福島が向き合う長い道のり

福島原子力発電所での壊滅的な原子力事故から2年が経過したが、除染活動は順調に進んではいない。放射性物質を含む冷却水が、少なくとも3つの大型貯水槽から土壌に漏れ出ている。さらにネズミが配電盤に入り込んだ結果、重要な冷却機能を停止させたため、発電所のさらなる事故を予防する措置が脆弱であることが明らかになった。

こうした失態と同時期に、ウィーンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)の12人から構成される調査団は、安全性や除染対策、損壊した原子炉の廃炉に向けた日本の取り組みを評価するため、被災した発電所を視察した。

日本国内でも、現状への警戒感と東京電力株式会社(TEPCO)に対する批判がある。政府の安全対策担当官でさえ、深刻な原子力事故の事例に照らし合わせると恐らく解決には数十年かかる問題に対し、TEPCOが優れた対応をしているとは言えないと語っている。

溶けて塊となった使用済み核燃料の大きさは未知であり、今後数百年間は危険なままだ。そして今のところ、その取り出し方法を誰も考案していない。

TEPCOは汚染水漏れが「危機」であることのみ認めているが、損壊した原子炉を継続的な注水によって安定させてきたという。注水しなければ、原子炉内の使用済み核燃料は過熱し、再び放射性物質を放出する可能性がある。

しかし、放射性物質を含む大量の水こそが問題の一端になりつつある。なぜなら国際法の違反や魚類資源の汚染リスクを生じることなく汚染水を海に放出することは不可能だからだ。

そのため、汚染水は適切な遮水処理を施されていない貯水槽にくみ上げられており、そのうち3つの貯水槽から数千ガロンもの汚染水が漏れ続けている。問題を解決するために貯水槽内の水を完全に空にするには、数週間がかかる見込みだ。

安全性を依然として模索中

日本の原子力規制委員会の田中俊一委員長による次のコメントは、現在の状況を要約している。「福島第1原発は依然、不安定な状況にあり、さらなる事故を防げない恐れがある。委員会は最大のリスクを低減する対応をTEPCOに指示し、規制する側として状況の監視を強化していく」

汚染水漏れやネズミの問題は別にしたとしても、2年前の地震と津波で損壊した発電所を安全に維持するだけで3000人の労働者が多忙を極めている。彼らは通常の生活とはかけ離れた地域で、汚染された困難な状況の中、働いている。発電所周辺の広い地域は立ち入り禁止地区だ。

かつて発電所近辺に暮らし、災害の規模が明らかになった時点で避難した16万人の人々は、もし帰郷できるとしても恐らく数年後だろう。汚染範囲については依然として情報がほとんどない。

津波によって損壊した4基の原子炉の危険状況に関する詳細は、IAEAが報告書案を発表する4月22日に明らかになる予定だが、楽観的な内容にはなりそうにない。(編集者注:IAEAのウェブサイトには現在、査読済み報告書に関する最新情報が掲載されています)

安全性の懸念がなかったとしても、問題への対応費用は巨額になる見通しで、TEPCOの財政に数十年にわたって負担を強いるだろう。どのように原子炉を安全で安定した状態にするかという問題は未解決のままだ。

福島以前の深刻な原子力事故は、1986年にウクライナで起こったチェルノブイリ原発事故だ。その影響は今でも存続しており、原子炉を安全に保つために国際的な取り組みが続けられている。チェルノブイリで原子炉が爆発し、ヨーロッパの広い範囲に放射性粉じんが放出した。この事故においても、緊急修復作業が行われている間、立ち入り禁止区域が設定された。

今日でも、原子炉周辺にはデッドゾーンとして知られる広い地区が存在する。一方、国際社会は今後100年間ほど原子炉を安全に保つための計画に資金を提供している。原子炉を覆うために作られた石棺と呼ばれる建造物は崩壊する恐れがあり、放射性物質を再放出する危険がある。

不確実な50年

こうした状況を避ける最新の計画は、巨大なコンクリート製のアーチ型建造物を作り、レール上を滑らせて移動し、損壊した原子炉の上にかぶせて、将来的な崩壊を封じ込めるというものだ。このアーチ型建造物は、いまだに続く放射能を避けるために石棺から離れた場所で建造されており、今後レール上を滑らせて、石棺の上を覆うことになっている。

横幅270メートル、長さ150メートル、高さ100メートルのアーチ型建造物は、世界最大の移動式構造物だ。2015年に完成すると期待されているが、この建造物でさえ一時的な解決法でしかないと思われる。建造費は推定およそ15億ドルだ。

福島ほどの災害規模の原子力事故の除染を完了するのに実際どのくらいの時間がかかるのかは、推測の域を超えない。1957年、まだチェルノブイリ原発さえ作られていない頃、イギリスのウィンズケール原子炉で大火災が起こった。この原子炉はイギリス初の核兵器生産用のプルトニウムのために建造された。

収拾のつかない勢いだった火災も、わずか3日後には鎮火された。溶けた核燃料は56年たった今でも、パイル1号機と呼ばれる原子炉内にある。過去数十年の間に、燃料を取り出して安全を確保する試みは何度か着手されたが、そのたびに安全性への配慮から中止された。

今ではセラフィールド原子力施設として知られるウィンズケールの事故現場は、引き続き警備と監視下に置かれている。その未来は不確実なままであり、潜在的な危険性は外の世界からほとんど忘れられている。

それは半世紀以上も前に起こった、1基の小型原子炉の火災だった。福島の事故には4基の大型原子炉が関与しているが、どちらの事故も同じ問題を抱えている。すなわち、大量の溶けた核燃料をいまだに回収できていないということだ。今世紀末になっても、現世代の孫たちがこの問題と格闘し続けているかもしれない。

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本稿はClimate News Networkで発表されたものです。

翻訳:髙﨑文子

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著者

ポール・ブラウン氏は Climate News Network の共同編集者である。イギリスの地方紙および全国紙で新聞記者やニュース編集者として働いた40年の経験を持つ。『ガーディアン』紙で24年間働いた後、2005年8月に退職した。同紙を離れるまでの16年間は環境担当記者として、特に気候変動に重点を置き、幅広い問題を取り上げた。環境問題に関する8冊の著作がある。現在は『ガーディアン』紙でウィークリーコラムを執筆しているほか、フリーランスで執筆活動をしている。テレビのドキュメンタリー番組の脚本を書いた経験があり、ラジオ番組への出演も数多い。彼はケンブリッジ大学ウルフソン・カレッジのフェローであり、Guardian Foundation(ガーディアン財団)の活動の一環で東欧およびアジアでジャーナリズムを教えている。