縮小しつつあるインドの小島

「私が子どもだった頃、これらの小島は今よりもずっと大きかったのです」とインド南部のタミル・ナドゥ州沿岸のチダンバラムに住む80代の漁師、タンガラジ氏は回想する。小島が浮かぶColeroon(コールーン)川河口のピチャバラン複合区域には、世界で2番目に大きなマングローブ林、ピチャバラン・マングローブ林がある。緑の木々で覆われた広大な海に51の小島が点在しているのだ。地元の漁師たちによれば、海はゆっくりと確実に小島の陸地を浸水し続けており、小島は年月とともに縮小しつつあるという。

「年月と共に、この島は沿岸から300メートル近くの地帯が海面下になってしまいました。私たちは漁網を乾かすために昔から小島を利用してきました。政府は観光客向けにベンチや展望タワーを設置しましたが、今ではそういう建設物にも海が接近しています」とタンガラジ氏は話す。

ピチャヴァラン・マングローブ林は、多くの魚類や貝類の希少種を含む豊かな生態系を支えている。調査では、今のところ177種の鳥類が記録されている。専門家たちは引き続き現状に関する議論を続けており、河口域に流れ込む海水レベルの上昇が小島の縮小を引き起こしていると考えている。植物学者たちは、こうした状況がピチャバランの生態系全体を脅かす可能性もあると懸念している。

ピチャヴァラン・マングローブ林は、多くの魚類や貝類の希少種を含む豊かな生態系を支えている。調査では177種の鳥類が記録されている。

開発金融センターによる研究では、海面の上昇がタミル・ナドゥ州沿岸に既存する、あるいは今後作られるインフラストラクチャーに与える経済的損害を強調している。2050年までに海面が1メートル上昇した場合、構造物、湿地帯、不動産の損害金額は663億米ドルから1兆3000億米ドルになると推計している。

「海面が1メートル上昇した場合、タミル・ナドゥ州沿岸では約1091平方キロメートルの土地が永久的に浸水するでしょう。しかし損害を受ける全域は、その6倍近くです」と、研究報告書の筆頭著者であるスジャータ・ビラヴァンは語る。

この数字はタミル・ナドゥ州に限った推計だが、インド政府の国立海洋学研究所の専門家たちの研究によると、海面上昇の影響はムンバイやコーチンといったインド西海岸沿いの都市の方が大きいという。インドの沿岸全域での海面上昇は、過去の潮位データを分析して推測されている。分析対象となった観測地点の中でも、ムンバイ、ヴィシャーカパトナム、コーチンでは、年間1ミリメートルに非常に近い海面上昇が確認された。

「こうしたリスク要因を考慮すると、沿岸地域の土地計画には持続可能な開発の指針を取り入れ、規制を徹底することが不可欠です」と開発金融センターのラジェシュ・ランガラジャン氏は話す。

しかし、その規制はどこにあるのか。有意義なデータが存在しているにもかかわらず、インドの気候政策は沿岸地域について触れていない。インドは2009年のコペンハーゲンでの国連気候会議に参加する前、気候変動に関する国家行動計画(NAPCC)を打ち出した。その行動計画は、気候変動への取り組みとして緩和策と適応策の両方を列挙している。ところが、気候変動がインドの沿岸地域に与える影響に関しては一言も述べていない。「なぜなら政策は基本的に、沿岸地域にほとんど目を向けずにトップダウン型のアプローチで作られたからです」と、チェンナイのCentre for Climate Change and Adaptation Research(気候変動と適応研究センター)所長のA.ラマチャンドラン博士は言う。

こうした見落としを補うために、タミル・ナドゥ州政府は国の政策とは別に、沿岸地域の持続可能な管理を最優先課題とした独自の行動計画を構想中だ。「NAPCCは基本的にインド北部を焦点にしているため、私たちは問題に対処するための独自の政策ガイドラインを作ろうとしています。しかし、沿岸部にある他の州も私たちに追随し、同様の政策を立てない限り、私たちの試みは成功しません。ところがタミル・ナドゥ州政府の権限では他州の行動を変えられないのです」とラマチャンドラン博士は言う。彼が所長を務めるセンターはタミル・ナドゥ州政府と共に州の政策を作ろうとしている。

変化を目にしますが、それは良い変化ではありません。だけど私たちは何をしたらいいのか分からないのです。現状を打破する唯一の方法は、子供たちに教育を授けて、この仕事に就かないようにさせることしかありません。 ( ジェスネイサン氏)

一方、インド政府はいわゆる沿岸規制区域(CRZ)を制定しているが、その規制は気候変動や海面レベルの上昇といった問題をほとんど考慮していない。「CRZは沿岸地域での商業活動の規制という発想で作られています。主に絶滅危ぐ種を保護し、開発を制限するための方策であり、気候変動という視点を欠いた規制です」と、チェンナイで活動する法律専門家であるS.ヴァスデヴァン氏は言う。

海面上昇の結果、大きなリスクが生じる可能性があるとする開発金融センターの警告にもかかわらず、インド政府は沿岸区域の開発を制限するはずのCRZのガイドラインを緩和し、沿岸での商業活動がより自由に行える状況を作ってしまった。その結果、チェンナイ市だけを見ても、高架式の高速道路が3路線、建設されることになった。そのうち1路線はビーチ沿いに建設され、1路線はほとんどの通行ルートが海岸沿いだ。

規制が緩和された沿岸地区でのインフラストラクチャーの開発は、州のあちこちで海岸浸食を加速させ、多くの人々の生活と生計を悪化させている。フィンランドのSiemenpuu Foundation(シーメンプー基金)が行った研究によると、タミル・ナドゥ州の9つの沿岸区域では浸食のスピードがあまりにも急速なために、10年以内には沿岸の数カ所の村と、マナー湾のサンゴが豊かな21の島は海の下に消滅するという。

タミル・ナドゥ州トゥートゥクディ出身の漁師、ジェスネイサン氏は、ビーチから離れた安全な場所に家を建てた。今では彼の裏庭に波が押し寄せている。トゥートゥクディ港が建設されて以来、海岸の浸食が劇的に進んだからだ。「海は私の祖父の時代とは様変わりしてしまいました。変化を目にしますが、それは良い変化ではありません。だけど私たちは何をしたらいいのか分からないのです。現状を打破する唯一の方法は、子供たちに教育を授けて、この仕事に就かないようにさせることしかありません」とジェスネイサン氏は語る。

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この記事はパノス・ロンドンから寄稿されました。パノス・ロンドンは、開発によって最も影響を受ける人々の視点を開発の決定過程に取り入れることにより持続可能で公平な開発の促進を目指す組織です。

翻訳:髙﨑文子

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縮小しつつあるインドの小島 by ゴークル・ チャンドラセカール is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

ゴークル・チャンドラセカール氏はインド南部のチェンナイを拠点に、環境や健康や政策に関する記事を『ニュー・インディアン・エクスプレス』紙に寄稿している。出版、オンライン、テレビ、ラジオで活動した経歴があり、政策から人権、環境ビジネス、環境正義にいたるまで、環境に関する様々な側面を題材に執筆している。彼は2010年、気候変動メディア・パートナーシップ(CCMP)のフェローに選ばれた。