ウィリアム・ダンバーは、国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS)における国際SATOYMAイニシアティブプロジェクトのコミュニケーションコーディネーターです。
我々がシェムリアップ北部のプノン・クーレン国立公園を訪れたのは、カンボジアが乾季の最中にある1月のことだ。ガイドが言うには、地元の人たちは水牛よりも畜牛のほうがお気に入りらしい。というのも、畜牛のほうがよく働くからだ。「水牛ときたら怠け者で、食べて太るばかりです」。東南アジアといえば水牛のいる景色が昔ながらのおなじみなので、我々訪問者にとっては少しがっかりだった。
ある同僚が以前から、カンボジアの牛は母国インドの牛に比べて肉づきが悪いと言っていた。また確かに、私は水牛たちが働いているのを目にしなかった。ただ、多くの健康そうな水牛が草をはみ、名前のとおり、乾いた景色のなかにでき水たまりのなかや近くをうろついていた。
同じカンボジアでも、もっと雨が多い場所では年に2回、場合によっては3回も米が収穫できるが、ここ北部では雨季に1回しか収穫できない、とガイドは言う。乾季の農家は「何もしない」ようだ。
これは厳しい見方だと思った。果樹園や米以外の作物など、乾季の生計手段が多様化しているのを私は知っていたからだ。それでも、ガイドは農家の出だから、その話は経験に基づいている。それに、遊休地らしい土地が地平線のほうまで何ヘクタールも広がっているさまは、誰が見ても明らかだ。水牛と同じく、人間も水がなければどうしようもない。
私は同僚たちとともに、SATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ第6回定例会合(IPSI-6)のため、シェムリアップに来ていた。この会合はカンボジア環境省が主催し、国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS)が事務局を務めている。3日間の会合で行われたのは、IPSI総会、公開フォーラムおよびエクスカーション(現地訪問)。公開フォーラムでは、多くのプレゼンテーションがシェムリアップ地域に関連するプロジェクトに焦点をおいていた。全体を通じて「水」が大きなテーマのひとつだった。
エクスカーションは、アンコール地域遺跡保護管理機構(APSARA)の多大な援助を得て企画・実施された。APSARAはアンコールワット寺院址の管理監督を手がけるほか、より幅広い土地利用や(少なくともそれと同じくらい重要な)水管理の方向性を決める役割も担っている。APSARAスタッフの説明によれば、これは年間何百万人というアンコールワットへの観光客がシャワーを浴びたり、水を満々とたたえた堀を写真に収めたりするために重要なだけではない。しかるべき水管理なしでは、寺院群が崩落してしまうのだ。
この地域の人々が使う水の大部分は地下水が水源である。アンコールワットは砂質地盤の上に建っており、この地盤はそこに含まれる地下水によって現在のように安定している。もし地下水を汲み上げ過ぎ、地下水位が下がり過ぎると、地盤が巨大な石の寺院を支えきれずに崩壊する(この地域の水問題の詳細についてはAngkor Charterを参照)。築後1,000年以上たつ寺院もあり、これは今までで最大の脅威かもしれない。
アンコールワットを訪れる観光客は年間200万人に達しており、数年後には500万人に届くと見込まれる。この遺跡見学に世界中が関心を抱くことでお金が落とされ、800年前に最盛期を迎えたこの地域で、かつて見られなかったレベルの開発が進んでいる。しかし観光とインフラの拡大は、水需要の飛躍的増大も意味する。アンコールワットへの関心の高まりが、皮肉にも、これを破壊する要因にもなりかねない。
そんな事態を回避するため、APSARAは、IPSIのパートナー組織であるライブ・アンド・ラーン環境教育と広範に協力しながら、地下水位を持続可能なレベルに戻し、シェムリアップの水需要を確保するという大がかりなプロジェクトに取り組んでいる。
乾季の景観をひと目見れば、水がいかに大切かがわかる。見渡すかぎり、茶色に乾ききった原野が広がっている。1年のうちこの時期は野焼きをするので、黒焦げの部分が多い。日が暮れた後のバスの窓からは、暗闇のなかにオレンジ色の炎のラインが見えるだけだ。
かつてのアンコールワットは、給水を確保するために巨大な貯水池を必要とした。この地域の中心となる河川はシェムリアップ川だが、ダムに適した渓谷はない。当地の貯水池は、いわば広くて浅い長方形の湖として人工的につくられた。だが、その大半はの後に枯渇ないし荒廃し、最大級の規模を誇った貯水池の中にも、今やむしろ平原のように見えるものがある。
APSARAはすでに、貯水池のひとつである「北バライ」に水をふたたび満たすことに成功している。北バライ貯水池の中央にはニャック・ポアンという人工島があり、仏教寺院がそこに建っている。この貯水池では高度な水力工学を使って、水を地下から寺院のプールに流れ込ませた。その結果、この水は神聖なものとされ、治癒力を持つと信じられた。現在、どのような地盤物質がこうした水の流れを可能にしたのか、調査が進められている。
