ブレンダン・バレット
ロイヤルメルボルン工科大学ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。
昨年末、ケニース・カルデイラ氏、ケリー・エマニュエル氏、ジェームズ・E・ハンセン氏、トム・ウィグリー氏という世界有数の気候科学者4人は、原子力発電所の新たな時代の受容を環境保護活動家たちに求める書簡を発表した。この書簡はアンドリュー・C・レヴキン氏によって『ニューヨークタイムズ』紙のウェブサイトで公開された。
彼らの基本的主張は、「原子力への反対を継続すれば、危険な気候変動を回避するための人類の能力を脅かす」こと、また「原子力に大きな役割を担わせなければ、気候安定対策に信頼できる進路はない」という点だ。
彼らは次のように論じる。「受動的安全システムやその他の新技術によって、新たな発電所はずっと安全になります。そして現代の原子力技術は、既存の廃棄物を燃焼し、燃料をより効率的に利用することで、放射能拡散のリスクを低減し、廃棄物処理の問題を解決することが可能です」
気候科学者らの書簡はかなりの反響を呼んだ。その中には「新型原子炉は、天然ガスあるいは風力や太陽光といったその他の低炭素エネルギー源による発電と比較した場合、現時点では経済的ではない」と論じた憂慮する科学者同盟による論評も含まれる。さらに「我々はまだ、原子炉が十分に安全で安定しているとは考えていない」と主張している。
恐らく最も注目を集めた反応は、日本の3人の研究者が2014年1月にウェブ上で公開した反論書簡だ。執筆者は明日香壽川氏、朴勝俊(パク・スンジュン)氏、諸富徹氏、元地球環境問題大使の西村六善氏である。この書簡が説得力を持つ理由は、彼らの反応が日本の福島原発事故の体験を受けたものであったためだ。事故後、彼らは気候変動に対応する今後の方法としての原子力の展望について「違和感を感じる」ようになった。
彼らの基本的主張は、カルデイラ氏らが「原子力発電のリスクを過小評価しており、さらに原子力発電以外の気候変動対策である燃料転換、再生可能エネルギー、省エネなどの役割も過小評価している」という点だ。
彼らは原子力発電を選択肢として検討すべきではない7つの理由を略述している。それらの理由を以下に要約する。
福島での事故後、日本政府は原子力事故のコストとリスクを再調査した。その評価を行った原子力委員会は、事故が起こる確率は500炉年に1回であると結論付けた(1炉年とは、1基の原子炉が1年間稼働すること)。それとは対照的に、以前の推算では事故の確率は100万炉年に1回だった。今回の結論は、日本で1500炉年に3基の重大事故があったという事実に基づくものだ。つまり「福島の事故以前の日本のように50基の原子炉が稼働していた場合、10年に1基の重大事故が起こる」という意味である。
この論点は極めてパワフルだが、推算の基準があまり明確ではない。例えば、読者は3つの重大事故をスリーマイル島、チェルノブイリ、福島の事故のことと推定しやすい。そうだとすれば、言及されている炉年数は世界全体での話であって、日本だけの話ではないということか? この疑問は取るに足りないことかもしれない。なぜなら重要な問題は、事故が起こるのが10年に1回、30年に1回、あるいは100年に1回なのかという点ではなく、事故が起こるということであり、また、そのような事故が及ぼす被害の規模が甚大だという点だからだ。
原子力事故に起因する死亡者数と、特に石炭火力発電所から生じる大気汚染による死亡者数を比較する風潮があるが、これはあまりに単純である。
評論家の中には、福島の事故で放出された放射性物質の被爆による直接的な死亡事例はないと、正当な指摘をする者もいる。しかし、間接的な死亡者数に注目することは極めて重要である。間接的な死亡者数には、避難の結果として亡くなった人、家や生活や人とのつながりを失ったことを憂い、自殺した人などが含まれる。福島県によると、2013年9月時点で総計1459人がこのカテゴリーに含まれる。
また最新のデータは、事故による避難者数が15万9000人に達していることを示している。避難者は、原発事故の心理的影響や、ほぼすべてのものを失った(暮らし、仕事、家)という喪失感に立ち向かわなければならない。住民が避難したことによる局地的な人口減少も、事故の結果の1つである。さらに出生数が下がっている(一部の地区では34%も下がっている)。これは多くの場合、胎児の放射能被爆を恐れた結果だ。
原子力発電のコストは長年、議論されてきており、過小評価されているとみなされている。その理由は、原子力発電のコストには、研究や調査、機器故障の負担など、多くの重要な外部コストが除外されているからだ。
福島での事故以前の2004年、日本政府は原子力発電のコストを1キロワット時当たり5.9円と見積もっていた。事故後の再計算では、事故収束費、損害賠償費、地域除染費などの社会的費用も含めた。この新しい推算は1キロワット時当たり8.9円となったが、放射性廃棄物の保管費、原子炉の廃炉コスト、賠償保険費は計上されていない。そうした費用も含めた場合、原子力発電のコストは1キロワット時当たり100円を超えると推計されている。これとは対照的に、風力発電は9.9円から17.3円、太陽光は33.4円から38.4円である。
