希望をもたらす人

地球温暖化、海面上昇、大気汚染、干ばつ、洪水、森林破壊などが話題となっている。確かに、気候はこの数十年で変化した。気候は現在も変動しており、今後もさらに変動し続けるだろう。しかし、我々にはこの変化に適応し、負の影響を抑制、阻止、あるいは逆行させるだけの手立てがある。

中国北部・科爾沁(ホルチン)地方の広大な半乾燥地を復興するために、70万元(約10万ドル)を投資して、9年間取り組んできた人がいる。これを実現するために彼は、冬はマイナス36度、夏は45度と、年間の気温差が激しいこの厳しい土地に移り住んだのだ。この英雄の名を万平という。

草原から砂地へ

ホルチンは内蒙古自治区、吉林省、黒竜江省にまたがり、その距離は50,600平方キロに及ぶ。中国では、ホルチンは大草原の風景だけでなく、清朝の女帝をはじめとする美女を排出することでも歴史的に有名な土地だ。

Photo by Wan Ping.

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しかし、今日、草木のない地域が急速に広がっており、中国最大の砂地となりつつある。砂地(半乾燥)地帯は、地下水の保水機能があるという点で砂漠とは異なる。だが、移動する砂丘は、地上の植物や住居までもいとも簡単に呑み込む怪物のようだ。年平均風速は秒速3.5マイル、最大風速は秒速21.7マイル以上に達する。

ホルチンには1年のうち45日間、中国の風速測定基準で(レベル1は微風、レベル12は竜巻)レベル8の強風が吹く。事実、近年では国内のほとんどの砂嵐がこの地域で発生している。

とうもろこし等の食用作物を栽培して生計を立てているホルチンの人々は、水不足、農地疲弊、輸送手段の問題といった深刻な環境条件がもたらす問題に直面している。

この厳しい自然環境のため、人々の収入は減り、10歳ほどの幼い子供たちでさえ学校を辞めざるを得ない状況となっている。これらの子供たちは、可能な限りの未開墾地を耕し、より多くの家畜を育て、生活の向上を願いながら、自分たちの両親が辿ってきたのと同じ道を歩むこととなるのだ。しかし、実際に彼らが目の当たりにするのは、一段と乾燥の進む農地、ますます多発する砂嵐、そして環境悪化である。

加えて、中国の都市地域とは異なり地方には1家族当たり1人以上の子供がおり、これも生態系を圧迫している要因である。中国政府の「一人っ子政策」により彼らには罰金が科せられるため、それもさらなる経済負担となっている。

こうした悪循環が続き、ホルチンの人々やその子供たちの生活に変化がもたらされることはなかった。

万氏の挑戦

しかし、2000年6月16日に、この地域は転換期を迎えたと言えるかもしれない。この日、かつて熱力技術者だった万氏は、吉林省の休暇(コテル)村周辺で、生態学的実証を見つけたのだ。万氏の事業は、ホルチンの環境復興と、同時に地域の人々の生活水準を向上させることを目的としている、
生態学的実証が行われた地域

1999年、万氏がホルチンの気候変動危機に気が付いた時、彼はキャリアの頂点にいた。彼は、草原の縮小化と地域の気象条件について研究するため、内蒙古自治区と吉林省の境界近くにある2,500平方キロの砂地を徒歩で10回調査した。その後、この状況を改善しようと決意した彼は、長春市での仕事を辞めたのだった。

万氏は事業の第一段階として実証地域に植林をした。地力回復のためには再緑化が解決の鍵となるからだ。

このような乾燥した環境では水分がすぐに蒸発するため、苗木に頻繁に水やりをしないと枯れてしまう。しかし、地下水が不足しているために、十分に苗木を育てることができない。夏の暑い時には日射病になりやすく、特に重労働をする場合は危険だ。万氏は野外で作業中に気を失ったことが数回ある。

