多くの科学技術ハブ(高い科学技術を有する大学や企業などと協働で連携拠点を設けてネットワークを形成することで、イノベーションを創出し、その成果を最大化するコンセプト)と同様に、深セン・オープンイノベーション研究所も近代的で、人々で溢れ、活気に満ちている。研究所では、たたき上げのエンジニア、発明家、アーティストが一緒になってプロジェクトに取り組んでいる。その内容は、作物の病気の診断を目的としたドローンの飛行から、コンパニオンロボット(接客型のロボット)の精密なアルゴリズム(問題を解くための手順を、計算や操作の組み合わせで定式化する手法)に至るまで多岐に及ぶ。単純に、深センは賭けに勝ったのである。つまり、未来をハッキングしたのだ。
深センのたたき上げの企業家が集まるコミュニティは、何千マイルも海を隔てたガーナにあるクマシ・ハイブ(Kumasi Hive:ガーナのクマシにあるインキュベーションセンター)にいる恊働インキュベーターのエンジニアたちと、アイデアや設計の共有を進めている。短期間の開発でリスクを最小化する手法を取った技術インフラと、従来型の規制に基づくアフリカのハブは、まるで30年前の深センのようだ。このように民主化されたイノベーションエコシステムは、AI(人工知能)にニーズに合わせて学び、応用し、活用する準備ができている。
ウィリアム・ギブソン(小説家)の言葉のように、人生には座右の銘となる言葉がある。「ストリートでは、どんなものにも使い道が見つかる」。この考え方に影響を受け、深センは「ストリート生まれのAI」を実際に試し、世界中のさまざまなコミュニティに自分たちのデータやアイデア、設計をAIイノベーションに取り入れる機会を与えている。こうした多様な知識と実地経験は、技術設計を丹念に重ね、失敗を予測し、予想外の被害を受けるリスクを最小限にするための一番の方法となる。
開かれたAIと地域のダイナミズム
AIとロボット工学に関する主な議論は、少数の世界的テクノロジー企業が人口の大部分の生活に影響を及ぼすテクノロジーを握るようになると推測している。近年、公益よりも収益を優先する大手民間テクノロジープラットフォームが厳しい批判を受け、社会的信頼を損なった。その結果、AIガバナンスの分野では、AI産業を率いる大手企業に制限を加え、規制を図る方法についての戦略議論に焦点を当てるようになってきた。
一方で、AIの開発や展開には別の方法もある。開かれたイノベーションを支持する人々が「草の根AI」と呼んでいる方法だ。中国では、新技術に対してオープンソースのアプローチをとる民主化されたエコシステムにより、技術と現実の社会課題をもっとうまく連携させようと驚くほど活発な地域ダイナミズムが発展した。AIはもはや、エドマンド・フェルプス(経済学者)が「大衆の繁栄」と呼んだツールとして見なすべきなのかもしれない。草の根レベルへの技術移転を可能にする規制環境を維持し、価値ある製品やサービスを裕福な有力者だけでなく、社会や経済に位置する大衆にも届ける中で初めて、国や地域は新しいテクノロジーを真に開発し、実装し、成長できるのである。
なぜイノベーションを民主化するのか?
AIは必然的にこの種のローカルで分散的アプローチに身を置くことになる。今日のイノベーションの2つの主な要素である知識と技術的生産手段は、インターネットへアクセスさえできれば誰でも手に入れられる。ほとんどのAIテクノロジーは、オープンソースライセンスによって入手が可能なのだ。多くの学習アルゴリズムはパブリックプラットフォームで手に入る。例えば中国において、スマートフォンやロボット、自動運転車に搭載されたAIを動かすデバイス類を作る手段は、すべてオープンイノベーションと製造エコシステム内にあり、利用可能である。
世界中の地域に根ざしたイノベーターは、今や全世界のリソースを活用し、テクノロジー製品を地域のニーズに合うように加工し、世界的競合他社に対して知見の優位性を確立しつつある。地域の起業家やユーザーが民主化されたエコシステムの中でAIを使った実験を進めていくに従い、即応性のある特注製品を製造できるその能力により、ますます草の根イノベーターは優位に立っていくだろう。
グローバルハブとしての深セン
グローバルなイノベーションハブへと進化した深セン。それは、地域がテクノロジー生産へと至る筋道を明確に示している。30年前の深センは、漁村が集まる人口20万に満たない町だった。それが今日、深センを特別経済区にするという政府のイニシアチブによって、1,500万の人々が暮らし、世界中に技術製品を輸出する巨大なハブとなった。かつての低品質産業(使い捨ての消耗品を量産する産業)向け小規模生産施設が、瞬く間に世界で最大規模かつ最速レベルのプロトタイピング(最初から完成品を作るのではなく、試作品を作り、フィードバックを得ながら作っていく開発プロセス)ハブへと変身を遂げたのである。
