マリオ・オサヴァ氏はIPSの通信員として、1978年からはポルトガル、1980年からはブラジルで活動している。ブラジル全土の出来事や情勢を取材し、最近では開発と南アメリカの統合のための機会を反映した大規模なインフラストラクチャー計画の取材に携わっている。
アベル・マント氏の農園に着いてまず驚くのは、乾燥した周囲の茶色とは対照的な緑色の風景である。彼が育てているマメや果樹は、ブラジル北東部奥地の半乾燥地帯で続く、過去50年間で最悪の干ばつとは無縁のように見える。
地中にビニールシートを敷いて作られた「地下貯水池」には水が蓄えられており、土壌の湿度を保っている。そのおかげで、干ばつであるにもかかわらず、約1000平方メートルの土地でマメを栽培することが可能だ。
マント氏によると、池、貯水槽、結合貯水池、コンクリート舗装など、雨水を収集し貯留するさまざまな技術によって、通常の年間降水量に恵まれた年なら、彼の10ヘクタールの敷地内で年間190万リットル近くの水を集められる。
マント氏と彼の妻と幼い娘は、飲み水と調理に27万7000リットルを使う。残りの水を小型家畜の飼育と果樹園や作物のかんがいに利用している。しかし今年は干ばつの影響で貯水量が減り、優先順位をつけなくてはならなかった。マント氏は、パッションフルーツやスイカといった水が少なくても育つ作物を守ることを選んだ。
もう1つ驚くのは、マント氏が見せる知識の広さだ。彼は「農業生態学への転換を図ろうとしている家族経営による農民」と自称する。40歳のマント氏は、ブラジル北東部の半乾燥地帯における周期的干ばつに対処する画期的解決法を編み出したことで有名になった。
彼の最大の成功は、手動式で肉体労働を伴うため彼が「マリャソン(ワークアウトの意)」と呼ぶ水圧ポンプだ。高さ約80センチのこのポンプは、ビニール製のチューブやボトル、ビー玉、さらに使い捨てのボールペンなど、安価な材料で作られている。
このポンプの生産には、ドリップかんがい用のパイプも含め、1台わずか116レアル(53USドル)しか掛からない。顧客が操作のしやすい金属製ハンドルを望んだ場合、費用は70パーセント増しだ。金属製ハンドルを採用した製品の場合、水流は最大40パーセント減少するが、通常モデルのT字型ハンドルなら、1時間当たり1233リットルの水をくみ上げられる。
このポンプは水深4メートルから水をくみ上げることが可能で、土地の傾斜にもよるが数百メートル離れた場所まで水をまくことが可能である。「ある購入者は600メートル先まで水をまけたと話していました」とマント氏は語った。
農民であり発明家でもあるマント氏は、このポンプをブラジル北東部で2000台以上、南アフリカで数台を販売し、さらにヨーロッパから引き合いがあると言う。彼はポンプを生産するために15人の従業員を雇っている。
現在、彼はインドで見たバイオダイジェスターを、地元の資材を利用して改作しようとしている。すでに自宅の調理レンジ用のバイオガスは生産しているが、まだ自給自足できる状況ではない。
マント氏は若い頃から、農村部での労働をより生産的に、労苦を低減しようとしてきた。「『クレイジー』とか『怠け者』と言われました。自分が働かないでもいいように発明しているのだと言われたのです」と彼は言った。
今日では彼の工夫の数々は認められている。彼の農園は、半乾燥地帯の家族経営による農業の発展に役立つ技術の実験室であり、ショーケースだ。多くの訪問者がマント氏の実験の成功例を口コミで広めた。
「私たちの生活は100パーセント向上しました」と彼の妻、ジャシーラ・ジ・オリヴェイラさんは語り、バイオガスを使うと調理レンジの青い炎が強くなることを見せてくれた。
「数年前、自転車1台をクレジット払いでさえ買うのが難しい状況でした。今では自動車1台とオートバイ2台があります」とマント氏は語った。
彼の生産的な活動は正確な数字に基づくものだ。現時点で27カ月続いている干ばつの影響で、バンレイシ、オレンジ、グアバといったさまざまな品種の果樹147本のうち、60パーセントが失われた。「生き残ったのは、最も深く根を張った最も成熟した木でした」と彼は語った。
38頭のヤギとヒツジを飼育するため、彼は見つけられるものは何でも、雑草と考えられている植物でさえ飼料にした。さらに、彼はそういった植物の栄養価も知っている。