さまざまな要因が重なって、日本は福島での事故に関連した最悪のシナリオを(かろうじて)避けることが可能だった。例えば、原子炉の完全メルトダウンが生じていたとしたら、大量の放射性物質が大気に放出され、半径250キロメートルの人々は避難を余儀なくされていたはずだ。そこには(私自身も含む)首都圏の3000万人が含まれる。
反論書簡はこの問題を深く掘り下げてはいないが、災害後の調査結果によれば、地震と津波の直後に原子力発電所の作業員たちは重大な問題に直面していたことが明らかになった。例えば、福島原子力発電所事故調査委員会が提出した報告書は、当時の状況を次のように記している。
「津波による損壊に続く混乱の中で、作業員たちの対応作業は大きく阻まれた。コントロール建屋の機能や照明や通信手段を失ったことに起因する問題、津波漂流物や道路の破壊によって発電所外から資材を調達することが困難であったこと、さらに度重なる余震など、全体的に作業員らの想定をはるかに超えたものだった。重大事故への詳細な対策を含む対応マニュアルは最新のものではなく、非常用復水器(IC)用マニュアルを含むマニュアル類には、今回の事故のような状況に対応できるだけの事前の十分な準備がなされていなかった。防災訓練や、運転員や作業員の訓練は十分に優先されていなかった。ベント手順を概略する文書も不十分であった」
上記のような混乱状況において、原子炉の完全なメルトダウンの予測は可能性の範囲を越えたものではなかった。それが現実となっていたとしたら、日本経済にとって致命的な打撃となり、日本が立ち直ることは極めて困難だっただろう。
日本では、現実として、石炭は常に原子力発電の発展とセットで考えられてきた。日本で建造されてきた石炭汽力発電所の多くは、原子力発電所の稼働率が下がった場合のバックアップとして意図されている。
さらに、原子力を推進する利益団体は石炭利用を推進する団体と同一である。それらの団体とは、経済官庁、電力会社、重機メーカー、エネルギー多消費産業だ。こうした団体は省エネ対策に関して積極的とはとても言えない。なぜなら省エネ対策は彼らのビジネスモデルを損なうからだ。
世界で建設中の新型原子炉76基のうち、「受動的安全システム」を搭載したものはわずか20%であり、残りは旧式の技術で建設されている。今日稼働中のほとんどの原子力発電所は、30~40年前の技術で建造されたものだ。一方、より安全とされる第4世代の原子炉の商業化は、まだ先の話である。この見解には憂慮する科学者同盟も賛同している。
つまり新たな原子力発電所を推進するのであれば、既存の危険な原子力発電所の閉鎖と、日本が現在推進している、旧式の原子力技術の開発途上国への輸出禁止という計画と共に行われるべきだ。
さらに、より安全な原子力発電を促進する場合、メーカーが製造物責任を逃れられない状況を確保しなければならない。その状況が現時点では確保されていないという事実は、大きな懸念を生む要因である。
上記のような原子力産業の欠陥を修正し、同時に原子力廃棄物に関連する問題を解決するには、非常に長い時間が必要となるだろう。そのため、気候変動への応急策として原子力発電を利用するという計画の実効性には、明らかに疑問が残る。
地球の気温上昇を2℃未満にとどめるという世界的な気候目標の達成は、技術的にも経済的にも可能である。このことを裏付ける研究は幾つか存在する。しかし障壁は政治的問題であり、その1つが既得権益の克服である。
日本の研究者たちは次のように結論付けている。「再生可能エネルギーと省エネ対策の導入は最も好ましい選択肢である。なぜなら、気候変動の緩和だけではなく、エネルギー安全保障や、新たな産業と新たな雇用の創出という点でも優れているからだ。私たちが原子力発電に依存しなければ、プルトニウムの拡散および核兵器への転用といったリスクを確実に低減できる。さらに放射性廃棄物の管理コストを削減でき、未来の世代への負担を軽減することができる」
読者の皆さんには、上記の反論書簡だけではなく、カルデイラ氏、エマニュエル氏、ハンセン氏、ウィグリー氏からの書簡を熟読していただきたい。私たちは選択しなくてはならない。原子力発電の発展という現在の道を、それに伴う膨大なリスクを引き受けてでも歩き続けるべきだろうか?それとも、別の道を模索すべきだろうか?
政府や有力な産業が現在提示している道を歩き続ける方が明らかに簡単である。彼らは将来的に原子力発電所を安全にすると保証している。この道は私たちに現状維持以外には何も要求はしない。
気候やエネルギー安全保障の問題に対応するためにエネルギー産業の徹底的な改革を推し進めることの方が、ずっと難しい。難しいからといって間違えた道ではないが、とんでもない上り坂に苦しむことになるだろう。そして、別の方法も可能だということを、あまりに多くの人が認めたがらない。世界有数の優れた気候科学者たちでさえ、そうなのだ。
しかし、そのうち私たちのもとに熟慮された返答が届き、この重要な問題に光明が投じられることを願う。一方で、読者の皆さんにはご意見をお聞かせいただきたい。遠慮せずにコメントをお寄せいただけると幸いだ。
原子力発電は 気候変動への回答か? by ブレンダン・バレット is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License.