抗HIV薬を誰もがアクセスできるように :ブラジルの例

この記事は、「国連大学と知るSDGs」キャンペーンの一環として取り上げられた記事の一つです。17の目標すべてが互いにつながっている持続可能な開発目標(SDGs)。国連大学の研究分野は、他に類を見ないほど幅広く、SDGsのすべての範囲を網羅しています。世界中から集まった400人以上の研究者が、180を超える数のプロジェクトに従事し、SDGsに関連する研究を進めています。

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12月1日の世界エイズデーに、国連合同エイズ計画(UNAIDS)のミシェル・シディベ事務局長は、持続可能な開発目標(SDGs)のターゲットの1つが2030年までにエイズの蔓延を阻止することであることを述べ、私たちは改めて考えさせられた。しかし、エイズの蔓延阻止はSDGsのターゲットであるだけでなく、健康に対する基本的人権の不可欠な一部でもある。なぜなら「……保健医療に関して誰もが同じ権利を有している……」からである。

しかし、開発途上国にとってはどうなのか?もしあなたが開発途上国の保健省の大臣であるなら、このターゲットを実現するためにどうすればいいと考えるだろうか?

HIV/エイズ治療に用いられる抗レトロウイルス薬(ARV)の分子は非常に複雑であり、ほとんどの開発途上国がこれを製造できない。したがい、開発途上国においては保健省が予防と医療制度の改善を重視すべきだ、という考え方が、世界銀行など、SDGsのターゲットを支持する機関の間で主流となっている。一方、治療薬については、必要に応じて世界銀行から資金を借り入れ、欧米の多国籍企業から輸入することができる。

一定の予算から最大限の成果を上げたいと考える経済学者なら、同じことを保健省に伝えるだろう。しかし、ブラジルはこうした考え方とは違う行動を取ったのである!1996年、ブラジルは他の開発途上国に先駆けて、すべての国民には医薬品へのアクセスが人権として保証されるという立場を取り、強制実施権(非商業目的の製品は特許者の承諾なしにその技術の使用を実施できる権利)の行使を利用しながら、高価な特許薬の価格引き下げ交渉を開始した。

他の国々でもブラジルと同じやり方が可能だろうか?この問いに答えるには、開発途上国と特許権者の間の価格交渉の流れを理解する必要がある。原則的には二者間で行われるが、実際には複数の当事者が関与し、複雑で戦略的な駆け引きにより、結果が生み出される。

製薬会社は、製薬における知識の集約と複雑なプロセスを担うことで、医薬品原薬(API)製造および製剤という2つの主要事業に関与している。世界保健機関の報告によると、開発途上国のうち少なくとも126カ国はAPI製造能力がなく、そのうちの42カ国は医薬品を製剤する能力が限られているか、皆無であり、国内での需要を満たすためにもっぱら輸入に依存しているという。

開発途上国がある危機に対処するうえで必要となる特許薬のAPIを製造できないとすると、それは大きな問題である。特許薬はジェネリック医薬品よりも高い傾向があり、入手できないことさえあるからだ。製薬会社が充分な量の医薬品を妥当な価格で提供することに消極的である場合や、製薬会社からこれら技術のライセンスを受けられず、他の企業による独立的な開発が認められない場合、状況の改善はまったく見込めなくなる。

しかし、解決策が1つある! SDGs目標3のターゲット3bは、2001年に採択された知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)と公衆の健康に関するドーハ宣言に従い、公衆衛生の保護と、特にすべての人々への医薬品のアクセス提供に関わる柔軟性に関して、政府がTRIPS協定の規定を最大限に行使する権利を確約している。これには強制実施権発動の可能性も含まれている。

強制実施権はTRIPS協定に含まれる柔軟性であり、政府は特許権所有者の承諾を得ることなく、特許取得製品の製造を第三者に許可することができる。これは、特許がもたらし得る、必要な人が必要な医薬品にアクセスできなくなるという負の側面を、最小限に抑えるために導入された措置である。強制実施権という選択肢は、より積極的な姿勢で製薬会社との価格交渉に臨むための力を開発途上国に与えるものであると、研究者らは確証する。しかし、開発途上国があらゆる面で計算に入れなければならない要素として、現地産業への報復という代償がある。