地元原産のカティンゲイラという木の葉には、14パーセントのタンパク質が含まれる。よく知られた飼料用の木であるマドルライラックも同様である。群生する低木のMata-pastaria(マタ・パスタリア)は地元の人々には嫌われているが、20~22パーセントのタンパク質を含む。
「多くの植物種は有害だと見なされて」おり、それらが持つ栄養面での可能性は昔ながらの言い伝えのせいで失われていると彼は語り、サイロとして使っている小屋で飼料にしたという11品種を挙げてくれた。
「私の父はいつもこの方法を行っていたのだ」という主張の下に、古いやり方が革新を妨げているのだと、マント氏は不満を漏らした。近隣の農園に暮らす7人の兄弟たちでさえ抵抗するそうだ。
希望は子供たちにあるとマント氏は語る。彼は現在、自身が暮らす農村の27人の子供たちに環境学を教えている。彼が「The Life of the Soil(土壌の命)」と命名した生態学プロジェクトのイニシアティブを広めるために、自身の学校を設立したいと考えている。
マント氏がリアション・ド・ジャクイーペの社会および経済の開発と環境のための自治体事務局員となった今、この夢は実現に近づいている。自治体事務局を率いる23歳のエサウ・ダ・シウバ氏はマント氏を、環境的な視点から地域の農業を開発するために必要な知識を持つ人物として見たのだ。
主な問題は水不足ではなく、自治体の農民たちのための「技術的支援の欠如」だとシウバ氏は語った。自治体の3万3000人の市民のうち、40パーセントは農村地域で暮らしているという。
地域を流れるジャクイーペ川は非常に汚染されているが、年間を通じて水が流れている。このことはブラジル北東部では強みだ。北東部のほとんどの河川は乾期の間、完全に干上がってしまうのだ。さらに「ここには多くのダムがあります」とシウバ氏は語る。マント氏の体験を広めることは、地域の水をより上手に利用することにつながると、彼は結論付けた。
とはいえ、半乾燥地帯全域にいる小規模農家にとって、雨水の収集は重要課題だ。バイーア州リアション・ド・ジャクイーペの降水量は年間で平均590~660ミリメートルだが、2012年はわずか176ミリメートルだったとマント氏は語った。
マント氏は、800以上の団体で構成されたネットワークArticulação Semiárido Brasileiro(ブラジル半乾燥地帯の調整、ASA)が過去14年にわたって推進している社会技術を利用している。同ネットワークは、容量1万6000リットルの貯水槽を100万基、配給するというゴールへの中間地点まで来た。
ジルマ・ルセーフ大統領率いるブラジルの左派政権は、上記の目標達成の早期実現を決定し、さらに目標を高く据えて2013年および2014年で75万基を配給することを決定した。しかし、政府は産業的に大量生産されるプラスチック製の貯水槽を選択した。それはASAプログラムの精神に反するものだった。
政府の新たな計画は、プラスチック製貯水槽の半分の費用しか掛からない従来のコンクリート製スラブを採用せず、さらに基本的に自作することをベースにコミュニティが貯水槽の生産に関与することも退けた。コミュニティが生産に関与すれば、人々に貯水槽の利用方法を教え、地域経済や市民感覚を強化することになる。
ASAとマント氏の体験は、サンフランシスコ川の分流プロジェクトとも際だって対照的である。政府は同プロジェクトにより、北東部の1200万人への水の供給を改善することを目指している。
この巨大プロジェクトは少なくとも4年遅れている。さらにプロジェクトの総工費は40億USドル相当、すなわち当初の予算のほぼ2倍に達した。
いずれにせよ、半乾燥地帯全域のあちこちに暮らし、干ばつの影響を最も受けやすい最貧農村部の世帯にとって、このプロジェクトは役立つものではないだろう。過去の干ばつの時代に起こった大衆蜂起を避けるために、貯水槽と政府の社会プログラムが決め手となるのだ。
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本記事は、開発や環境、人権、市民社会などのテーマを扱う
独立系通信社インタープレスサービス(IPS)の許可を得て掲載しています。
翻訳:髙﨑文子
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