地域型事業でありながら、深センは世界的な重要性を持っている。AppleとSamsungを除いて、Huawei、Vivo、Oppo、その他、世界の何百という主要なスマートフォンのほぼすべてが深センの製造業者によって生産されている。深センの電子産業の規模は、1990年代の約15億9千万米ドルから、現在2,910億米ドルにまで膨れ上がっている。
深センには、グローバルサプライチェーンの中に組み込まれた強力な製造エコシステムと、情報共有を重視するオープンイノベーション文化がある。AIを搭載するスマート製品がさまざまな人々のニーズに応えることで、深センは未来に貢献する独自の立ち位置を獲得している。深センの企業は多国籍企業のために製品設計を行い、試作品を作り、製品を組み立てるという経験を数十年にわたり積み重ねてきた。そして時間の経過とともに、消費者ニーズの調査や、迅速な試作品製作による新製品の創出、さらには地域リソースを基盤として技術を適応させる卓越性を身に付けてきた。技術の適応は、まず中国を対象に進めてきたが、その範囲は東南アジアやアフリカなど、まだサービスが十分に行き届いていない新興市場にまで広がっている。
深センからアフリカのクマシへ
深センはアフリカにおいてイノベーターのモデルになりつつある。
アフリカでトップシェアを誇る携帯電話会社のTecnoは、アルゴリズムの教育を行う際に地域のデータを使い、アフリカ市場向けの顔認識システムソフトウェアを開発した。Tecnoの顔認証システムは現在、市場を独占している欧米視点に偏ったアルゴリズムに代わる選択肢の提供に貢献している。
ガーナ企業のTrotroは、農業従事者が予定を最適化できるよう、深センで製造されたAI駆動型(AIの搭載により従来と異なるビジネスやサービスを生む)のGPSトラッカー(現在位置を自動的に発信し、Webやスマホ上で現在置を確認できる。作業員や重機の位置管理などに利用できる)を用いて実験に取り組んでいる。エチオピア政府は最近、「エチオピア・ブランド創出プロジェクト(Designed in Ethiopia)」という競技会を立ち上げ、「深センのオープンイノベーションモデルをエチオピア経済と産業化プロセスに適応させる」という計画を明確に掲げた。
民主化されたAIにはどのような政策が必要か?
もし深センとその他のハブが、AIと新興テクノロジーに民主化されたアプローチを輸出し続ければ、世界のイノベーションエコシステムは徐々に変わっていくかもしれない。AIの未来が、大企業のプラットフォームのみに委ねられることなく、発明家やエンジニアからのボトムアップのネットワークにより決められ、発明され、実行されていくかもしれないのだ。
一部のAIと政策の専門家は、公益のためにAIテクノロジーを開発・展開するよう、国および民間セクターに働きかける新たなインセンティブを含め、AIのソーシャルライセンス(企業が事業を行う際は、社会に貢献する必要があるという考え方)を策定する必要性について述べている。
これを踏まえ、国連とその加盟国、世界銀行、国際財団は、地域の社会問題解決のためにAIの設計・展開に取り組むにあたって、民主化されたイノベーションエコシステムである「草の根」にどのような力を与え、どのように監視するかについて議論する必要がある。国連事務総長が設置した「デジタル協力に関するハイレベルパネル」を通して、エンゲージメントを図る包括的な議論を促進できるだろう。さらに、そこから得られた教訓や、交換したイノベーション、AIによる「大衆の繁栄」の管理方の共有にも取り組めるだろう。
「ストリート生まれのAI」の強化によって、都市は世界的な繋がりを構築しながら地域的な独創性も持ち合わせ、デジタル未来に関する知見とビジョンの多様性に刺激を受けていくだろう。
ギブソンの言葉を繰り返すが、未来はすでにここにある。しかし、約束された未来をより公平に分配する必要がある。
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本稿はデイビッド・リーおよびエレノア・ポーウェルスにより作成された。両氏は、AIに起因する国際的な政策課題の探究を目的として研究者、政策立案者、企業およびオピニオンリーダーのために設立された包括的プラットフォーム、「AI とグローバルガバナンス」の貢献者である。本稿に記載の意見は作成者のものであり、必ずしも国連大学の意見を反映しているわけではない。