マイルズ・アレン氏はオックスフォード大学の大気・海洋惑星物理学部の気候力学グループの主任であり、Climateprediction.netの主任調査官を務めている。
もし「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」がなければ、似たような組織を新たに作る必要が出てくるだろうか。多くの人が、地球に関して誰もが関心を持っている疑問に答えてくれるひとつの評価基準があればいいと考えている。「気候に対して人間が与える影響を測ることはできるのか」「将来にどの程度の変化が予測されているのか」「主な影響はどのようなものか。それに対し私たちは今何ができるのか(何をすべきではないのか)?」こういった疑問に対する科学者間の意見はだいたい一致している。それは科学者ではない人々が認識している以上だ。ということはIPCCのような組織は、科学者間の意見の一致(または食い違い)を評価し私たちに知らせるという明らかな役割を担っているといえる。
IPCCが誤りを犯した原因は、私の見解では、この報告書がミッション・クリープ(目標設定が明確でないため作業の領域がじわじわと周辺へ広がり終わりがなくなること)の状態にあることだ。誰もがIPCC第4次評価報告書について「3,000ページもあれば間違いの1つや2つはある」と強調するが、そもそもなぜ報告書が3,000ページもあるのかという疑問は聞こえてこない。IPCCが初めて報告書を発行した当時は、まだ気候に関して評価すべき文献は多くなかったため、報告書はシンプルだった。やがて膨大な文献が出回るようになると、IPCCもペースを合わせようとさらに報告の量も執筆者も増やしていった。IPCC報告書の現在の読者が、1990年代の読者と比べて気候に関して10倍の疑問を持っているわけではない。それなのになぜ10倍近くの長さの報告書が必要なのか。それはIPCCが誰もが疑問に思う点のみを報告書に盛り込むのではなく、誰かに尋ねられる可能性がある点全てを取り上げなければならないという強迫観念にかられるようになってしまったからだ。
各国政府は、報告書を安く仕上げようとIPCCを搾取している(執筆者、編集者に報酬は支払われていない)。そして科学界はまんまとその策略に乗せられている。国家間パネルがオランダ政府に対し「オランダの国土の海面下の面積比率」を報告したり、インド、中国、ネパールの政府に対し「ヒマラヤの氷河がいかに速い速度で消滅しつつあるか」を報告したりするのは、まるでUS 第101空挺師団に対し「アフガニスタンに小学校を建設せよ」と命ずるのと似ている。できなくはないが、最も効率のいい方法とは言えず、何らかの過ちが起これば法外に騒ぎ立てられる。
例えばアフガニスタンの建築請負会社が、子どもの脚を誤って骨折させたとしたら悲劇には違いないが、その地域内のものである。しかし仮にその掘削機を操作していたのがUS空挺部隊員だとしたら、骨折したその子はアルカイダ用宣伝ポスターに使われるだろう。「2050年とすべきところを2035年と書き誤った」のが、IPCCが認定する手段や評価基準を使ったヒマラヤ山脈の各国政府が行う地域限定の評価であったなら、その報告書の読者は軽い苛立ちを覚えるかもしれないが、それだけで済んだはずだ。2035年という数字には根拠があると主張するインド、ネパール、中国の水文学者など聞いたことがない。もしいたなら、それはかなり間抜けなことだ。数字が単純な誤りなのは明らかで、他に書かれていることと食い違うからだ。
2035年と誤って書かれたことが問題になったのは「IPCC第4次評価報告書にある『山ほどの』間違い」をジャーナリストが指摘する言い訳となったからである。彼らは各メディアの聴衆、読者、視聴者に対し、これらの過ちは報告書の肝心な結論になんら影響はないものだ、ということを伝えていない。(ガーディアン紙は別である。これまで同紙の気候関連記事について反論することは多かったが、この件に関しては正しい。残念ながらガーディアン紙の「glaciergate(氷河に関する捏造事件)」に関する記事はあまり典型的とは言えないものだった)
気候問題に関する国際評価を定期的に発行するのであれば、しかもインターアカデミーカウンシルが今週要請したような厳密さで査読をするのであれば、3,000ページでは長すぎるし、世界のいくつかの政府機関にとって非常に切迫した問題であるからといって気候変動のありとあらゆる面を取り上げることは不可能だ。それより、気候問題全般について世界中の人々が関心を持つ重要項目に絞った200~300ページの報告書が必要だ。これは改革でも何でもない。単純に1990年に戻るだけのことだ。
IPCCのが担うべき役割は、地域ごとに評価を行う際の方法や評価基準の提言だ。「気候変動」とは一体何か、各国が共通の認識を持つ必要はある。だが地域ごとの評価は各地域の政府に任せるべきである。インド政府が国内の気候変動の影響を測るために科学界の助けが必要なのであればもちろん提供するが、IPCCがインドに代わって評価自体を行う必要はない。関心を持ついくつかの政府が依頼してくる地域的評価をIPCCが特別報告として行うのは構わないが、これは定期的に発行されるグローバルな評価報告書とは明確に区別し、1つの間違いのために報告書全体がけなされることがあってはならない。
とはいえ、2013年か2014年に出版予定の第5次評価報告書には上記の提案は反映されない。すでに多くの作業が進んでおり、執筆者チームも組まれているため、この段階では大々的な変更を行うことは不可能だ。おそらく数千ページに及ぶものになるだろうし、2、3の(「山ほどの」)間違いもあることだろう。2015年にはそれらを嬉々として指摘する者も現れるだろう。しかし今はその後に何が起こるかを考えるべきときだ。こんな騒ぎをいつまでも続けている場合ではない。
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この記事は 9月2日木曜日BST16:22にguardian.co.ukにて発表されたもの。
翻訳:石原明子
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