実のところ、多国籍企業を有する国の政府からの報復によって製薬以外の貿易と産業が打撃を受けることを懸念して、多くの新興国が価格交渉に強制実施権を持ち出すことを思いとどまっている。しかし、私たちの統合モデルが明らかにしたところによれば、新興国にとって必須医薬品の価格交渉における取り決めの決定的要素となるのは、現地の技術力と、低価格の輸入ジェネリック医薬品へのアクセスであると考えられる。これらの2つの要素を持ち合わせ、極端な報復の可能性が低ければ、強制実施権の発動を匂わせるだけで、価格の引き下げを実現するのに十分なものとなるであろう。

2001~2014年にかけて、ブラジル保健省は6種類のARVに関わる多国籍企業を相手に、少なくとも14例の価格交渉を実施している(表1)。

表1: 2001~2014年におけるブラジルと多国籍企業のARV価格交渉(米ドル)

事例番号 医薬品 当初の価格 交渉後の最終価格 価格引き下げ率 %
1 エファビレンツ (200 mg) 2.05 0.84 59.02%
2 ネルフィナビル 1.07 0.64 40.19%
3 エファビレンツ (600 mg) 2.1 1.59 24.29%
4 ロピナビル+リトナビル 1.5 1.3 13.33%
5 ネルフィナビル 0.52 0.47 9.62%
6 ロピナビル+リトナビル 1.17 0.63 46.15%
7 エファビレンツ (600 mg) 1.59 1.59 0.00%
8 テノホビル 7.68 3.8 50.52%
9 アタザナビル (200mg) 3.13 3.04 2.88%
10 エファビレンツ (600 mg) 1.59 1.11 30.19%
11 テノホビル 3.8 3.25 14.47%
12 テノホビル 3.25 2.54 21.85%
13 ラルテグラビル 8.04 7.53 6.34%
14 アタザナビル (200mg) 1.98 1.85 6.57%
14 アタザナビル (300mg) 3.58 2.8 21.79%

事例7では価格の引き下げはなかったが、強制実施権が実際に発動されたため、他の新興国に成功を示す先例となった。なぜ強制実施権が発動されたのか?私たちの統合モデルによると、その理由は情報上の問題であると考えられる。通常、保健省は特許権者の所在国政府からの報復の可能性について、かなり有力な情報を有している。そのため、保健省が実際に強制実施権を発動するはずがないと特許権者が誤った想定をした場合には、強制実施権が有効なものとなり得る。ブラジルの場合、強制実施権の発動は技術力の確立にも役立った。

そこで、開発途上国におけるARVへのアクセスを改善するために、私たちは以下の提言をしたい。

第一に、現地の製造能力によって、価格交渉が成功するか否かを大きく左右し得るため、すべての開発途上国において、公共政策による技術力の確立支援を行うべきである。

第二に、多国籍企業との交渉で価格の引き下げに成功し、アクセスが改善された場合も、現地企業にとっては同等の競争力を得ることが従来以上に困難となるため、トレードオフ(一方を追求することで他方を犠牲にする状態)の考慮は必須である。

第三に、公共部門の強化が、高い交渉力になり得るということである。公共部門が医薬品を製造する必要はないが、最先端の技術力とイノベーション力を備えておく必要があるだろう。未来はバイオ医薬品にかかっており、合成化学による医薬品よりも、技術格差を埋めることが困難な領域だからである。

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本稿で述べた見解は著者個人のものであり、必ずしも国連大学の見解を示すものではない。

著者

エドゥアルド・ウリアス博士は国連大学マーストリヒト技術革新・経済社会研究所(UNU-MERIT)のリサーチ・フェローである。2015年10月、UNU-MERITとマーストリヒト大学から技術変化の経済・政策学の博士号を取得した。現在は医薬品へのアクセス、セクター別イノベーション・システム、競争戦略分析、研究開発の内部構成を研究している。