科学会議で予言を唱えるカサンドラ

3月末にロンドンで開催されたPlanet under Pressure(圧力下にある惑星)会議で扱われた諸問題に対し、さらなる圧力が加わることについて考えさせられた。その圧力とは科学者たちがメッセージをなんとかして伝えようとする力である。科学者たちは洞察力を持つあまりに、カサンドラの役割を演じたくなるのだ。古代ギリシャの美女、カサンドラは、予言の力を授かるのだが、誰も彼女を信じないという呪いを掛けられてしまうのだ。

広い意味で地球システム科学の知識体系は見事である。しかし、Planet under Pressure会議に出席したほとんどの科学者たちは、自分たちの知識が行動に移されていないと感じている。表には出ないが、そのフラストレーションが容易に感じられる。恐らく、フラストレーションは科学者たちに、もっと強硬な姿勢でメッセージを練り上げなければならないと思わせる。そして科学界とは違う、社会的および政治的議論の領域にもっと合うような言葉を選ぶようになる。「しなければならない」「すべきだ」「行動は不可欠である」「もはや猶予はない」、その他のよく似たフレーズが、フラストレーションを隠すために頻繁に使われるのだ。

フラストレーションは科学者たちに、もっと強硬な姿勢でメッセージを練り上げなければならないと思わせる。そして科学界とは違う、社会的および政治的議論の領域にもっと合うような言葉を選ぶようになる。

状況は理解できるとはいえ、こうした表現が効果的であることはまずない。聴衆はこのような言葉遣いをする科学者には政治的意図があるのだと考えるかもしれない。そうした受け取り方が、科学者に政治的意図が実際にあるか否かにかかわらず、科学的信頼性を損なってしまうのだ。

私の見解では、科学者たちに政治的意図はない。ほとんどの科学者は、政治の特質や政策決定プロセスについて深く理解さえしていないのだ。いかに科学者たちが政治に疎いかということは、ロビー活動や世論と政策議論への働きかけに関する彼らの仕事ぶりがお粗末であることからも分かる。そうでなければ、もっと多くの科学者が、メッセージを伝えるには誇張表現があまり効果的ではないと気づいているはずだ。

信頼

科学者が政治的意図を追求していると受け取られるリスクは、第1の落とし穴である。第2の落とし穴は、コミュニケーションの性質を変えないまま、コミュニケーションの努力を重ねていくことだ。「私たちはもっと多くの/よりよいコミュニケーションを図るべきだ」という表現は、よく耳にする。この表現の裏にある仮定とは、よりよい情報をより多く提供すれば、もっと耳を傾けてもらえる上に、異なる選択を引き出せるというものだ。

しかしながら、今までと同じことをやれば、今までと同じ結果を得るものだ。人は自分の信念や信条をそう簡単に変えない。ましてや、より多くの情報があるからといって決断や行動を変えたりしないのだ。

面白いことに、これと全く同じメッセージを、数人の心理学者と社会学者がPlanet under Pressure会議の2つのパラレルセッションで発表していた。その1つで議長を務めたハインツ・ガッシャー(Heinz Gutscher)教授は、協力と共同行動は信頼の上に成り立つと語り、信頼がなければ、どれほど多くの情報を提供しても効果はゼロか、逆効果さえ生じると言った。

義務か選択か

第3の落とし穴は、さらに厄介かもしれない。それは、義務という観点で科学を伝えれば政治家たちの責任感を損なうということだ。政治家の中にはリスクを嫌う者もいるかもしれない。しかし政治家の主な役割とは選択することであって、盲目的に誰かの意見に従うことではない。科学が自動的に政策に取り入れられるのなら、一体誰が政治家を必要とするだろうか? そもそも、科学は自動的に政策にはならないのだ。

科学的不確実性を含む様々な選択肢とその結果に関し、より開かれた方法で科学を提示するという優れた例が発表された。

したがって、義務は簡単に放棄され、非効果的である可能性が高い。義務は政治家を無力化する。政治家に対して選択肢の中から選び、それを協議するという彼らの重要な役割と責任を負わせないことで、義務は政治家を無力にしてしまう。

会議では、科学的不確実性を含む様々な選択肢とその結果に関し、より開かれた方法で科学を提示するという優れた例が発表された。漁業と海洋生態系のガバナンスに関する分科会で次の事実が明らかにされた。目的、選択肢、タイミング、不確実性を科学的にマッピングしたところ、実際の選択肢が明確になり、意志決定における進歩を促した。現状は、オランダの哲学者であり法学者のユーゴ・グロティウスが1609年に記した小冊子『自由海論』がいまだにガバナンスを左右しているにもかかわらずだ。

つまり、科学を伝える最良かつ最も効果的な方法とは、知識と決定を切り離し、政策決定者に義務ではなく選択肢を与え、「~となるのは避けられない」ではなく「もし~なら」という発想を許す方法であるようだ。

カサンドラを避ける?

上記の3つの落とし穴は、相互に強化し合う傾向がある。つまり、知識が多くなればなるほど、科学者たちは耳を傾けてもらえないことにフラストレーションを高め、誇張表現に頼りたくなる。そして、さらに多くの情報を供給したくなり、義務感をかき立てる言葉遣いになり、全体としてコミュニケーションの効力を低下させる。それはまさにカサンドラの置かれた状況であり、Planet under Pressure会議で扱われた地球システム科学に当てはまる。

カサンドラの項にあるウィキペディア英語の説明文は、次回のPlanet under Pressure会議が掲げるモットーになるかもしれない。彼女(カサンドラ、すなわち地球科学)「は、伝説の叙事詩および悲劇の登場人物で、彼女の深い理解力と無力感は人類の置かれた皮肉な状況を典型的に示している」

翻訳:髙﨑文子

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科学会議で予言を唱えるカサンドラ by ヤン・パウル・ファン・ゾースト is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

ヤン・パウル・ファン・ゾースト氏は持続可能性の戦略コンサルタント、起業家、「アイデア開発者」である。彼の活動の中心には、私たちの経済が繁栄し持続できるのは、経済が自然と環境に及ぼす影響が生態系の自然回復力を超えない場合に限るという洞察がある。彼は同領域で約30年の経験を持つ。過去から現在までに様々な企業や組織、委員会のメンバーや議長を務め、トリオドス銀行グリーン・インベストメント・ファンド、Centre for Agriculture and Environment(農業環境センター)、Gelderland Nature and Environment Association(ヘルダーラント自然環境協会)、Energy4All Foundation(エネルギー・フォー・オール財団)で現職に就いている。ヤン・パウルは、エネルギーや気候に注目した革新的なベンチャーの計画や投資を支援するカーボン・スター社の共同創設者である。彼は数多くの出版物の執筆や編集に携わり、著書に『Earth Fever(アース・フィーバー)』(ジュディ・マカリスター氏とエリク・ファン・プラーグ氏との共著)、『Biodiversity – Challenging Business(生物多様性 ― やりがいのあるビジネス)』(スティーヴン・デ・ビー氏との共著)などがある。