北バライ貯水池の復元は大きな成功だとしても、景観全体の管理はまだまだ大きな課題である。より大規模な「東バライ」は干上がったままだ。ライブ・アンド・ラーンの推計では、ここに水を満たせば、シェムリアップ地域全体の水需要を賄うことができるという。この場所は現在、農地や放牧地として使われ、その真ん中に3,000人ほどの村ができている。景観の管理とはすなわち、土地や水の利用、さらにはそこに住む人々のさまざまな(衝突することもある)利益について、いかに説明するかということだ。
シェムリアップでの会合のメインテーマであり、UNU-IASにおける私の研究プロジェクトの中心的テーマでもあるSATOYAMAイニシアティブは、景観を総合的に俯瞰することで、景観全体レベルでの資源管理を目指そうとする取り組みである。アンコールワット周辺地域の場合、それが意味するのは、対立するさまざまな優先事項を調整し、バランスをとり、理想的にはすべての関係者が満足する解決策を見出すことだ。例えば、貯水池の復元によって新たな観光名所ができ、地元農民には水が供給されるというように。
IPSI-6などの会合には、そのためのワンステップとして、幅広い関係者が参加する。IPSI-6にはAPSARAとライブ・アンド・ラーン環境教育のほか、地方・中央政府の代表者、地元NGO、学生、民間部門関係者をはじめ、当地の景観に関わる各種ステークホルダーが参加。もちろん、全世界からさまざまなパートナーも集まった。こうして各関係者が一堂に会することで、すべての人にとって最善のソリューションが生まれればと思う。
我々がプノン・クーレン国立公園を訪れたのは、IPSI-6の活動がすべて終わってから。ようやく肩の力を抜くことができた。しかし、水牛や乾季の農業実態をめぐる会話にも見られたように、この地域の水や水利用はやはり重要な問題であった。
エクスカーションの一環として、クバール・スピアン、別名「千のリンガの川」を訪れた。これにはガイドの説明が必要だった。「リンガ」とは、(男性器をかたどった)円柱状のシヴァ神の象徴。ヒンドゥー教の宇宙論で上位3つの地位を占めるのは、創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァのトリムルティ(三神一体)であるとガイドが言ったとき、私は「維持神」(preserver)を「貯水池」(reservoir)と聞き間違えた。
「リンガ」は、女神シャクティの象徴である「ヨニ」に囲まれていることが多い。女性器をかたどったヨニに囲まれた男性器リンガ――これが表すのは、シヴァ神の役割である「生殖」だ。でも、と私は考える。シヴァは「破壊神」ではなかったのか。それが生殖の神でもあってよいのか? どうやらシヴァはそれらを同時に司るらしい。
いずれにせよ、川床は石で、そこに数多くの小さなリンガが彫られ、稠密な格子をかたちづくっている。「千のリンガ」といいながら、実際の数はもっと多いとガイドは請け合う。所々、各種の神を表すもっと大きなリンガや、それ以外のものも彫られている。川の水はそれらの上を流れ、ニャック・ポアンの水と同じく、神聖な力を帯びるようになる。この場合はとくに、シヴァの生殖力のおかげで、子どもがほしいと望む人たちにご利益がある。
これらのリンガは、アンコールワットの寺院の多くが建設されたのと同じ時期に彫られ、ほぼ1,000年の間、侵食されずに持ちこたえてきた。そのとき私は気付いた。アンコール地域はその歴史上、三神のすべてを目撃してきたのだと。創造神ブラフマーは、当時の世界最大級の都市を構成する要素として、各寺院が建てられたときに力を振るった。以来1,000年、今度は破壊神シヴァが、風食や水食、「絞め殺しの木」の侵入(石の間に根を張り、これを少しずつバラバラにする)、遺跡荒らしといった破壊的な行為を仕掛けてきた。
カンボジアが主に仏教国となってから、アンコールワットは仏陀に再献上されたが、元来はヴィシュヌ神に捧げられていたと思われる。維持神ヴィシュヌ、私が「貯水池ヴィシュヌ」と聞き間違えたあの神だ。そして今、この地域全体の「維持・保全」(preservation)は貯水池(reservoir)に依存しているのかもしれない。
水は景観の一側面にすぎない。だが、カンボジアでこの目で見た実情から考えるに、その重要性は計り知れない。畜牛は地元農民にはありがたがられるとしても、勤勉なせいで、やせて疲れ果てるまで働かされる。急速な開発が進む中、彼ら畜牛は、アンコールワット周辺の景観を守るために必要な「ハードワーク」の良きお手本かもしれない。しかし、水牛のことを考えたときにも、我々には学ぶべきことがあるのではないか。彼らはまさに水への深い愛着ゆえに、たくましく太っているのだから。
水牛から学ぶ: アンコールワット周辺の景観管理 by William Dunbar is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License.