生態系を回復することや、気候変動による水温上昇で急増している捕食魚を抑制することが含まれる。
科学と先住民族の知識を統合することによって、ナータモ川流域での取り組みは、ますます変化する北極地方の流域の回復と保全を目指す。この共同管理計画によって、ついにフィンランド政府は、スコルト・サーミ人の家族と部族を基盤とした伝統的な川の利用方法を認識することになる。スコルト・サーミ人の知識を、流域やサケ資源の管理に関する決定に真剣に取り入れるようにするには、この取り組みは不可欠な第一歩である。
スコルト・サーミ人のウラジミール・フェオドロフ氏が魚を調理する一方で、ハンティ族の熟練した手工芸職人であるRimma Potpot(リマ・ポットポット)氏が部族の伝統を披露する。写真:©クリス・マクニーヴ氏、2014年。
続いて、ハンティ族の参加者たちがNGO団体「Save Jugra(ユグラを守る)」を1990年代に創設した体験を語った。同組織はロシアや諸外国によって急速に拡大する石油や天然ガス産業がもたらす負の影響に対抗するために設立された。ハンティ族の人々は、彼ら固有の湖や河川に及ぶ重大な環境への影響に苦しんでおり、ナータモ川流域の同胞たちとの、体験や対策の情報交換を歓迎していた。
祭典の最終日となる土曜日の早朝、全参加者がセヴェッティヤールヴィ湖のほとりに集まった。すぐ隣には村の学校やスコルト・サーミ人の役所がある。湖から立ち上る霧の上に冷たい太陽が昇った。気温は氷点下で、冬が近づいていることを示しているが、引き網漁には絶好の季節である。
スコルト・サーミ人の長老であるウラジミール・フェオドロフ氏が、弟のJuha(ユハ)氏と数人の参加者の協力を得て、湖に引き網を放った。湖畔では、網が定置するのを誰もが待っていた。合図と共に、スコルト・サーミ人、ルレオ・サーミ人、コラ・サーミ人、アメリカ人、シベリアのハンティ族、その他の国々の人たちが引き網を引き始めた。
フィンランドのスコルト・サーミ人の伝統的領地にあるセヴェッティヤールヴィ湖で、祭典の参加者たちが引き網を引いている。写真:©クリス・マクニーヴ氏、2014年。
突然、次のような歌が始まった。「引き網漁だ! 魚を捕るぞ!」網が水辺近くに引き寄せられる頃には、誰もが同じ歌を歌っていた。言葉は違っても、同じ旋律で歌っているのだ。歌声は湖全体に反響し、引き上げられた網はサケ科の魚でいっぱいだった! 参加者たちは、共に力を合わせた人々の歌を湖が聴いてくれたのだと信じて疑わなかった。そして、北極地方や世界各地で大きな変化が起こっている現在、私たちも皆、共に力を合わせるべきなのだ。祭典の最高の幕引きだった!
平和の歌と共に、争いの時代にありながら、ユーラシアの北極地方中から伝統的な漁師たちを集めるというオリー・クレモラ氏の夢がついに実現し、実を結びつつある。次の祭典は2015年にロシアのシベリアにあるハンティ・マンシ自治管区で開催される予定だ。皆さんもぜひ参加して、私たちと一緒に引き網を引こう!
翻訳:髙﨑文子