初めの2-3年間は、地域の人々の誤解、政府の冷遇、家族からの支援を得られないなどの様々な困難にも直面したが、万氏は自らの情熱の実現に向けて立ち止らなかった。また、実証地区の野生動物(キツネやウサギ等)を保護するという彼の計画に反対する地元猟師に襲われた経験もある。

彼は自分が取り組んでいることについて躊躇し、迷い、また心の中でその価値を問うことはあっても、自らの使命を決して諦めはしない。彼の献身的な努力のおかげで、今では立派な防風林が整備され、移動砂丘の実証地区は95%が緑に覆われ回復し、降水量も増えている。

ホルチンのぶどう

このような事業を成功させるためには、地域社会の経済発展が不可欠である。2004年の専門家の発表によると、この地域の土壌と天候はぶどう栽培に適しており、1エーカー当たりのぶどう栽培収益は、食用作物(とうもろこし等)の栽培収益の30エーカー分に相当するという。

万氏は修復された地域で地元農民にぶどうの植え付けを指導し、2007年にはワイン醸造会社を立ち上げた。同氏によると、当初ぶどう栽培は順調に進まず、経験不足と輸送手段の問題から売上が伸びなかったという。実際、この会社は赤字だったが、村人たちにぶどう栽培を続けるよう促すため、万氏は早い段階で彼らの損失を補填したのである。

今では、一部の農家の間でぶどうは主な収入源となっており、2007年には、地元農家一人当たりの年間所得は近隣地区に比べ、2千元(300ドル)増加した。これは、発展と環境保全は互いに対立するものでなく、むしろ互恵的であり得ることを示している。

ボランティアたち

Photo by Wan Ping.

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中国では、私の世代(1980年後に生まれた世代)は「80代」と呼ばれている。両親、祖父母、そして曾祖父母の世代は、我々に怠け癖があり、自由奔放で、何事にも一生懸命でなく、我がままだと非難する。この点に関しては議論の余地はなく、実際、私たちもそうだと思ってきた。ところが、こういった見方は次第に変わりつつあり、人々は我々を「エコ世代」と呼び始めた。私たちが有望な人材であり、世界が我々を必要としていることに気が付いたのだ。

2006年の冬休みに、私はボランティアとしてホルチンを訪ねた。ちょうど、1年で最も寒さの厳しい時期で、夜は気温がマイナス36℃まで冷え込んだ。私は生態学的実証地域で唯一の建物である万氏のお宅に寝泊まりさせてもらった。私たちの食事のほとんどは、地元で採れたかぼちゃやじゃがいも料理であった。

私の仕事は、万氏と共に徒歩で地域の家庭を訪問し、子供たちの教育について話し合うことだった。万氏は、この復興事業が1世代だけで成し得ないことを理解している。彼は「子供たちの心に木々を植えるため」地元の小学校でボランティア教師をしている。以来、学校を辞める生徒が少なくなり、13歳未満の子供たちで学校を辞めた者はいない。

私たちが家庭訪問を行ったのは、冬の間、他の屋外作業ができないからだった。毎日9時から15時までの間に、3人の子供の家しか回れなかった。というのも、この砂地に交通手段がないからだ。

Photo by Wan Ping.

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万氏の記録によると、この9年間で手伝いに来てくれたボランティアはかなりの数に上る。当初活動を手伝ってくれた地元の人々から、国内各地の大学生たち1198人、年配の日本人夫婦などの外国人ボランティアまで参加者は様々だ。

ホルチンだけなく、我々が必要とされるその他の地域で、より多くの人々が環境ボランティアチームに参加してくれることを願っている。

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希望をもたらす人 by 何皓著 is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.
Based on a work at http://ourworld.unu.edu/en/one-man-inspiring-hope/.

著者

何皓は哈爾浜工業大学で電気通信を専攻する1989年生まれの中国人女性である。彼女は大学卒業後、技術者を目指しており、仕事を通じて中国の環境を改善したいと強く望んでいる。