日用品をコラボ消費する

2010年12月30日 ブレンダン・バレット ロイヤルメルボルン工科大学

1980年代以来、私は環境と名がつくあらゆるものに首を突っ込み、地球を救うことに関する専門用語やコンセプト、新たなアプローチがぞろぞろと現れ、消えていくのを目の当たりにしてきた。環境問題の第一人者を自認する人々は、さまざまなイベントに列をなして並び、いかにして地球を救うかの自説(ソフト・エネルギー・パス、ファクター4、自然資本主義、ゼロ・エミッション、環境再建などなど)を押しつけようとしてきた。

面白いことに、こうした人たちは何があっても持論を引っ込める気はないらしい。「いや実は、彼女の理論の方が私のよりもすぐれています」と言い出すことは決してないのだ。

ただ残念ながら、私の経験では、これらの答えやアイデアの多くは(プレゼンテーションとしては楽しめるけれども)、一般の人々にはおおよそ縁がない。本を読んだり、映画を観たり、ワークショップに参加したり、講演を聴いたりすることはできる。しかし、彼らが売り込もうとしている素晴らしい新たなアプローチを最近、自ら体験したことがあるかと聞かれれば、答えに窮するのではないだろうか。

だからこそ先日、私の幼い娘がコラボ消費のコンセプトについて私に話しかけてきたのには驚いた(彼女はそれについて本を読んだことも話を聞いたこともない)。

その時、学校で良い成績を取ったご褒美に音楽CDを買ってあげると言った私に、娘は「iTunesからダウンロードする方がずっと安いじゃない」と言ったのだ。

確かにそうだ。iTunesのことを先に考えて然るべきだったが、私はまだ、音楽といえばCD。娘の方が進んでいたのだ。彼女は「プロダクト=サービス・システム」について知っている(その言葉こそ使わなかったが)。これはコラボ消費を支える3つの主要なアイデアの1つである。基本的に、私の娘が興味を持っているのはCDではなく音楽であり、DVDではなく映画なのだ。総じて私たちは、製品からサービスに焦点を移し始めていると言っても過言ではないのかもしれない。

コラボ消費は身の回りにあふれている

私はそこで、コラボ消費モデルに適合する他の例を探し始めた。東京に住んでいると、驚くほどたくさん見つかる。例えば、私は毎週末、家族と一緒に地元のショッピングセンターまで歩き、ブックオフという店(今では米国にもある)で古い本や音楽CD、DVD、ゲームを売る。店は持ち込まれた品をその場で現金で買い取り、普通の店と同じように販売する。古いコンピュータは東京の電気街(秋葉原)に持っていけば、買ってくれそうなコンピュータ専門店がたくさんある。私の家の近所でも、古いXboxやPlayStation、ゲーム機を買い取って売る小さな店がある。

これはコラボ消費の2つ目のアイデアで、「再分配(redistribution)市場」と呼ばれるものだ。リデュース(reduce)、リユース(reuse)、リサイクル(recycle)に続く第4の「R」である。基本的な考え方は、何かを利用するときに、それを所有して、家の中に保管しておく必要はないということだ。それどころか、使い終わったら、それを他の人に売るのを手伝ってくれるビジネスがあるのだ。
コラボ消費の3つ目のアイデアは「コラボ的ライフスタイル」と称される。ここ東京ではぴったりの例が思い浮かばない(ただし、長い伝統を持つ銭湯を含めるなら別だ。いまだにどの地域にもあるが、私自身は近所の銭湯にしばらく行っていない)。

おそらく、カーシェアリングはこの例に入る。最近、私は自宅の近所の駐車場でカーシェアリングの仕組みのいくつかを見つけた。そのサービスは「タイムズプラス」と呼ばれ、提供しているのはパーク24という会社である。このサービスはメンバー制で、車の予約はオンラインで可能だ。すでに全国には400カ所近い「タイムズプラス」のステーションがある。

コラボ消費の教祖的存在

私はコラボ消費という用語をレイチェル・ボッツマン氏とルー・ロジャース氏から知った。彼らはそれぞれ、ソーシャルイノベーター、シリアルアントレプレナーと自称している。実は私は彼らの著書(『シェア<共有>からビジネスを生みだす新戦略』)を読んでいない。しかし、ウェブサイトはしっかりチェックして、ボッツマン氏が「TEDxSydney」で行った印象的なプレゼンテーションは見た。

ボッツマン氏とロジャース氏はコラボ消費の教祖ともいえる存在で、彼らはシェアリングをクールなものにすべく懸命になっている。彼らは「コラボ消費とは、昔ながらの共有、物々交換、貸し出し、売買、借り入れ、贈与、スワップが、以前はありえなかった規模や方法で姿を変えて登場し、急速に拡大しているものだと言うことができます」と述べている。

著書において、彼らはコラボ消費が実践されている例を多数あげている(イーベイやクレイグズリストから、ソーシャル・レンディング・サービス(ゾーパ)やカーシェアリング(ジップカー)などの新興セクターまで)。彼らは自動車市場がオーナーシップからピア・ツー・ピア・レンタル(自家用車を使わない時に貸し借りすること)へ進化する段階を図式化している(図をご覧ください)。

日用品をコラボ消費する

彼らが強調している1つの点は、私たちがゴミの山を生み出す「ハイパー消費」に背を向け、ゴミが少なくなるコラボ消費に移行しさえすれば、コラボ消費が環境にも真の恩恵をもたらすということだ。彼らは多くの環境論者とは一線を画し、人々が団結し、資源をシェアすれば、ボッツマン氏いわく「自分のライフスタイルや大切にしている個人の自由を犠牲にせずに」環境に良いことができると言う。

すぐにでもトレンドを逆転させられるのか?

話がうますぎるだろうか? たしかに、コラボ消費の動きはきわめて顕著で山火事のように広がっているが、巨大な消費の海においてはまだ、ほんの一滴にすぎない。2009年だけでも、全世界で約5100万台の自動車が生産され、2010年は現時点で、2億6600万台のコンピュータ、1億100万台の自転車が販売されている。そのなかでシェアされているのは、ごく一部だ。20世紀のハイパー消費モデルから21世紀のコラボ消費モデルに真に移行するまでには、まだ長い道程が待ち受けている。

さらに、多くの人の目には、コラボ消費は誰もがコンピュータや車やテレビなどを持っているわけではなかった、あるいは持つことができなかった過去の時代への逆行と映るのかもしれない。1960年代、テレビが家庭に入り始めた時の様子をなつかしく思い出せば、自分の家にテレビがなかった私は、隣の家に子ども向け番組をよく見にいったものだった。おそらく、その頃はコミュニティの結びつきが強くて、シェアするという考え方が何ら特別に見られることはなかったのだ。そのようなことが今日、どれほど起こっているかは心もとない。

このように考えてくると、コラボ消費は進むべき価値がある道だろうか? このアプローチでほっと安心する側面を1つあげると、世界でも比較的豊かな地域の多くでは、快適なライフスタイルを維持するのに十分なだけのモノがすでに十分あり、ボッツマン氏やロジャース氏が提案する方向性で私たちがそれらをシェアすることにしても、取り合いにはならないことだ。

しかし、今、持たざる人たちにとっては、それは何の慰めにもならない。理想的には、事態がひどく悪くなることがなければ、おそらく新興国は私たちの過ちから学び、ひとっ飛びでコラボ消費によるより良いクオリティ・オブ・ライフを手に入れることができる。これは信ずるに値することだ。

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著者

ブレンダン・バレット

ロイヤルメルボルン工科大学

ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。